NHK公式サイトより

 25日放送のNHK『ノーナレ』で、養子縁組したある家族が取り上げられた。

 東村山市に住む山内きみ江さん(85歳)は、ハンセン病を患ったことを理由に子どもを持つことが許されなかったつらい経験を持つ。

 貧しい農家に三男五女の三女として生まれたきみ江さんさんは、小学3年生のころにハンセン病を発症。時にそんな体に産んだ両親を恨み、年頃になり同世代の女性が結婚したと聞くと寂しくてたまらなかったという。

 その後、家族や友人と引き離され、療養所に入所させられたきみ江さんは、”断種”を条件に、同じ入所者だった夫と見合い結婚をした。当時療養所では、子どもを持つことは許されなかったのだ。しかも夫は肝硬変を患っており、ベッドに寝た切りの状態で、医師から告げられた余命はわずか4年。断種手術により、余命がさらに短くなることも心配されたが、「俺だって男だ」と、手術を受けたという。

 子どもが欲しくてたまらなかったというきみ江さんだが、67歳のときに転機が訪れる。日頃お世話になっているお寺から、「もうすぐ高校を卒業する里子のひとりを養子にして引き取らないかと」と申し入れがあり、マユミさんを養子として迎えることになったのだ。

 マユミさんは物心ついたときには、すでに兄と共に施設に預けられていた。一度だけ母が訪ねてきたというが、記憶に残っていない。さらにその母は施設の前で焼身自殺を図った。その後、お寺に預けられ、ほかの里子4人と共に育つ。

「今さら家族が変わることは嫌じゃなかったし、今度は山内さんとこね、くらいの感じでした。“やった、東京に行ける”って」

 お寺での厳しい生活から解放され、髪を染めたり、ピアスの穴を開けたり、自由を謳歌し始めたマユミさん。特に父親はマユミさんをかわいがり、「お金が足りない」と泣きつけば、「しょうがないな。お母さんには内緒だぞ」と出してくれたという。

 時にはケンカもしながら少しずつ親子の距離を縮める中、事件が起きる。マユミさんが21歳のとき、妊娠が発覚したのだ。

当時付き合っていた2歳年下の男性は、妊娠を告げるとマユミさんの元から去った。 産みたいけど、経済力はないし、どうしたらいいのかわからない――神にもすがる気持ちで母親(きみ江さん)に相談した。

「最終的には、そんな親のところに来る子どもはかわいそうだって。産むか産まないか悩んでいる親のところに来るのはかわいそう、ましてや経済力のない親のところに来る子どもはかわいそう。それを考えたら、次にちゃんとした相手との間に子どもが生まれたら、その子を2人分愛しなさい。けじめをつけなさいって」

 子どもを産めなかったからこそ、鬼となって自分を諭してくれた母親。

この件をきっかけに、2人は本当の意味で親子になったという。

 そんなマユミさんは現在、夫と3人の息子たちと一緒に幸せに暮らしている。長男はマユミさんの実兄の子どもだが、DVが原因で離婚し、両親は失踪。マユミさん夫婦が引き取り、養子にしたという。長男は、母親と別の男性の間にできた子どもだったため、実際は叔母でもなんでもないが、「この子を引き取りたい」というマユミさんに、夫も同意してくれた。

「ワケありってちょっと傷がついてる、規格外なだけ。

だけど中身は変わらない。ワケあり大歓迎です」(マユミさん)

 養子縁組、ハンセン病、虐待という重いテーマながら、全編から伝わってくるのは悲壮感ではなく、家族の温かさと強さだ。

 特に、病気の影響で指が変形してしまったきみ江さんが、慣れた様子で包丁を持ち、丁寧に皮をむいているシーンは印象的だ。

 きみ江さんは言う。

「私はよく食べる物に例えるんだけど、同じりんごでも、お店に売られてるピカピカの物はりんごって呼ぶけど、木から落ちちゃったりしたら“ワケあり”とか言われる。木から落とされて蹴飛ばされて踏まれてるような果物があるとするなら、私はそういう人間かもしれない。

でも、踏まれても蹴られても私はりんごなんだ。人が食べてくれるまで頑張ろうって、そう思うから。りんごはりんごなんだ。人間は人間なんだって」。

 一方、マユミさんは、「もし家族を色に例えるならレインボー、虹そのもの」と笑う。

 血のつながりだけが家族ではない。それぞれ事情を抱えた他人同士が型を寄せ合い、家族を築き上げることもできる。自分が人から傷つけられ、”キズモノ”として扱われてきた分、誰にでも優しくあろうとするきみ江さん、そして杉山家には、笑顔があふれていた。