あまりにも明け透けすぎるタイトルの私小説『夫のちんぽが入らない』(扶桑社)がロングセラーとなっている。書店ではちょっと口に出せない題名だが、新人作家・こだまのウイットに富んだ文章によって、夫婦間の性生活が赤裸々かつ軽妙に綴られ、意外にも読者に深い読後感をもたらしてくれる。

英国の人気作家イアン・マキューアンの小説『初夜』(新潮社)を原作にした映画『追想』(原題『On Chesil Beach』)も、新婚夫婦を襲うSEX問題をメインテーマにしたもの。『夫のちんぽが入らない』とはまったく異なるテイスト&展開ながら、やはり観客に深い余韻を与えてくれる。

 映画『追想』の主舞台となるのは、1962年の英国ロンドン。ビートルズがメジャーデビューを果たすメモリアルイヤーだが、まだまだ一般家庭は保守的なところが多かった。そんな時代の変換期に、ロンドン大学に通うエドワード(ビリー・ハウル)は、たまたま顔を出した反水爆運動の集会で、青い瞳の女の子フローレンス(シアーシャ・ローナン)と出逢い、ひと目惚れしてしまう。

 フローレンスは上流階級のお嬢さまで、プロのヴァイオリニストを目指していた。
労働者階級のエドワードはロック音楽好きで、また歴史に埋もれた人物たちについての歴史書を執筆することを夢見ていた。性格も趣味も生まれ育った環境もまるで異なる2人だったが、お互いに強く惹かれ合う。フローレンスは自身がバンマスを務める弦楽団の練習に打ち込む一方、エドワードとの恋愛を育んでいく。エドワードの母親マージョリー(アンヌ=マリー・ダフ)は脳に障害を抱えていたが、清楚で気立てのよいフローレンスは大のお気に入りとなる。エドワードとフローレンスとの恋愛は眩しいほどの輝きを放っていた。

 2人の愛情は本物だった。
労働者階級と上流階級という違いがあったが、若いエドワードとフローレンスは愛があればどんな困難も乗り越えていけると信じて疑わなかった。2人の真剣さに、両家の親たちも結婚を認めることに。晴れて結婚式を終え、新婚夫婦は美しい景観を誇るチェジルビーチのリゾートホテルへと到着。部屋で早めの夕食を摂ることにするが、2人ともこの後に控えている“初夜”のことを考えて、次第に緊張感が高まっていく。フォークを持つ手がブルブルと震えてしまうほどだった。

 恋愛期間中、2人は何度もキスを交わしていたが、SEXはこの日が初めて。
しかもお互いに童貞&処女! 食事もそこそこに、エドワードはフローレンスのドレスを脱がしにかかるも、怒濤の緊張感と不慣れさのために、なかなか背中の留め具を外すことができない。愛する新妻をうまくリードできない焦りが、エドワードを苛立たせる。不安と期待が交叉する中、ようやくベッドに辿り着いた2人。ストッキングを下ろしたフローレンスの美しい脚に、興奮するエドワード。だが、そこから先へと進むにはさらに大きな試練が待ち受けていた。

 なんでもパソコンで検索できる現代と違って、1960年代はまだまだSEXの話題を口にすることはタブーだった。
フローレンスひと筋だったエドワードは、一度も女遊びを経験したことがない。厳格な家庭で育ったフローレンスも、SEXについての不安を両親に相談することができずにいた。こっそり読んだマニュアル本で得た活字上での知識しか持っていなかった。ガチで愛し合っていたエドワードとフローレンスだが、最初のSEXでつまずいてしまうことに。男女間ではよくあることなのに、性経験の乏しい2人はすっかり動揺してしまい、取り返しのつかない事態へと自分たちを追い込む。2人にとって生涯忘れられない初夜となってしまう。


 1994年生まれのシアーシャ・ローナンは、ブレイク作『つぐない』(07)以来となるイアン・マキューアン作品への出演。『つぐない』で13歳ながらアカデミー賞助演女優賞にノミネートされるなど、当時から演技力は折り紙つきだったが、近年は主演作『ブルックリン』(15)や『レディ・バード』(17)で恋愛や初体験に揺れる年ごろの女の子の心情を抜群の絶妙さで演じている。本作でも愛する夫との初SEXにショックを受け、思ってもいなかった暴言を吐いてしまう潔癖症のヒロインを切々と演じてみせる。夕暮れを迎えた砂浜に佇むシアーシャ・ローナンの澄んだ青い瞳は、深い海のような哀しみに満ちている。

 原作小説は読者の想像力に委ねるような余白の多いシンプルなエンディングだが、舞台で演出キャリアを磨いてきたドミニク・クック監督は衝撃的な初夜を迎えた若い主人公たちのその後の人生を味わい深いものへと変えるエピローグを用意している。あれから、ずいぶんと時間が流れた。
初夜のベッド上と違い、コンサート会場に現われたフローレンスは終始落ち着いており、弦楽五重奏楽団のバンマスを堂々と務めている。ヴァイオリンとコントラバスが織り成す音色は軽やかさと深みが一体化し、聴衆の心にしみじみと染み込んでいく。このレベルに達するまでに、彼女らはどれだけの時間と情熱を注いだのだろうか。

 弦楽団の演奏を聴くエドワードのまぶたの裏には、若くて真っすぐで潔癖症だった頃の彼女の姿が鮮明に甦る。あまりにも滑稽で、悲劇的な結末を迎えた2人の恋愛だったが、あのときあの瞬間に彼女を世界中でいちばん愛していたのは間違いなく自分だった。お互いに激しく愛し合い、そして傷つけ合ってしまった。エドワードの心の傷痕に、モーツァルトの弦楽五重奏曲第5番が優しくまとわりつく。それはフローレンスとエドワードだけの秘密だった。
(文=長野辰次)

『追想』
原作・脚本/イアン・マキューアン 監督/ドミニク・クック
出演/シアーシャ・ローナン、ビリー・ハウル、エミリー・ワトソン、アンヌ=マリー・ダフ、サミュエル・ウェスト
配給/東北新社、STAR CHANNEL MOVIES 8月10日よりTOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー中
(C)British Broadcasting Corporation / Number 9 FilmsChesil) Limited 2017
http://tsuisou.jp

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