光と影の芸術だと、映画は呼ばれてきた。だとすれば、影をまとったスター俳優が主演すれば、映画はより映画らしくなるのではないだろうか。

宮城県石巻を舞台にした『凪待ち』は、2017年にジャニーズ事務所を退所した香取慎吾主演映画。『孤狼の血』『止められるか、俺たちを』(18)、今春公開された『麻雀放浪記2020』と、話題作・問題作を連発する白石和彌監督とのタッグ作だ。勢いのある白石監督が、潜在能力を持て余していた俳優・香取慎吾の未知の魅力をぐいぐいと引き出した力作となっている。

 香取演じる主人公・郁男は、川崎で暮らすギャンブル依存症の男。腕のいい印刷工だが、競輪通いがやめられないため仕事が長続きしない。事実婚状態の亜弓(西田尚美)が実家のある石巻に帰ることになり、郁男も石巻で心機一転を図ることになる。


 亜弓の連れ子である高校生の美波(恒松祐里)が、石巻に向かう車中で郁男に問い掛ける。「結婚しようって、言えばいいじゃん」と。部屋に引きこもって高校に行くことができずにいる美波だが、郁男には懐いていた。郁男の答えはこうだ。「言えないよ。仕事もしないで、ぶらぶらしているだけのろくでなしだし」。
心の優しいダメ男、それが郁男だった。

 石巻では亜弓の幼友達の小野寺(リリー・フランキー)がとても親切に接してくれ、小野寺の紹介で郁男は地元の印刷所で働くことになる。機械に強い郁男は、新しい職場で頼りにされた。その一方、亜弓の別れた夫・村上(音尾琢真)が酒に酔って郁男に絡む。気持ちのいい人もいれば、新参者を嫌う人もいる。多分、これはどこの町でも同じだろう。


 亜弓たちの期待に応えようと、郁男はマジメに仕事に取り組む。石巻には競輪場がないことに安心していた郁男だが、好事魔多し。職場の同僚に誘われて、郁男はついついノミ屋に足を運んでしまう。最初は同僚にアドバイスを送るだけだったが、モニターに映るレースを見てしまうともう我慢できない。瞬く間にギャンブル狂の熱が蘇ってしまう。



 勝てば負けるまで賭け続け、負ければ負けた分を取り戻そうとさらに賭け金をはたいてしまうのがギャンブルの恐ろしさだ。
底なし沼のように、どんどんと郁男はのめり込んでいく。郁男がギャンブルにハマッている間に、恐ろしい事件が起きる。それでも郁男はノミ屋通いをやめられない。これが最後と自分に言い聞かせながらも、手を出しては絶対にいけないお金まで使い込んでしまう。周囲の期待を次々と裏切ってしまう郁男だった。

 郁男は優しい心の持ち主だが、自分にも甘い。
とことん甘い。自分はダメ人間なんだということに甘えている。亜弓や、亜弓の無口な父親・勝美(吉澤健)が救いの手を差し伸べると、一方的に断ち切ろうとしてしまう。ダメ人間のままでいたほうが、ずっと気楽だからだ。幸せを掴み取る勇気がなく、ますます自暴自棄に陥っていく。

 斎藤工主演作『麻雀放浪記2020』ではギャンブルに生き甲斐を見いだすタフな主人公を描いた白石監督が、『凪待ち』ではギャンブルで身を崩す弱い男を主人公としている。
郁男がギャンブル依存症を克服しようとしながらも、何度も何度も失敗してしまう姿を白石監督は執拗に描く。124分という映画の尺の中で乗り越えられるほど、この依存症は甘くない。レースがクライマックスを迎え、打鐘(ジャン)が鳴る瞬間に体の芯が熱くなることを郁男はどうにも抑えることができない。

 郁男はどうしようもないダメ人間だが、これは香取に人間として、男優としての奥行きがあるから成り立つキャラクターだろう。タレントとして陽性の魅力を放つ一方、プライベートは明かさないことでも知られている。42年間生きてきた中で、ずっと胸の奥に収めてきた葛藤や苦悩がキャラクターを通して滲み出ている。ギャンブルに打ち込んでいる間だけはすべてを忘れて熱くなれる郁男は、もうひとりのリアルな香取ではないだろうか。

 亜弓の娘・美波を演じた恒松祐里は、黒沢清監督のSF映画『散歩する侵略者』(17)に続く好演。血の繋がりのない“父親もどき”である郁男への愛憎をくっきりと演じ分けてみせる。美波の祖父にあたる勝美役の吉澤健もすごくいい。吉澤は白石監督の師匠・若松孝二監督作品の常連だった超ベテラン俳優だ。末期がんに冒されながらも、船に乗りつづける老漁師を寡黙に演じてみせる。



 悲しい事件の後、郁男、美波、勝美が“疑似家族”となっていく過程は、白石監督の真骨頂。白石監督のブレイク作『凶悪』(13)や『日本で一番悪い奴ら』(16)では自分に甘いダメ人間同士が集まって、犯罪ファミリーが結成された。だが、『凪待ち』では心に傷を負った者たちが打算抜きで支え合い、マイナスとマイナスが合わさってプラスへと転じることになる。助演陣の好演があって、香取の光と影がいっそう際立つ。

 香取演じる主人公の心の闇をクローズアップしてみせる『凪待ち』だが、ロケが行われた石巻という町もまた闇を抱えている。この町の闇とは、2011年3月に起きた東日本大震災の傷跡だ。表向きはすっかり整地化され、復興を遂げたように見える。だが、他所者の郁男だけでなく、町の人たちも闇営業のノミ屋に通わずにはいられない。郁男よりも、もっと深い闇を隠し持っている人間もいる。そしてエンディングでは、石巻湾の水面下を水中カメラが映し出す。湾の底には廃車や廃品が手つかずのまま残され、8年前に町を襲った津波の荒々しさを今に伝えている。

 この映画は、喪失感を抱えた人々と町とが懸命に再生しようとする物語だ。いつかまた、郁男とこの町に大きなが訪れるかもしれない。しばらくは、静かな凪が続くことを願うばかりだ。この映画、劇場の闇の中でじっくりと味わいたい。

(文=長野辰次)

『凪待ち』

監督/白石和彌 脚本/加藤正人

出演/香取慎吾、恒松祐里、西田尚美、吉澤健、音尾琢真、麿赤兒、不破万作、宮崎吐夢、リリー・フランキー

配給/キノフィルムズ PG12 6月28日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー

©2018「凪待ち」フィルムパートナーズ

http://nagimachi.com

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