またも名会見……「中居劇場」と報じられるほどの名会見となった。
中居正広が21日、所属するジャニーズ事務所からの退所と個人会社「のんびりな会」の設立を発表した。
元SMAPのメンバーたちへの報告や事務所との今後の関係、ジャニーさんへの思いや先輩・東山紀之や今や副社長となった滝沢秀明らへの配慮など、迫りくる質問をうまく回避したり記者をいじったりしながら、中居らしいコメントで仕切り倒した。
長らくSMAPのリーダーとして、個性強めなメンバーをまとめてきた中居。芸能界でも司会者として不動の地位を確立してきた。そんな“中居劇場”として思い出されるのは、元メンバーでオートレーサーに転身するためSMAP脱退を決めた森且行の会見(1996年)に駆けつけた中居正広の姿は今でも語り草になっている。
「のちに他のメンバーは出演を止められていたという噂もたった中で、中居さんは読売ジャイアンツのユニフォームを着て登場。ど頭から『あいにくスケジュールの都合で森くんはこれない』と冗談をいい、記者の笑いを誘っていました。その後も、『木村くんの1億円の家に関してはノーコメントで!』など冗談を連発。当時、人気絶頂のSMAPからの脱退会見ということで、ものものしかった現場の雰囲気を上手に和ませていました。『ジャイアンツのユニフォームを着て行ったのは野球選手になる夢を叶えられなかった中居くんなりの森くんへのエールだった』などという伝説も語り継がれています」(芸能リポーター)
これまで、所属タレントの圧倒的な人気を盾に、マスコミへのメディア統制を敷いてきたジャニーズ。スキャンダルやグループの解散、脱退があっても必ずしも会見を開くわけではない。例えば・関ジャニ∞、渋谷すばる脱退記者会見(18年)は、メンバーそれぞれが渋谷すばる脱退への率直な思いを語り、また関ジャニらしく途中に笑いも挟むなど、ネガティブな印象を与えない会見となり、この脱退は「円満退社」として捉えられたが、翌19年錦戸亮脱退の際は会見は開かれず、この差を疑問視する声もある。
ジャニーズが開いてきた会見の歴史をピックアップして紐解くと、各タレントのポテンシャルが浮き彫りになってくるわけだ。
例えば89年、近藤真彦が、中森明菜と並んでひらいたいわゆる金屏風会見だ。89年7月にマッチの自宅で自殺未遂を起こしていた明菜。同年の大晦日、金屏風が用意されていた会場で、記者もてっきり婚約発表かと思いきや、明菜ひとりが出てきて涙ながらに「皆さんにご迷惑をおかけし、そしてご心配をおかけしたことを本当に深くお詫び申し上げます……」と、か細い声で騒動について謝罪したのだ。
「マッさんチも途中で出てきましたが、明菜さんとの結婚に対する質問にも『そういうことはまったくありません』とキッパリ否定。現場は完全に統制され、後に続くジャニーズの恐ろしさを知らしめた歴史的会見となりました」(同)
また、中居と同じ元SMAPメンバー・木村拓哉の結婚会見(00年)も、彼らしさが暴発している。
00年11月、スポーツニッポンにより「キムタク、パパに」の見出しで超ド級のスクープが投下。さいたまスーパーアリーナでのSMAPのライブ終了後に、緊急結婚会見を開かれた。そこで木村は「結婚します」とあっさり一言。にこやかさはなく、淡々と聞かれたことに答えるだけで、どこか不機嫌そうでもあった。
「当時人気絶頂のSMAPにおいて、その人気を牽引してきたのが木村拓哉その人だった。そんな中での突然の結婚から会見となり、緊急にも関わらず200人近い記者が集まりました。関係ンの中では、『本当は自分の声で最初に報告したかったです』という言葉も飛び出すなど、不本意さが伝わってくるものに。
現役男性アイドルの結婚という意味では木村拓哉の会見は、のちの所属タレントたちへも強い影響を与えたと言っていいだろう。例えば井ノ原快彦は、ジャニーズ史上初の2ショット記者会見(07年)を敢行、現役アイドルの結婚が今以上にタブー視されていた当時において、ジャニーズタレントの2ショット会見は史上初だったとか。会見場へ上がる際には瀬戸朝香をエスコートする姿なども映し出され、ひたすら好感度が爆上がり。終始にこやかな会見となった。「あさイチ」(NHK)の司会に抜擢されるだけのことはある清潔感は、この頃から発揮されていたわけだ。
そして近年で最も名会見とほまれ高いのが、山口を抜いたTOKIOメンバー4人による謝罪会見(18年)だ。
会見では、全員涙ながらに謝罪。中でも松岡昌宏は理路整然と記者からの質問に答え、また山口に対しても「あなたは病気ですと言いました」「ずるい」「情けない先輩」などと厳しくコメントし、その男気が絶賛された。
「『松岡くんのファンになりそう』という声が溢れ、この謝罪会見をきっかけにあらたにTOKIOのファンになる『謝罪出の新規』というネットスラングが誕生し、ファンの間では飛び交いました」
ここでの松岡は『ベストオブ謝罪会見作法』として表彰してもやりすぎではないだろう。
なお、会見の発端となった山口達也の謝罪会見(18年)には、刑事事件ということもあってか、日頃はジャニーズから出禁を食らっているサイゾーのような媒体も入り込めた。山口は涙ながらに「酩酊泥酔になってしまった……」と述べ謝罪。ところが「またTOKIOとしてやっていけたら……」と口走ってしまい、これが「未成年の女性が被害者であるにも関わらず、復帰について言及するとは何事だと」と大炎上する結果に。
このほか、赤西仁が「大統領になって帰ってきます」という寒いコメントを残したことでも話題となった語学留学のため活動休止会見(06年)も話題に。07年には復帰記者会見も開いているが、会見するたびにいちいち招集される他のメンバーが不憫だったという声もあった。
さらに、嵐の活動休止会見(19年)なども記憶に新しいが、こうして振り返ってみると数々の記者会見伝説を残してきたジャニタレたち。今回の中居の(円満)脱退によって、あとに続くタレントが続々と出てくるという予測もある中で、会見は開かれるのか? もし開かれるとしたらどうのようなものになるのか……中居の今後ともに注目していきたいところだ。