康芳夫といえば、伝説の興行師だ。モハメド・アリを日本に呼ぶために、イスラム教に入信。

アントニオ猪木とアリとの異種格闘技戦ではフィクサーとして暗躍した。ネッシー探検隊の結成、人間かチンパンジーかで世間を騒がせたオリバー君を日本に連れてきたのもこの人。戦後最大の奇書と呼ばれる『家畜人ヤプー』の出版者としても知られる。国際暗黒プロデューサー、虚業家など様々な呼称を持つ康氏だが、中島哲也監督の『渇き。』(14)や熊切和嘉監督の『ディアスポリス DIRTY YELLOW BOYS』(16)などに出演し、新たに“怪優”という肩書きも最近は手に入れている。今年80歳を迎えた康氏が、初の悪役に挑戦した最新出演作『干支天使チアラット』、そして実写映画化の準備が進む『家畜人ヤプー』について大いに語った。

──河崎実監督の『干支天使チアラット』を拝見しました。主人公たちを苦しめる悪役として、抜群の存在感を放っていますね。

康芳夫 ははは、楽しんでもらえましたか。河崎監督は出版社を通じて僕に出演のオファーをしたんだけど、これは実に奇妙な作品ですね。パロディーというかナンセンスというか、これまでの日本映画では見たことのないタイプの作品になっています。僕が出演したのは1日だけだったけれど、思っていたよりもカット数は多かったし、河崎監督がいろいろと考えてくれた台詞もあってね、楽しい撮影現場でしたよ。


──これまでにも中島監督の『渇き。』にチラッと登場し、『ディアスポリス』では裏都知事役を演じました。

康 僕が俳優デビューした経緯をお話すると、中島監督から手紙が届いたことがきっかけでした。中島監督のことを僕は知らなかったんだけれども、彼の事務所を訪ねたところ、『下妻物語』(04)や『嫌われ松子の一生』(06)など僕が面白いなぁと思っていた映画のポスターが貼ってあり、「あぁ、僕が面白いと思った映画を撮っていたのが中島監督だったのか」と分かったんです。それで中島監督から「ぜひ映画に出てください」と言われ、「いや、こちらこそ」と俳優デビューすることが決まったわけです。実際には何カットか撮影したんですが、編集の都合で僕が映っているのは一瞬だけになった。その後、ドキュメンタリー映画『酒中日記』(15)にも南伸坊と一緒に出ています。それから熊切監督が僕のところに『家畜人ヤプー』を映画化したいと現われ、その際に俳優としても出演してほしいと頼まれて、『ディアスポリス』にも出演することになったんです。熊切くんが今度撮る『家畜人ヤプー』とは別の新作にも出演する予定です。新興宗教の教祖を演じることになりそうです。

■リアルと虚構との境界線上を生きる男

──これまでの出演作は素の康さんがそのまま映画に出ている感じでしたが、『干支天使チアラット』ではフィクションならではの悪役を楽しまれたのではないでしょうか。「この世界は無意味なものだ」などの台詞は康さんが口にすると、すごく意味深に聞こえます。


康 あの台詞はね、僕がふだん考えていることを河崎監督がうまく台詞として盛り込んでくれたんです。他にもね、河崎監督がカットしてしまったけど、いろいろ撮りました。「内田裕也に僕が似ているんじゃない。内田裕也が僕に似ているんだ」とかね(笑)。あとね、「ばくちの貸しを返せ」なんて台詞を僕は言ったんだけど、それもカットされてしまいました。実際、彼は賭けポーカーで1億円くらい借金しているからね。まぁ、大昔の話だから時効でしょう(笑)。

──賭けポーカーで1億円の借金!!

康 僕らがやっていたのは「ハイロー」という複雑なポーカーで、芸能人やヤクザ、もしくはプロのポーカープレイヤーしかやらないものでした。素人はやりません。作家の色川武大は分かりますか? 彼に賭けポーカーを紹介したのは僕なんだけど、それでポーカー場に出入りするようになった彼は膨大な借金を抱えて、一時期姿を消したんです。しばらくして、阿佐田哲也と名前を変えました。『麻雀放浪記』を書く前のことです。
賭けポーカーは非常にスリリングなゲームで、動く金額も大きいんですよ。

──国際暗黒プロデューサーという肩書きは、伊達ではないと。

康 国際暗黒プロデューサーというのは、マスコミが僕に付けたあだ名みたいなものです。まぁ、ボクシングの興行の世界は以前はやっかいなこともあり、裏社会との繋がりもありましたから。でも、僕がボクシングのプロモートをしていたのは50年近く前のことです。今はボクシングの世界も変わったでしょう。

──康さんの言動には、どこまでがリアルでどこからがフィクションなのか分からない魅力があります。

康 おっしゃる通りです。いわゆるマージナルライン、リアルとフィクションとの狭間をさまよっているのが僕という存在です。虚実皮膜の世界で僕は生きているので、いったいどこまでがリアルで、どこからがフィクションなのやら(笑)。河崎監督もね、そこを狙って僕を起用したようです。撮影したのは僕の80歳の誕生日でした。
合成シーンが多かったので現場ではよく分からなかったけど、今日の舞台挨拶には女優のみなさん(希崎ジェシカ、辰巳ゆい、友田彩也香)も集まって、キレイな方たちばかり。もう一人の女優さん、姫乃たまさん。彼女が書いた本(『潜行 地下アイドルの人に言えない生活』)は読みました。彼女が書いた本も、彼女もなかなか面白いですよ。

──でも、なぜ80歳近くになって“怪優業”に目覚めたんでしょうか?

