テレビウォッチャーの飲用てれびさんが、先週(6月9~15日)に見たテレビの気になる発言をピックアップします。
マツコ・デラックス「闇が深いもん。「私、マジメに山里さんロスで」
株式トレーダーの若林史江はそう語る。10日の『5時に夢中!』(TOKYO MX)で、蒼井優と結婚した山里亮太が株を上げているという記事が取り上げられたときのことだ。
「今まで芸能人にそういう思いって抱いたことがないんですけど、ネットの記事が見られないぐらい。一時期、あの2人の記事ばっかだったじゃないですか。それがツラくて見られないぐらい、山里さんロスなの」
若林いわく、芸能人を本気で好きになることが自分は今までなかった。そんな自分にとって、山里は初めて本気になったテレビの中の人だ。前からさわやかでカッコいいと思っていたが、先日初めて山里に会い、その印象が正しいことを再認識した。もしも時間が巻き戻せて自分が未婚のときに出会っていたら、山里に積極的にアプローチしたかもしれない。そのぐらい、どストライクだ――。若林はそう熱く語る。
結婚会見後、山里はさまざまに再評価された。「前から頭がいいと思っていた」「カッコいいと思っていた」「誠実だと思っていた」。
また、マツコは言う。しばらく前から、山里は幸せそうな顔をしていた。だから、「手に入れてしまった人間は、面白くないわね」というようなイジりを、結婚発表前から山里にしてしまっていた。こんなことになるとは思わなかったので、先日メールで山里に謝罪した。
そして、MCのふかわりょうに「山里さん、今後の身の振り方は……」と尋ねられると、マツコはこう答えた。
「あの人はね、根深いからね。幸せになったぐらいじゃ変わらないと思う。闇が深いもん。
ラジオでも、伊集院光が同じような話をしていた(『伊集院光の深夜の馬鹿力』TBSラジオ) 。コンプレックスキャラの自分が幸せになると、面白くなくなるのではないか。そんな悩みを山里は抱いているようだが、大丈夫だ。自分と山里が同じような「心底ねじくれ曲がった心」の持ち主と仮定するならば、いくら周囲の環境が良くなっても、己の内側からどんどん黒いもの、いがらっぽいものは湧き出てくる。元アイドルと結婚した自分が、それを保証する。
「だから山里くん、なんの問題もない。どんなに一瞬幸せみたいなものをつかもうがね、僕と山里くんが同じだとするならばですけれども、一切それはなくなりませんから。これを祝福の言葉と代えさせていただきます」
自分の底にあるものは簡単には変わらない。でも、大丈夫だ。だからこそ、大丈夫だ。おめでとう。おそらく、それぞれが山里と同じ根を持っていると感じているのだろう2人の祝辞は、示し合わせることなく似通っていた。
環境が変わっても、年齢を重ねても、人間の根はあまり変わらない。11日放送の『火曜サプライズ』(日本テレビ系)を見て、あらためてそんなことを考えた。この日のゲストは新作映画の公開を控えた岡田准一と木村文乃。ヒロミと一緒に、東京の下町・亀戸を巡るロケをしていた。
「こんにちは、山瀬まみです」
そう言って登場したヒロミは、ゲストの2人を招く前に、こんなことを語った。
「今回のゲストが、あまりロケバラエティでロケに出るっていうのがないっていうね、なかなかの俳優さんと女優さんなんですが。ちょっと大物感が漂っててですね、僕あんまりそういうのダメなんですよ。やっぱりISSAあたりが一番雑に扱えるので。ゲストさんが大物だと、ちょっと僕あんまり味出せないんですけども」
この導入、俳優がバラエティ番組で立ち回りやすいような配慮、状況設定でもあるだろう。岡田については『学校へ行こう!』(TBS系)などでロケの経験を積んでいると思うが、それはひとまず置いておく。
だが、その上で、やはり引っかかる。若手ながら「大物」の俳優や歌手に物怖じせずツッコんだり、「タメ口」をきいたりする。
しかし、これは改変というより、ヒロミのポジションの変化を表す言葉なのだろう。いまやヒロミも54歳。芸能界の中でも、「大物」と呼ばれる立場に足を踏み入れようかという年齢である。そんな彼が年下の俳優を相手に高圧的な態度に出た場合、少し間違えれば視聴者からバッシングを浴びてしまう。
だから、少し自虐を交えつつ、先回りして相手を「大物」と持ち上げ、自分を「小物」に位置付ける。そんな相関図を描くのは、かつてのように「小物」から「大物」に果敢にツッコミを入れていく姿を演出するためではもちろんなく、自身の言動が権力関係を背景とした威圧的なもの、すなわちパワハラに映るのをできる限り避けるためだろう。改変されているのはヒロミの経歴というより、ヒロミをめぐる権力関係である。
他方でヒロミは、「ISSAあたりが一番雑に扱えるので」と一言添えることを忘れない。林家こぶ平(現・正蔵)に対するかつてのヒロミの振る舞いは、今で言えばハラスメントを想起させやすいものだった。
この二面性は、何を意味しているのか?
「『火曜サプライズ』 のロケは初めてですか?」
岡田と木村にそう尋ねたヒロミは、「大人」としてロケをうまく回すことを約束する。
「大丈夫です。僕ですから、一緒にやるのが。すっげーちゃんと短めにやりますから。任せてください。これが若手だとね、結構チンタラやるんですよ。ここはもう大人ですから。スタッフにガッといっちゃいますから。殺しちゃいますから」
ヒロミは、ある世代の屈折を体現しているように見える。今ならハラスメントになる言動があまり問題にされず飛び交っていた時代を、若手として生きてきた。
一方に、ハラスメントの加害者と指弾されないための身の処し方を心得て、実践するヒロミがいる。他方に、それはあくまでも「身の処し方」であること、時代の変化に完全に染まらずに逸脱する俺が思わず出ちゃうことを随所でアピールするヒロミがいる。同じ屈折を抱える者たちに、「やりにくい時代っすね」とでもいうようなメッセージを目配せで送る。そういう二面性の出し入れで生き残る。ヒロミ流、ハラスメント告発社会の泳ぎ方というか。いや、それは別にヒロミの専売特許ではなく、同様の泳法を身につけた小さなヒロミは、そこらへんにいくらでもいるのかもしれない。
今の自分は「いい人キャンペーン」をやっている。テレビから一度姿を消し、その後、あらめて露出を増やし始めたころのヒロミは、しきりにそう言っていた。そんなヒロミに、山里がこうツッコんだことがある(『ナカイの窓』日本テレビ系、2014年10月8日)。
「絶対にいい人は、それを言わないんですけどね」
なるほど、人の根は深い。
(文=飲用てれび<http://inyou.hatenablog.com/>)