「父殺し」から「父の介護」へ──『カラマーゾフの兄弟』から読み解くドラマ『俺の家の話』

「父殺し」から「父の介護」へ──『カラマーゾフの兄弟』から読み解くドラマ『俺の家の話』
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金曜ドラマ『俺の家の話』(TBS系)が佳境に差し掛かっている。本作を見るにあたって、知っておくべき文学作品が『カラマーゾフの兄弟』(フョードル・ドストエフスキー/1880年)だ。ここでは、『カラマーゾフの兄弟』と『俺の家の話』の関連性をいち早く指摘していた東京都立大学・武蔵野美術大学非常勤講師で文学研究者でもある青木耕平氏が論考する。

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『俺の家の話』(公式HPより)

 宮藤官九郎脚本、長瀬智也主演で現在放映中のTBSドラマ『俺の家の話』は、「父殺し」の物語であるドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の枠組みを借りて描かれる「父の介護」 の物語だ──。本記事の主張は以上である。

 これが無理のあるこじつけではないことを示すため、まずは『 俺の家の話』第1話の内容を振り返り、家族構成/人物相関図を確認しよう。

「父殺し」から「父の介護」へ──『カラマーゾフの兄弟』から読み解くドラマ『俺の家の話』
『俺の家の話』(公式HPより)

 物語の主人公・観山寿一(長瀬智也)は、能楽の宗家にして人間国宝の観山寿三郎(西田敏行)の長男であり跡取りであったが、厳しすぎる父に反抗し25年前に家出、今では全盛期を過ぎたプロレスラーだ。

 そんな寿一のもとに父が危篤との報が入る。病室に駆けつけると、父は管につながれ昏睡状態であった。そこで25年ぶりに妹(江口のり子)と弟(永山絢斗)に再会するも、父の死を予期し財産分与の話をする妹と弟に寿一は怒りを覚える。母は昔に亡くなっており、2年前に脳梗塞で倒れてから続く父の介護に疲れきっている次男と長女は、兄の身勝手さを責める。

 父が倒れてから、正統な後継者のいない観山流を支えていたのは、芸養子の寿限無(桐谷健太)であった。担当介護ヘルパーであるさくら(戸田恵梨香)が付き添う病室で、危篤状態の父を前にして、寿一はレスラーを引退し能を継ぐことを決意する。そこには、自分が抱える借金を跡取りとなることで返済できる、という下心も働いていた。

 危篤状態から一転、車椅子に乗れるまでに回復した父は、子どもたちそして門弟を一堂に集め、自らの余命が半年から一年であると告げると、さくらとの再婚を宣言、皆の前でイチャつき始める。

「宗家としての威厳と自覚を持て」という長女からの叱責に、「そういうのダルいっすね。72年間、飲まない、買わない、打たないでめっちゃ我慢してきたんだよ。最後の一年、好き勝手ぶちかまし系でいきますんで」と返答、遺産を全てさくらに譲渡すると宣言した。

 続く家族会議にて次男は「金目当ての後妻業」とさくらを罵るが、さくらは父を愛していると言い、父は長男に「軽い気持ちで能を継ぐなんてなめられたもんだ」と鬼の形相で凄み、長男もまた父を睨み返す──。

 このわずか冒頭40分の中に、『カラマーゾフの兄弟』との相似点がすでに7つ存在する。

1. 母を亡くした3兄弟(『カラマーゾフの兄弟』)/ 母を亡くした3兄妹(『俺の家の話』)
2. 父親は強欲な地主、若い美女と再婚を企む(カラマーゾフ)/ 父親は人間国宝の能楽師、「好き勝手ぶちかます」と言い、若い美女と再婚を目論む(俺の家)
3. 長男は退役軍人、借金持ちだが野生の魅力を持つ(カラ)/ 長男は引退したプロレスラー、借金持ちだが野生の魅力を持つ(俺家)
4.父親と長男との間に長年の諍いと不和がある(両者)
5. 次男がインテリ(カラ)/  次男が弁護士(俺家)
6. 兄弟と同年代の若い召使いが家に仕えている(カラ)/ 兄妹と同年代の芸養子が家に仕えている(俺家)
7. 作品タイトルそれ自体が、家族の物語であることを示している(両者)

 この時点で私は、「元ネタ、カラマーゾフだ」と確信をした。しかし私の確信は、第1話の残り20分を観ることで早くも揺らぎ始めた。ひりついた家族会議の後、父の介護パートが始まると、物語のモードは一変する。兄弟はともに介護を分担しようと協力し知恵を出し、遺産目当てと罵られたさくらは介護ヘルパーとしてテキパキと指示を出す。初めて会う孫と父はすぐに打ち解け、長男と父の長きにわたる確執は、裸の入浴介護でお湯に流れていく。

 そうして第1話は、皆で睦まじく居間で食事を囲むシーンで終わる。たった20分前まで、皆で憎しみと不満をぶつけあった、その同じ居間で、である。あまりの展開の早さに私は空いた口がふさがらなかった。

『カラマーゾフの兄弟』は、カラマーゾフ家の物語を軸としながらも、神の不在をめぐる神学問答、世界のありかたをめぐる哲学対話、農奴制・皇帝政と革命の是非をめぐる政治論争が展開する世界文学最高傑作と称される重厚な作品である。上記7つの共通点の一致は、単なる偶然にすぎないのだろうか──。