康 もともと大島渚監督や若松孝二監督からは映画に出るように言われていたんです。彼らとは一緒に毎晩のように新宿で呑んでいましたから。映画の製作を手伝ったりしていました。久世光彦(TBSドラマ『ムー』『寺内貫太郎一家』の演出、プロデューサー)を知っていますか? 彼は僕と大学(東京大学)で同期だったんです。彼のほうがちょっと年上だったけど。彼からもドラマに出るようにしつこく言われました。でも、その頃は仕事が忙しかったし、彼らにイジられるのがいやだったので、それで断っていたんです。別に俳優業がいやで断っていたわけじゃありません。
大島くんが『戦場のメリークリスマス』(83)を撮るときは僕からアドバイスしたんだけど、それで喧嘩別れしてしまってね。その後、彼は病気になって亡くなったでしょ。若松くんも交通事故で亡くなってしまった。最近はね、オファーがあれば出演するようになりました。まぁ、いい時間潰しになりますよ(笑)。僕も80歳。この年齢の新人俳優を使おうなんて、ありがたいことです。撮影現場は肉体的にしんどいこともあるけど、なかなかエキサイティングな世界だと思っています。新しいことに挑戦できるなんて楽しいですよ。

■『家畜人ヤプー』に魅了された奇才たち

──チアラット(希崎ジェシカ)たちと対立するシャノワール(姫乃たま)に、マンチカン(康芳夫)が「ヤプーは読まれましたか?」と尋ねるシーンがありますね。何度も噂が流れては消える『家畜人ヤプー』の映画化はどうなっているんでしょうか?

康 5年前に熊切監督が僕のところに来て、「どうしても映画化したいんです」と頼みにきてね。熊切監督は大阪芸術大学出身で、大学時代の教官が中島貞夫監督です。
中島貞夫が『家畜人ヤプー』を映画化したいと言ってきた最初の監督でした。実際に僕のところに来たのは中島貞夫ではなく、天尾完次プロデューサーでしたが、面白い縁だなと思いました。ちなみに中島貞夫の次に名乗りでてきたのは中平康監督。彼は若くして亡くなったけど、彼が病気にならなかったら、映画は完成していたはずですよ。その後が『太陽を盗んだ男』(79)の長谷川和彦監督。彼も僕の大学の3つほど下の後輩。長谷川くんとうまくいかなかったのは予算の問題もあったけど、彼は勝手に動いて振り回すわけですよ。それでね、僕から言って降りてもらいました。アニメ化の話も幾つかありました。スタンリー・キューブリック監督のエージェントからも打診を受けていた時期もありましたが、キューブリックは『アイズ ワイド シャット』(99)を撮って亡くなってしまった。最近『ツイン・ピークス』がまた話題になっているデヴィッド・リンチ監督からも、映画化したいと言われていました。でも、デヴィッド・リンチが撮ると、僕のイメージとは別のものになってしまうなと思い、断りました。熊切くんはね、信頼できる監督です。彼が大学時代に撮ったデビュー作『鬼畜大宴会』(88)を観て、彼なら『ヤプー』の映画化を任せられると思ったんです。

──舌人形や肉便器がどのように実写化されるのか、今からドキドキします。

康 出版した当時(1970年)、僕は右翼に襲われたんです。『家畜人ヤプー』で描かれた未来世界では白人が最高位、黒人は奴隷、黄色人種はそれより下の家畜人となっているわけです。『家畜人ヤプー』を書いた作者は日本人なんだけれども、日本人に対する大変な侮蔑感と同時に白人への反感も持っている人物でした。日本でいちばんの神様であるアマテラスオオミカミですが、『家畜人ヤプー』ではアナテラスオオミカミとなっています。それで右翼が怒って、僕の事務所を襲撃してきました。「康が仕込んだんじゃないか」と噂されましたが、これは本当の話でNHKニュースにもなりました。まぁ、『家畜人ヤプー』の映画化については、近いうちに正式発表されるでしょう。そうそう、日本でいちばん有名なアニメ『君の名は。』(16)を撮った新海誠監督がいるでしょ。彼の奥さんは三坂知絵子という女優で、彼女は高取英の劇団「月蝕歌劇団」で『家畜人ヤプー』を舞台化したときに出演してくれたんです。過去には寺山修司、唐十郎も舞台化したがっていました。『家畜人ヤプー』には日本の文壇、文化人のほとんどの人が関わり、エピソードに事欠かない作品なんです。

■覆面作家にまつわる二重三重の秘密

──『家畜人ヤプー』の原作者である沼正三から、康さんは出版権や映像化権など全権を委任されたわけですが、康さんは覆面作家・沼正三の正体を知っているんですよね?

