オタワ国際アニメーション映画祭で長編部門グランプリを受賞した岩井澤健治監督の『音楽』。日本人監督の受賞は湯浅政明監督に続く2人目の快挙だった。

 楽器なんてまともに触ったことがないし、演奏方法を親切に教えてくれる人もいなかった。でも、無性にバンドがやりたくて仕方なかった。暇を持て余していた仲間に声を掛け、とりあえずバンドの真似事を始め、音を出してみる。すげー、気持ちいい。演奏を続けると、ますます気持ちいい。2009年に刊行された漫画家・大橋裕之のコミック『音楽と漫画』(太田出版)に収録された『音楽』は、主人公の「バンドやらないか?」というひと言から始まるストーリーだ。初期衝動だけで突っ走る高校生たちの一瞬の輝きを描いた個性派漫画家の初期代表作が、制作期間7年以上という歳月を費やし、長編アニメ『音楽』として劇場公開される。

 本作で商業デビューを飾るのは、大橋裕之(1980年生まれ)と同世代の岩井澤健治監督(1981年生まれ)。短編アニメ『福来町、トンネル路地の男』(08)で注目を集め、松江哲明監督のドキュメンタリー映画『フラッシュバックメモリーズ3D』(12)のアニメーションパートを担当。2012年に『音楽』をアニメ化することを公表して以降、岩井澤監督は作画枚数4万枚以上をひとりでコツコツと描き続けた。初期衝動をテーマにした作品を、ほぼ独力で7年の歳月を費やしてのアニメーション化。気が遠くなるような作業だが、完成した作品はそんな苦労を微塵も感じさせない、爽快な青春&音楽アニメーションとなっている。

 主人公は高校3年生の研二(声:坂本慎一郎)。コワモテで、他校の不良たちを相手にケンカばかりやってきた。ところが、ある日ふとバンドをやることを思いつき、ケンカ仲間の太田(声:前野朋哉)と朝倉(声:芹澤興人)を誘い、自宅での演奏を始める。高校最後の夏を迎え、研二たちの青春が始まろうとしていた。

 研二たちは楽器のことは何も分からず、とりあえず手に入れたベース2本とドラムだけという変則構成のバンドを結成する。コードもチューニングもチンプンカンプンだったが、3人で「せえの」と楽器を鳴らしてみる。ボォォォォォーン。思った以上に低く響く音だった。このとき、3人の体に衝撃が走る。

 それまでケンカ相手をぶん殴ることでしか自分の感情を吐き出せなかった研二たちが、初めて暴力以外の表現方法を手に入れた瞬間だった。SF映画の金字塔『2001年宇宙の旅』(68)の類人猿が初めて道具を手にして二足歩行を始めたような、そんな荘厳さすら感じさせる序盤となっている。

“初期衝動”だけでどこまで走り続けられるのか?  大橋裕之の人気漫画を7年かけて映画化『音楽』
初めてベースギターを手にした研二(声:坂本慎一郎)。
オリジナルの曲づくりに熱中していくことで、退屈な日常生活が大きく変貌を遂げていく。

 研二たちが自宅に集まって何やら始めたことが気になり、ヤンキー仲間の亜矢(声:駒井蓮)は研二の家まで演奏を聴きにいく。歌詞もなければ、曲としても完成していない力任せの演奏だったが、「男らしくていいんじゃない」と亜矢には好評だった。上機嫌の研二たちはバンド名を「古武術」と決めた。ケンカしか能のなかった3人組は、ミュージシャンという新しい顔を持つことになった。新しい顔はピカピカに輝いている。

 演奏方法はまるでデタラメな「古武術」だったが、彼らの演奏には元々のロック音楽が持っていた荒々しい初期衝動が詰まっていた。超不良高校からの襲撃や研二と亜矢との甘酸っぱい海辺のエピソードなども織り込みながら、「古武術」は町内で開かれる音楽フェスティバルに出場することが決まる。初期衝動だけで突っ走ってきた「古武術」は、初めてのライブを成功させることができるのか。かつて見たことのない珍妙で、ワイルドなステージが幕を開ける。

