――翻訳物として初めて世界的なSFの賞であるヒューゴー賞を受賞した「三体」をはじめ、もはや世界的に評価されるようになった中国SF。さらには映画やゲームのジャンルに至るまで活発化している作品群には、中国の体制批判とも解釈できそうな内容も……。

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『三体』(早川書房)

中国ではここ数年、SFが大ブームに

 もはや現金が不要なほど、電子決済が当たり前になり、屋台や物乞いですらスマホでお金をやり取りする。さらに、高度な顔認証技術で信号無視まで街頭のカメラで監視。個人をスコア化して、優良市民とそうでない市民は受けられるサービスに差が生じる社会システムが構築されようとしている……。

 などなど、日本でもさまざまに報じられる中国の急速なIT化は、まさに『ブレードランナー』や『マイノリティ・リポート』といったSF映画の世界が現実となりつつあるような感すら受けるが、その中国では、人々の想像力がさらに先を見据えようとしているかのように、ここ数年、SFが大ブームになっている。

 その中国のSFブームを代表する作品が、先頃邦訳が出版された、劉慈欣(りゅう・じきん/リウ・ツーシン)の『三体』(大森望、光吉さくら、ワン・チャイ訳・早川書房)。今回邦訳されたのは、『三体』『黒暗森林』『死神永生』の三部作からなるうちの第一部だが、中国では三部作が合わせて2100万部という驚異的な大ベストセラー。翻訳された英米でも100万部以上を売り上げ、2015年には英訳版が翻訳物としてもアジア圏の作品としても初めて、代表的なSFの賞であるヒューゴー賞を受賞。オバマ前大統領やフェイスブックCEOのマーク・ザッカーバーグも賞賛したという話題作である。

 この『三体』が巻き起こした、中国でのSFブームについて、早川書房の担当編集・梅田麻莉絵氏が次のように話す。

「中国でもずっと以前からSF小説は描かれていましたが、子どもや一部のマニアが読むものという受け止められ方をされていました。それが、翻訳物初のヒューゴー賞受賞、つまり世界的に認められたということで、中国政府としても国を挙げて中国SFを発展させようという気運が高まっています。現在、SF大会(ファンや関係者が集まるSFのイベント)は中国中が注目する一大イベントとして、現代的な立派な会場で行われ、来場者には、親と一緒に来た小さい子どもや、若年層が多いのも特徴です」

 ちなみに、『三体』の第二部『黒暗森林』では、日本人の登場人物が、中国でも「宇宙の三国志」として人気の『銀河英雄伝説』の主人公のひとり、ヤン・ウェンリーのセリフを引用するシーンがあるのだが、18年には北京において『銀河英雄伝説』の作者の田中芳樹と『三体』の劉慈欣の対談も、盛況のうちに行われたとのことである。

 さて、このたび刊行された『三体』。物語は、主人公の女性天体物理学者・葉文潔が、少女時代に60年代からの文化大革命の混乱の中で父親を殺されるエピソードから始まる。人間の愚かしさに絶望した彼女は、辺境の軍事基地に赴任するのだが、そこで宇宙から送られてきた謎の信号を受信することになる。

 一方、現代。ナノマテリアル開発者の汪淼は、「三体」という超現実的なVRゲームの世界に招かれる。そこでは、3つの太陽を持ち、恒紀という比較的平穏な気候の時代と、乱紀という厳しい気候の時代が、規則性を持たずに入り乱れて、文明の発生と滅亡が繰り返されていた。「三体問題」とは、3つの星が引力で引き寄せ合うと、どういう動きを示すかという物理学上の命題で、その解法は地球人の物理学でもいまだに解明されていない……。

 これ以上のネタバレは未読の読者の興を削がないように差し控えるが、全宇宙的なスケールの物語の中に、最新の科学技術から中国の古典までが織り込まれた物語は、一度読んだだけでは理解しきれないくらいの奥深さである。

 書評家で翻訳家の大森望氏は、中国語は専門ではないが、英訳と中国語の原文を参照しながら、最新のSFに相応しい日本語にするという、本作の翻訳の中心的な役割を果たした。大森氏が言う。

「中国SFの邦訳では、80年にサンリオSF文庫から出た老舎の風刺小説『猫城記』のような例もありますが、本格SFの長編に限れば『三体』が初めてでしょう。でも、これが中国SFの典型かというと、必ずしもそうではない。

今の中国SFで、劉慈欣はやはり突出した存在だと思います。『三体』が世界的に大成功したことで、他の作家も「『三体』みたいなのを書いてくれ」と言われるみたいですが、なかなか書けるものではない。劉慈欣は、最新の科学技術や宇宙論、量子論を取り入れながら、ものすごくぶっ飛んだことも平気で書く。『三体』の最後のほうに出てくる、ある秘密兵器的なものとか。ほとんどギャグじゃないかと思うような、そういうトンデモSF的な要素と、すごくシリアスで文学的な描写が平然と同居しているのが特徴です。英語圏でも日本でも、今こんなSFを書く人はいない。『三体』は、本格SFの伝統があまりない中国だからこそ生まれた怪作とも言えます」

