千鳥

テレビウォッチャーの飲用てれびさんが、先週(12月8~14日)に見たテレビの気になる発言をピックアップします。

千鳥・大悟「開いとる店は開いとるけど、閉まっとる店は閉まっとる」

 ステージを降りた千鳥のノブは振り返る。

「この漫才やろうって言いだして、当日までずっと怖かったです」

 8日の『THE MANZAI 2019 マスターズ』(フジテレビ系)。合計23組の芸人がおのおのの持ち味を発揮した漫才を披露したが、ネタの珍妙さにおいて群を抜いていたのは、やはり千鳥だった。センターマイクの前に立ち、軽く客席をいじりながら始まった彼らの漫才。大悟の一言から状況は動きだす。

「あれやねぇ……ラーメンはおいしいな」

 みんなラーメンは大好きだ。ワシ(大悟)も同じく好きだ。

けれど、ちょっと問題もある。

「夜の10時ぐらいに行くとや、ラーメン屋さんって開いてる店は開いてるけど、閉まっとるとこは閉まっとるからな」

 ラーメン店は、昼に行ったら普通は開いている。3時から5時ぐらいまで休憩している店もあるけれど、5時から9時ぐらいまではたいてい開いている。ただ――。

「10時っていうのはな、開いとる店は開いとるけど、閉まっとるとこは閉まっとるからな」

 客席の皆さんも行ってみればいい。開いとる店は開いとるけど、閉まっとる店は閉まっとる。

ワシはおかしなことはひとつも言っていない。経験上、開いとる店が閉まっとって、閉まっとる店が開いとることはない。

 ラーメンの味は関係ない。しょう油であれ塩であれとんこつであれ、開いとる店は開いとるけど、閉まっとる店は閉まっとる。最近はやっているあっさりしょう油のラーメン屋も、開いとる店は開いとるけど、閉まっとる店は閉まっとる。しょう油ラーメンの店に行くとしよう。

すると、開いとる店なので開いとる。あっちの店ラーメンの店は閉まっとる店だから閉まっとる可能性がある。一か八か あっちのラーメン屋に行ってみよう。すると、閉まっとる店やったから閉まっとった。

「怖いのよ、もう」

 永遠に続くかに見えた「開いとる店は~」のループに、ここでようやくノブが重めのツッコミを入れる。しかし大悟は止まらない。

ノブは話をそらしたり、大悟をセンターマイクに近づかせないようにしたり、手を替え品を替え、例の一言を言わせまいとする。しかし、タイムループものの物語のように、大悟の言葉はどうやったってこの一言に着地する。

「開いとる店は開いとるけど、閉まっとる店は閉まっとる」

 繰り返される同じフレーズ。絶対に誤りようのないトートロジー。しかし、いかに正しいメッセージでも、それを何度も繰り返すという状況は異常である。トランス状態になってくる。

大悟が「開いとる」「閉まっとる」と言うときの「る」の巻き舌が耳に残る。大悟が「開いとる店は~」と言い始める前に期待して笑ってしまう。「開いとる店は~」と言い始めると期待通りで笑ってしまう。舞台の上で繰り広げられているのが、同じフレーズの反復であるだけでなく、高校からの友人だという2人がこれまで繰り返してきたであろう、たわいもない戯れの反復にも見えてくる。

 境界線が揺らぐ。開いてる店は開いているし、閉まってる店は閉まってる。

ということでよかっただろうか?

境界線を揺るがす、千鳥とウーマンラッシュアワーの漫才
ウーマンラッシュアワーの村本

 ステージを降りたウーマンラッシュアワーの村本は振り返る。

「お客さんがみるみるうちに、どの顔で聞いたらいいかわからない顔(になるの)が最高でした」

 賞レース形式だった『THE MANZAI』でウーマンラッシュアワーが優勝したのは2013年。当時はバイトリーダーのネタなどを披露していたが、その後の彼らの漫才は、政治問題や社会問題をふんだんに盛り込んだスタイルになっている。

 今回の『THE MANZAI』で披露したネタも、冒頭こそ吉本芸人の“闇営業”といった話題だったものの、そこから話題は他の漫才師があまり手を付けないテーマへと踏み出していく。原発が数多く立地する福井県の若狭湾、その大飯郡おおい町出身だという村本は、客席を見つめながら連呼する。

「原発原発原発原発原発原発原発原発原発ね。みなさんが日頃から逃げてる言葉を浴びせてやりましたよ」

 村本は続ける。2年前にも、原発問題を盛り込んだネタを、この『THE MANZAI』の舞台で披露した。すると、「どうせお前らの町は原発で飯を食ってるくせに」と批判を受けた。確かに、地元には「原発で飯を食っている」人もいる。でも、そうでない人もいる。自分の祖母は農家をしている。ひとくくりに「原発で飯を食っている」と言われると、ムカつきもする。

 とはいうものの、と村本は切り返す。自分の近所の人や親戚には「原発で飯を食っている」人がいるだろう。自分の発言が誰かに迷惑をかけてしまうかもしれない。それに地元の人からしたら、原発があったら安全面で怖いし、なくても経済面で怖い。だが、人の利害や心情が絡み合ったそんな状況を気にせず、外野は原発の是非を二項対立で議論する。

「ウルトラマンと怪獣ばっかり応援して、その足元で家がたくさん潰されてることは無視するわけですよ」

 ここから村本の弁舌はさらに円滑になる。沖縄の基地問題、台風の避難所でのホームレスの拒否、朝鮮学校の問題、語りたい内容はたくさんある。今日はカメラの向こうの社会としゃべりたい。だが、こんなテーマについて誰かに語ると「みんながどういうテンションで聞いたらいいかわからない」とも言われる。では、そこで前提にされている「みんな」とは誰か。「みんな」の中に、果たしてホームレスや朝鮮学校の子どもたちはいるのか? センターマイクを握りしめた村本は喝破する。

「いつでもみんなの中にいない人がいて、みんなの中にいない人が透明人間にされて、透明人間の言葉は誰にも聞かれないようになるんですよ。透明人間がいっぱい日本にはいるわけですよ」

 政治問題を発信すると、そこには肯定派と否定派、友と敵の二項対立の構図が即座に描かれる。現にウーマンがテレビでネタをすると、ネットでは賛否が巻き起こる。絶対的な肯定派と絶対的な否定派が場外乱闘を繰り広げる。私たちの間に鋭い境界線が走る。分断が起きる。しかし、村本が少なくともこのネタの中でメッセージのひとつとして発信していたのは分断とは逆のこと、「みんな」のイメージを広げませんかということではなかったか。

 さて、村本は語り続ける。こういうネタをしている自分は、全国の原発がある地域に呼ばれて話をすることがある。それを聞きつけた小泉純一郎元総理と先日、原発をテーマに対談をしてきた。しかし――。

「そこで最近気づいたんですが、いま原発で飯食ってるの私でした!」

 冒頭の伏線を回収し、自分で自分をネタにする。ひとくくりにできない現状の中に、そんな「みんな」の中に、自分自身も投げ込んでいく。きれいなオチに笑った。

 村本は最後に言い放つ。

「笑いは緊張からの解放ですから、今お前らを逃してやったのは俺だぞ。じゃあな」

 境界線が揺らぐ。今日はカメラの向こうの社会としゃべりたいと言って彼がこっちをチラッと見た時、私はどんな顔で画面を見ていただろうか?