康 もともとは三島由紀夫が「面白い小説がある」と、SM雑誌「奇譚クラブ」に連載されていた『家畜人ヤプー』の切り抜きを僕のところに持ってきたことが始まりだったんです。三島由紀夫がプロデューサーでした。それで僕は大阪にいた「奇譚クラブ」のオーナーを訪ねて、彼は関西で有名な相場師だったんですが、あらゆる手段を使って僕は彼から『家畜人ヤプー』の原作者・沼正三の連絡先を聞き出したんです。最終的には沼さんに直接会うことができました。どういう人物かということは、今はまだ話せません。沼さんは8年前に亡くなりました。沼さんの本当の正体を知っているのは僕だけです。

──そこをもう少しお願いします。沼正三=新潮社の社員校閲者だった天野哲夫説、東京高等裁判所の判事だった倉田卓次説……など、いろんな説が流れました。

康 天野さんが沼正三の代理人だったことは事実です。面白い話をしましょう。沼さんが亡くなったときに、僕から共同通信の記者に情報を流したんです。その記者は『家畜人ヤプー』の熱心なファンだったので、彼に沼正三の死亡記事を書かせようと思ったわけです。ところがその記者の上司が「また康にハメられるぞ」と言い出し、なかなかOKしなかった。結局、記事は掲載されましたが、それは世にも奇妙な死亡記事でした。記者は共同通信社のスクープ賞をもらったそうです。

──沼正三の代理人を名乗っていた天野哲夫さんは、2008年11月30日に亡くなっています。やはり沼正三=天野哲夫なのか、それともまだ秘密が隠されているのか?

康 こう考えていただきたい。『家畜人ヤプー』はコラボレーションから生まれた作品だと。当時の高等裁判所の主席判事だった倉田卓次さんは、雑誌「諸君!」(82年11月号)で“覆面作家は東京高裁判事”という記事が出て、そのせいで最高裁判所の裁判官になることが決まっていたのに、流れてしまったんです。でも彼はそのことを恨んではいなかった。彼自身は「僕は書いていません」と言うだけでしたが、僕は「倉田さんは関係ない」とは一度も言っていません。彼が作者ではないことは事実ですが、英語でいうところのバイタルロール、とても重要な役割を果たしています。だからコラボレーションなんです。倉田さん以外にも関わっている人物はいますが、まだ存命で、社会的地位もあるので実名を出すことはできません。僕に何かあったときには真相が分かるようにと、遺書を弁護士に預けています。

──いずれにしろ『家畜人ヤプー』が映画化されたときは、「猪木vs.アリ」戦のように世界中に衝撃が走ることになりそうですね。

康 そうです。『家畜人ヤプー』のフランス語版、中国語版はすでに出版されています。中国語版は台湾だけでの発売だけど、一説によると中国大陸では地下出版され、2,000万部の大ベストセラーになっているらしい。契約していたNYの出版社が倒産して立ち消えになっていた英語版も、近いうちに出版される予定です。どうか楽しみにしていてください。
(文=長野辰次/写真=尾藤能暢)

●康芳夫(こう・やすお)
1937年生まれ、東京都出身。東京大学在学中に五月祭の企画委員長を務める。大学卒業後、興行師・神彰のもとでソニー・ロリンズなどの呼び屋として活躍。独立後はモハメド・アリ対マック・フォスター戦、トム・ジョーンズの来日公演を実現させた。1973年は石原慎太郎を隊長にした「国際ネッシー探検隊」、76年はオリバー君の日本招聘とアントニオ猪木対モハメド・アリの異種格闘技戦のコーディネーターとして注目を集めた。また、70年にはSF・SM小説『家畜人ヤプー』を単行本化し、原作者・沼正三から映像化権をはじめとする全権を委任されている。2016年には著名人との対談のほかに沼正三の生原稿なども収録した『虚人と巨人 国際暗黒プロデューサー康芳夫と各界の巨人たちとの響宴』(辰巳出版)を上梓している。
http://yapou.club

■映画『干支天使チアラット』
原作/中川ホメオパシー 脚本/海神える、河崎実 監督/河崎実 
出演/希崎ジェシカ、辰巳ゆい、友田彩也香、掟ポルシェ、ルノアール兄弟、ベッド・イン、姫乃たま、康芳夫
製作・配給/リバートップ 9月3日(日)渋谷ユーロスペースにて舞台挨拶つき上映イベントあり

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