 一方で、『三体』には、中国で60年代から70年代にかけて、資本家や文化人が糾弾された文化大革命という、中国現代史上の大事件が、物語の重要な要素として登場する。邦訳では、文化大革命時のエピソードは冒頭に登場するが、実は中国で最初に単行本化されたバージョンでは、その箇所は、物語の途中に回想のような形で挟み込まれていた。

 ところが英訳版では、雑誌連載時と同じく、その箇所が冒頭になっている。本来、作者が意図していたのはそちらの構成だったということで、邦訳もその構成を採用している。
 中国語版で文化大革命を冒頭に持ってくることを避けたのは、政府当局を刺激するのを避けたかったからではないかとも推測されるが、真意は不明だ。なお、発電所でエンジニアをしながらSF小説を書き始めたという経歴の劉慈欣は63年生まれで、文化大革命の時代を記憶している世代である。

 従来、英米にはほとんど紹介されていなかった中国SFが、多く英訳されるようになったのは、中国系アメリカ人のSF作家、ケン・リュウの功績が大きい。『紙の動物園』(早川書房)など、自身のSF小説を数多く執筆する傍ら、ケン・リュウは中国SFの翻訳も多く手がけた。そのケン・リュウが編者となって、複数の作家による中国SFの優れた短編を集めたアンソロジーが『折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー』(新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)である。

 中国では、経済成長の一方で格差社会化も進むと共に、IT技術の進歩を背景とした、高度な監視社会が現実のものとなりつつある。『折りたたみ北京』には、そんな現代中国をSFの形を借りて風刺したとも取れそうな作品が多く収録されている。

 例えば表題作である、景芳(ハオ・ジンファン)の『折りたたみ北京』では、北京は富裕層が住む第一スペース、中間層が住む第二スペース、貧困層が住む第三スペースに完全に分断されており、定刻が来ると地面が回転して収納された人たちが眠りにつくのだが、第一スペースの住人には午前6時から翌朝6時までの時間が割り当てられているのに対し、第三スペースの貧困層は午後10時から午前6時の夜間に活動しなければならない。

 第一スペースと第三スペースは物価も生活様式も完全に別世界であり、お互いの住人たちはほとんど交流することはない。これを読む欧米や日本の読者は、農村と都市、富裕層と貧困層の格差が広がる中国の現実のことが、必然的に頭をよぎるだろう。

 また、これも同書に収録されている馬伯庸(マー・ボーヨン)の『沈黙都市』という短編では、社会は極めて厳格な言論統制社会となっており、言ってはならない言葉が決められる状態からさらに進んで“言ってもよい”と許可された言葉しか話してはいけないことになっている。

 ネットは国から与えられたIDでしか書き込むことはできず、口元にはフィルター付きマスクを装着させられ、発する言葉もすべて国家に監視されている。

 周知のように、実際の中国も、言論統制の強い社会であり、ネットではグーグルやフェイスブックといった外国のサービスは使うことができず、百度や微博といった国産のプラットフォームでは、政府批判ができないよう、厳しい監視が行われている。89年の天安門事件について書き込むことは最大級のタブーであり、事件が起こった八九六四(89年6月4日)という数字も検索することができないというのは、よく知られている。

 これらの作品については、SFの形を借りた社会批判であると読み解くこともできそうで、日本人としては、ついそのような読み方をしてしまいたくなるだろう。

 だが、『折りたたみ北京』の編者のケン・リュウは、同書の冒頭にある解説で、そのように中国SFを中国社会への批判のメタファーだと解釈したい、という誘惑に対し、読者は抵抗してほしい、と書いている。いわく「中国の作家の政治的関心が西側の読者の期待するものと同じだと想像するのは、よく言って傲慢であり、悪く言えば危険なのです。中国の作家たちは、地球について、単に中国だけではなく人類全体について、言葉を発しており、その観点から彼らの作品を理解しようとするほうがはるかに実りの多いアプローチである、と私は思います」とのことである。

 この点について、前出の大森望氏は、このような見方を述べる。

「中国のSF作家たちが、政治的な意図はないと言うのには、2つの意味があるような気がします。ひとつは、せっかく今のところ自由に書けているのに、体制批判だと取られたら不自由になってしまうから、余計なことは言わないでくれ、と。もうひとつは、劉慈欣が典型ですが、自分はSFが好きでSFを書いているのであって、SFを何かの道具に使っているわけではない、ということですね」

 とは言いながら大森氏は、特にアメリカの読者は『三体』の第二部以降の展開に、中国とアメリカの技術競争のメタファーを読み取った人が多かったようだ、とも付け加える。アメリカでは、現代中国を理解するためのツールとしても、『三体』はよく読まれたという経緯があったようだ。