 大橋裕之の描くあの独特な目をしたキャラクターたちが、スクリーンの中でリアルに動き、走り、そして楽器を持って演奏する。岩井俊二監督の長編アニメ『花とアリス殺人事件』(15)にも使われた「ロトスコープ」と呼ばれる、実際の人間の動きをトレースしてアニメーション化した手法が活かされている。

何だか最新技術を用いているように思えるが、原画はすべて手描きとのこと。ちなみに研二の声を演じているのは、園子温監督の大ブレイク作『愛のむきだし』(09)の主題歌「空洞です」を歌った元「ゆらゆら帝国」の坂本慎一郎だ。

 原作コミックでは研二たちの演奏は、基本「ボボボボボボ」という擬音でしか表現されていなかった。だが、今回のアニメ版はリアルな動きと同じように、研二たちの演奏にもリアルな音が付けられている。決して上手すぎず、でも人を惹きつける力のある音楽がスクリーンから流れ出る。クライマックスの野外フェスシーンにはサプライズも用意され、観客に至福の時間をもたらせてくれる。

 初期衝動だけで突っ走ってきた「古武術」だったが、人前で演奏することで、さらにもうひとつ上の高みへと上る。ケンカに明け暮れていた日々よりは、少しだけ見渡しがよくなる。もちろん、プロデビューできるかどうかとかは別問題だし、オーディエンスが多くなればなるほど声援だけでなく、ディスる声も増えていくことになる。

“初期衝動”だけでどこまで走り続けられるのか?  大橋裕之の人気漫画を7年かけて映画化『音楽』
ビートルズやピンク・フロイドのほか、ロックの名盤のジャケ画を模したシーンがいろいろと登場する。洋楽好きな人も楽しめるはず。

 人前で何かを表現することで、閉塞感を抱えていた人間が社会と繋がることができる。

コミュニケーションの始まりだ。うまいか下手かは関係ない。何者でもなかった生き物が、ひとりの何者かへと進化を遂げようとする瞬間でもある。大橋裕之の原作コミックからも、岩井澤監督の手描きのアニメーションからも、そんな喜びが溢れ出ている。だが、表現活動は両刃の剣でもある。振り切った表現は、必ずしも多くの人に理解されるとは限らず、厳しい批評にさらされ、自分自身も傷つきかねない。また、表現活動を熱心に続ければ続けるほどテクニックは上達するが、その分だけ初期衝動は次第に薄れてしまう。

 それでも、それでもやっぱり音楽を続けたい。何かを表現したい。言葉にはないならない心の声を発したい。社会的モラルに縛られずに、体の奥から生じる熱いものを外の世界へと解き放ちたい。それが自分は生きているという証だからだ。

 研二にとって高3の初夏に出会ったベースギターは、『2001年宇宙の旅』に現れた石板・モノリスみたいなものだ。研二たちにとっては、一生忘れることができない出会いだった。研二たちはモノリスに触れたことで、それまでの自分とは違うもうひとりの自分へと進化した。研二たちが楽器と出会ったように、誰にもその人の一生を決定してしまうような大切な出会いがある。そんな大切な一生の出会いを、アニメーション映画『音楽』はくっきりと描いている。アニメーションとは、そして映画とは、生きることを肯定し、祝福するための表現である。

(文=長野辰次)

 

“初期衝動”だけでどこまで走り続けられるのか?  大橋裕之の人気漫画を7年かけて映画化『音楽』

『音楽』
原作/大橋裕之 脚本・絵コンテ・キャラクターデザイン・編集・監督/岩井澤健治 
音楽/伴瀬朝彦、GRANDFUNK 、澤部渡(スカート) 主題歌/ドレスコーズ
声の出演/坂本慎一郎、駒井蓮、前野朋也、芹澤興人、平岩紙、竹中直人、岡村靖幸
配給/ロックンロール・マウンテン
1月10日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開
(c)大橋裕之 ロックンロール・マウンテン Tip Top

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