『華丸大吉&千鳥のテッパンいただきます!』公式ツイッター(@teppan_ktv)より

お笑いブームがいよいよ極まってきている。ただただ楽しく観るのもいいが、ふとした瞬間に現代社会を映す鏡となるのもお笑いの面白いところ。

だったらちょっと真面目にお笑いを語ってみてもいいのではないか──というわけで、お笑いウォッチャー・タカ&ユージが気になる動きを勝手に読み解く!

西野のビジネスは“ズラシ”で成り立っている

タカ キングコング西野亮廣の吉本興業退所が話題です。オンラインサロン会員が映画『えんとつ町のプペル』チケットを複数枚購入するシステムも猛烈な批判を浴びている中で出演した、『華丸大吉&千鳥のテッパンいただきます!』(1月26日放送/フジテレビ系)は悪い意味で西野の“真骨頂”が出てました。

ユージ この番組に前回出演したときは、千鳥・大悟による「まだ捕まってないだけの詐欺師」という名言が生まれました(2020年11月10日放送)。『えんとつ町のプペル』をめぐる批判に際して、ネットではあの場面のスクリーンショットがコスられ倒してますね。

タカ 西野が手がけるビジネスの本質が、そう言われるにふさわしい“ズラシ”で成り立ってるんだってことが今回もよくわかりました。番組内で紹介されていたクラウドファンディングのひとつに、「全国の子供達に『プペル』のチケットをプレゼントしたい」というのがありました。

「子どもにプレゼントする」って、子どもは無料で映画が観られるけどプレゼントする権利を買ってる人はチケット代を払ってるわけです。そういう“言い換え方の巧妙さ”がすごいんですよね。

ユージ「0円でエンタメビジネスをヒットさせる方法を教えます」という触れ込みでの出演でしたが、自分の懐から出すのが「0円」という意味であって、延々話してることは全部「いかにうまく集金するか」でした。

タカ いちばん気になったのは後半の「クオリティという言葉の定義が変わった」という発言です。「今やクオリティの高さとは、品質の高さではなくお客さんが参加できる余白が設計されてるか否か」と言っていましたが、それはクオリティじゃなくて制度設計の話じゃないですか。強いて言うなら集客方法のクオリティが上がった、ということであって、作品の質の話では全然ない。

「あなたが参加することで作品のクオリティ=品質が上がったんです」と受け取ってしまいかねないですよね。

ユージ「0円でヒットさせる~」という話と一緒で、これも金儲けのやり方のクオリティの話ですよね。今のエンタメは参加できる余白が大事だということ自体、AKBブームの頃に散々言われ尽くしていることですし……。

タカ 千鳥と華大に「(2組の)ライブに参加できる余白はありますか? 『俺達の笑いを観ろ』そういう高圧的なエンタメをしてませんか?」と問いかけたのに対して、大悟が「何かをつくるときに下を見たくない」って返した言葉がすごく良かったです。健全ですよね。

ユージ お笑いライブなんて、それこそ観客と演者の相互関係で成立してるものでしょう。

演劇の三要素じゃないですけど。それを「高圧的なエンタメ」って……それでも漫才師か? と言いたいです。

タカ クオリティの高いネタをつくって客に見せることが「高圧的」なわけがない。むしろ本当に高圧的なのは、「客が萎縮するからクオリティを下げよう」という姿勢です。参加できる余白の設計例としてDJダイノジの話をしていたけど、「EXILEの前でダンスはできないけど、素人が踊ってるなら自分もできる」と思わせるのが良策だとするのはまさにそういう考えの現れですよね。しかも、DJダイノジはダンスを見せるパフォーマンスを目的としているわけじゃないので、比べるものが違ってどっちにも失礼。

ユージ 一方で気になったのは、今回の退社騒動全体に際して「『ゴッドタン』の西野は好きなんだけどなぁ」「吉本辞めて『ゴッドタン』出られなくなったら残念」みたいなことを言う人の多さです。どれだけオンラインサロンに注力してようが、『ゴッドタン』(テレビ東京)に定期的に出て、服破かれたりケツ出したりすることが“芸人としての担保”になっていたんだなと思わされました。

タカ『ゴッドタン』で“ヨゴレ”をやることで、なんとか芸人であることを保っていたんですよね。佐久間(宣行)さんがああいうふうに西野を扱うのは必要悪というか、カリスマ性をひっぺがすためなんだろうなと思います。

ユージ 佐久間さんは「西野が1年分ヘイトを溜めてきてくれるから正々堂々とやりあえる」と話してました(ニッポン放送『佐久間宣行の東京ドリームエンターテインメント』2020年2月20日放送)。ただそもそも劇団ひとりとの対決シリーズ、面白いですか? 面白いと思ったことがほとんどないんですが。

タカ 面白くないからこそ必要なんじゃないかな、と思います。自分も全然好きじゃないし『ゴッドタン』でなんでこんなことやるんだろう? と不思議に思ってたんです。でもあれをやっていると、西野が持っている、あの手この手で人を惹きつけるかっこよさはひっぺがされる。西野を元のところに引きずり下ろすためにやってるんだと思いたいし、そうなっていればいいなと願わずにはいられないですよ。

ユージ 逆に“信者”にとっては「西野さんは芸人としてもすごいんですよ! こんなこともやれちゃうんです」って“信仰”の強化になっちゃう気がするんですよ。ライトな視聴者であっても、今がまさにそうですが何か悪評が立ったときに「サロンとかやってるのは嫌いだけど『ゴッドタン』の西野は好きだからなぁ」と、決定的に嫌いになられない状態を維持できますし。

タカ 西野がそのあたりをどこまで狙っているのかがわからないんですよね。曲がりなりにも芸人であるということは捨てたくないから出ていたのか。

ユージ 芸人という肩書への執着や美学なのか、「テレビでサゲられることで愛される部分をつくっておきたい」という目論見なのか。西野が今テレビに出るときって、大悟にせよ佐久間さんや劇団ひとりにせよ、『アメトーーク!』(テレビ朝日)の東野幸治にせよ、自分が負け顔見せる相手の番組が大半じゃないですか。

タカ 芸人としては、そういう出し方しかないのでは? だって西野を普通に出して「芸人」として使いたい人なんて今はいないでしょう。だからこそ、そうやって負け顔を見せたり“ヨゴレ役”をやったりするのは芸人でありたいと思ってるからなのかな、と。

ユージ それはありそうです。「捕まってないだけの詐欺師」呼ばわりが芸人としておいしいと思ったから『テッパンいただきます!』にもう一回出たんでしょうしね。

タカ ホモソーシャル的な意味で、芸人の兄さんから「やっぱり西野も芸人だな」と思われたかったというのはあるんじゃないでしょうか。それは『ゴッドタン』でお尻見せるのと同じことで。

ユージ しかし「芸人たらんとする=体張る」っていうのも一面的すぎますよね。まぁキングコングが今ネタ番組に出たとて芸人として見直される見込みがあるかというと疑問なので、その道しかないのかもしれませんが。

タカ そうそう、キングコングのネタは、ものすごく練習量が多くて、動きやテンポで笑わせたいということは伝わってきたけど、ギミックとして面白かったというわけではなかったですしね。