この10月、『有吉反省会』(日本テレビ系)のレギュラー放送がスタートして4年半がたった。同番組のHPには、以下のような文言が記されている。
「大御所芸能人、文化人、一流スポーツ選手の皆様、私、有吉弘行の目の前で自らの過ちを告白し、悔い改めていただきます」
9月30日放送の同番組に、亀田興毅が出演した。彼の登場理由は「食リポブログで、何を食べても感想が全部『最強』になってしまう事を反省しに参りました」であった。
そんな“反省人”の亀田に対し、MCの有吉弘行は番組早々「刑務所から出てきたみたい」と痛烈な一言を浴びせている。
しかし、そこからは決して踏み込まない有吉。“反省人”という立場のゲストを詰めにいってもいいように思うが、決していかない。それどころか、親身になってゲストの言い分を聞き出そうとするのが、彼のこの番組での一定したスタンスだ。
そんな有吉に対し、亀田がある相談を持ちかけた。
「有吉さんもそうなんですけど、結構みんな自分のことをイジらないんですよ。『興毅!』くらいの勢いできてくれたほうがやりやすいんですけど、イジらない人は『興毅くん』とか『興毅さん』なんですよ。さん付けされたら『あぁ……』って」
この相談に対し、有吉は「チャンピオンだし、敬意を表して。それに『興毅!』って言ってくるのは、ヤバい人たちばっかりでしょ? 俺らみたいに繊細な文化系は『興毅くん』ってなるよ」と返答。そう考えると、オープニングでの「刑務所から~」というイジりも“らしくない”発言だったということになるだろうか。
■苦行に耐える、10年前の攻め気
有吉が見事な“返り咲き”を果たしてから、長い年月がたった。品川庄司・品川祐への「おしゃべりクソ野郎」発言が2007年の出来事だったので、あれから丸10年ということになる。
その後の有吉には、過酷な“あだ名芸”が課せられることとなった。出演番組で次々に降りかかる「あだ名付けてよ」のリクエストは、苦行としか言いようがない。端的に言えば、雑な振りを受けての大喜利でしかないのだから。
しかし、テレビからお呼びのかからない潜伏期間を「地獄」と回想する有吉は受けて立った。その作品の数々は、いま見ても見事だ。例えば、中居正広のことを「偽SMAP」、武田修宏のことを「スケベなタラちゃん」、ルー大柴のことを「ナプキンを食べる妖怪」、森光子のことを「ファイナルカウントダウン」などなど。
このセンスを見れば、「文化系」に彼をカテゴライズしても問題のないことがわかる。それでいて、攻め気も兼ね備えていた当時の有吉。この頃、亀田を前にしていたならば、どんなあだ名を付けていただろう? 想像しただけでワクワクしてくる。
■冠番組を望んでいなかった8年前
ネット上で「保身に回った」といわれることの多い、現在の有吉。
09年に発行された『本人』(太田出版)のvol.11に、有吉のインタビューが収録されている。当時は、有吉が“あだ名芸”と対峙していた時期。世間の大部分が彼に味方していたが、その頃に彼はこんな発言を残していた。
「芸人仲間をあだ名で叩くっていう、そのスタイルとかやり口が汚いと自分では思ってるので、蔑まれてるだろうなっていうのがあって。どこかしら負い目がある」
しかし、有吉は世の大半の支持を獲得し、多くの芸人から一目置かれるポジションを築いて売れた。あの頃の勢いがあれば、当然の結果だ。しかし、そんな未来を予測しながら、“09年の有吉弘行”は意外な発言を残している。
「いまの感じで仕事していって収入がちょっと安定しちゃうと、その位置から人を叩いてたらどっかで破綻するなと思う」
「そうするとただの高圧的な人になっちゃうことがあるので、これはそんなに続かないと思いますね。だからといって新しいものを見つけるっていっても、無理やりキャラ作ってもなって……」
現在はMCとしていくつもの冠番組を持つ有吉だが、このインタビューでは、番組を持つことについて「傷つくのも嫌なんですよ。ダチョウさんの例(半年で終了したダチョウ倶楽部のTBS番組『王道バラエティ つかみはOK!』のこと)じゃないですけど」とも口にしており、もともとそんな欲を持ち合わせていなかった事実も、このインタビューからはうかがうことができる。
「おしゃべりクソ野郎」から10年がたち、このタイミングでいろいろ振り返ってみると、彼はこの状況をナチュラルに予見していたようにも思える。かつてのような“毒舌”を彼に望みたいのはヤマヤマだが、人間は変わる。
現在の有吉は活字メディアからのインタビュー取材について、ほぼほぼ断る姿勢を貫いており、今の彼が仕事に対し、どのような心境を抱えているか探る作業は困難だ。
(文=寺西ジャジューカ)