 折しも、トランプ政権と習近平体制の間では、中国の携帯電話メーカー、ファーウェイをめぐる貿易摩擦が緊張を増している。また、先頃は香港で、中国へ刑事事件の容疑者を引き渡す「逃亡犯条例」の改正案の撤回を求めた大規模なデモが発生。また、新疆ではウイグル人に対する厳しい弾圧が行われているなど、中国SFにそういった政治問題を読み取ろうとするか、それとも純粋にSFとしてだけ楽しむかは、読者個々人によって分かれるところだろう。

 中国人たちに天安門事件の思い出をインタビューした『八九六四「天安門事件」は再び起きるか』(KADOKAWA)など、中国を取材した多くの著作がある安田峰俊氏は、中国人の心象風景についてこのように話す。

「日本人には、文明が進歩するとかえって悪いことが起こる、と警鐘を鳴らす考えがかなり強いと思うのですが、中国人にはあまりそういう考えはないんです。ほとんどの人は、この20~30年で中国が急速に豊かになったことを素直に喜んでいる。格差社会といっても、貧しい人たちだって10年前と比べれば、確実にボトムアップしているので、昔と比べたら今のほうがいい、と思っている人がほとんどでしょうね。また、日本人はまだ弱者や高齢者に合わせようという考えが多少はありますが、トップを走る人を基準にして、皆でそこに追いつこうとしているのが、今の中国の基本的な生き方であり、社会の仕組みになっているんです」

 そうすると、文明が進歩すると悲惨な未来が待っているという類いの、一部のディストピア的な中国SFは、別に国家批判ではなく、単なる想像力の楽しみ、センス・オブ・ワンダーとして読むのが正しいのだろうか。

小説から始まり、映画、ゲームまで…世界的人気を誇る新金脈! 急速に広がる“中国SF”の世界
日本でも人気を博したスマホゲーム『荒野行動』。

 さて、ここまで中国におけるSF小説を見てきたが、ここでSF映画に目を転じてみよう。近年、『オデッセイ』や『メッセージ』など、ハリウッド産のSF映画のストーリーにおいて、中国が重要な役回りを果たすことが非常に多くなっている。最近のハリウッド映画は、アリババなど、中国資本から資金提供を受けることも多く、また、中国人が関わっているとなると、中国での観客動員に拍車がかかるため、このような例が増えていると考えていいだろう。とはいえ、これらはあくまでアメリカ人が作ったハリウッド映画であったのだが、今年、スタッフもキャストもほとんどが中国人の純中国産SF映画が、春節中の興行収入約330億円という、驚異的なヒットを記録した。

『流転の地球』という邦題で、現在Netflixでも配信されているその映画は、『三体』の著者である劉慈欣の短編が原作だが、キャラクター、ストーリーは原作とは大幅に異なる。映画では、太陽膨張の危機から逃れるため、地球全体を遠い宇宙に移動させる、という壮大かつトンデモなプロジェクトが行われている未来を舞台に、中国人たちが地球の危機を救うために奮闘するさまが、ハリウッドにも引けを取らないCG技術で展開される。

 全体的に中国人の誇りをくすぐる中華バンザイなストーリーではあるが、地上が荒廃していても、人工知能による交通違反減点システムが生真面目に機能していたり、放り込まれた留置所の看守に、主人公の祖父が賄賂として、長年収集したアダルトVRソフトを渡そうとしたり、何やら中国社会への風刺とも取れそうなシーンも多い。未来の地下都市なのに、中国文化の伝統はしっかり守られているあたりも含め、「中国でもSF大作は作れるぞ!」といった、中国SF界の躍進を感じさせる。

 SFといえば、ゲームもSF要素の強いジャンルであり、最近は中国産のスマホゲームが日本語版でリリースされて、日本でも人気を博すようになっている。

『ドールズフロントライン』は、『少女前線』という中国版のタイトルが日本では商標登録の関係で使用できず、この名前になったのだが、日本アニメの作風そのままのイラストに、声優まで日本人を使っており、日本産のゲームと比べてもまったく遜色のないクオリティである。兵器を美少女化したキャラクターには、機械生命体の戦術人形という設定がなされており、SF的にも目端の利いた作品となっている。

 中国産スマホゲームは、ほかにも『アズールレーン』『荒野行動』などが人気を博しており、これからも新たなタイトルが続々日本に上陸しそうである。SF小説では、際立って注目されているのは劉慈欣ひとりであるものの、多くの作家がそれに続いており、また映画やゲームといったさまざまなジャンルに裾野を広げつつある中国SFは、中国の体制を批判する人にもそうでない人にも、見過ごすことのできない存在感をさらに増す勢いがある。日本人は、中国人は日本の文化の後追いをしているようなイメージをいまだに持っているかもしれないが、実はすでに中国文化は日本を飛び越えて、アメリカを始め世界で注目されるまでに成長していたのだ。(サイゾー8月号『中韓(禁)エンタメ大全』より)

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