 しかし、第2話以降も、ドラマは『カラマーゾフ』に接近していった。たとえば『カラマーゾフ』では、父に求婚され長男を愛するグルーシェニカという不幸な生い立ちの女性と、長男に金を貸し次男に求愛されるカチェリーナという2人の女性が登場する。『俺の家の話』では、「父親に求婚され、不幸な生い立ちを持ち、長男に金を貸し、次男に求愛され、長男に惚れる」と、さくら一人でグルーシェニカとカチェリーナの役割を担う。

 第3話、さくらの過去の生い立ちを物語る再現能「私の家の話」のなかで、母親の元恋人に「アル中のロシア人」がいたことが言及される。「アル中のロシア人」を書かせたら、ドストエフスキーの右に出るものはいない。今思えばこの時点で、宮藤官九郎は視聴者に早く気付くようにメッセージを送っていたのかもしれない。

 続く第4話において、『俺の家の話』が『カラマーゾフの兄弟』の家族構成を意識していることが決定的となる。『カラマーゾフ』において、使用人スメルジャコフは、父がほかの女に産ませた実子であった。実の息子であるにもかかわらず召使いの扱いを受け続ける屈辱ゆえにスメルジャコフは父を憎み、他の兄弟たちに強烈な妬みを抱く。

 はたして『俺の家の話』でも、芸養子として長年家に仕えてきた寿限無が、寿三郎と女中との間の子供つまり実子であったことが判明する。続く第5話、それまで従順に家と家元に仕えてきた寿限無は、実父とわかった寿三郎に「クソじじい」と悪態をつき、遅い反抗期を迎え家の仕事を放棄、他の兄弟たちに積年の恨みをぶつける。

 もはや、『俺の家の話』が『カラマーゾフの兄弟』の家族構成/人物相関図を意図的になぞっていることは、否定しようのない事実だ。寿限無がスメルジャコフであると指摘した私のツイートは現時点で3800RTされ、総閲覧数は160万を超えている。

 さて、ではなぜ本作の脚本家・宮藤官九郎は『俺の家の話』に『カラマーゾフの兄弟』の要素を取り入れたのだろうか? なぜこの物語は、この家族構成/人物相関図を必要とするのか?

 この問いについて考えるには、次頁で原作小説『カラマーゾフの兄弟』の全貌に言及せねばならない。優れた文芸作品はネタバレによって読書の楽しみが損なわれることはない、が、「『カラマーゾフ』のネタバレを知りたくない!」という方は、本記事を読むのをここで終えることをお勧めする。

「父殺し」から「父の介護」へ──『カラマーゾフの兄弟』から読み解くドラマ『俺の家の話』
『カラマーゾフの兄弟〈上〉』新潮文庫)

『カラマーゾフの兄弟』は、世界文学史上最も著名な「父殺し」の物語である。物語中盤、父親は殺される。あらゆる面で父親と衝突し憎み合っていた長男に嫌疑がかかり、長男は身柄を拘束・逮捕され、裁判が始まる。三男は、殺害の真犯人がスメルジャコフであることを突き止める。スメルジャコフは、自分は確かに実行犯であるが、殺害をそそのかしたのは次男であると主張、自ら首をくくって死ぬ。次男は父殺しが自分の罪なのではと、自責の念に耐えきれず譫妄症にかかり、悪魔を幻視し法廷で発狂する。スメルジャコフの自死、次男の精神錯乱ゆえに有効な証言と証拠が出ないまま裁判は閉廷、潔白の長男に有罪判決が下り、シベリア流刑が言い渡される──。

 精神分析家ジグムンド・フロイトは、その論考「ドストエフスキーと父殺し」において、父親が農奴に殺されたというドストエフスキーの実経験が、彼の創作に大きな影響を与えたことを明らかとしている。ドストエフスキーは、自らもまた心の奥底で「父の死」を望んでいたのではないかと葛藤し続けた。そして小説家として、「父殺し」という暗い欲動を、カラマーゾフの家系図に見事に落とし込んだ。長男と恋人を奪い合う金にも性にも汚い強欲な父、実の子どもと知りながら使用人としてスメルジャコフを扱う身勝手な老人。カラマーゾフの兄弟たちは、その物語は、はじめから「父殺し」を不可避的に必要としているのだ。

 さて、あなたは、『俺の家の話』が、上述した『カラマーゾフ』のように進む(寿限無が寿三郎を殺害、後に自死、次男が発狂、無実の長男が冤罪となって実刑判決を受ける泥沼の法廷劇が開始)と予想するだろうか?

 ここまでドラマを観てきた人ならば、「そんなこと起こるはずがない」と言い切るだろう。『カラマーゾフ』の設定を踏襲していることが明白になりながらもなお、そのような悲劇に陥る予感を、わたしたち鑑賞者は抱くことさえできない。このドラマは、あまりにも「軽くて早い」。この軽さと早さは、その前フリとしての「重さと遅さ」の対比の効果として生じている。

 たとえば第2話、引退興行までしたにもかかわらず、寿一は覆面レスラーとして早々と復帰する。またその第2話で寿一は「跡取り」と紹介され門弟たちから激しい非難を受けるが、早くも翌週の第3話で彼らを納得させてしまう。さくらの素性と来歴が第3話で明らかとなり、悪徳な後妻業者ではないことが明かされる。寿三郎のことも異性として愛しているわけではないと告げ、家が乗っ取られるのでは、という心配は消え去る。また、寿三郎が子どもたちのことを深く思っていること、そしてさくらの本心に気づいていることが明らかとなり、第1話で見せた強欲な父親像は霧散する。

「後妻業」とさくらを罵った次男はさくらに惚れ、さくらは寿一に惚れてしまう。観山家の財政が緊迫していると語られる次のシーンの夕飯はすき焼きだ。「72年間我慢してきた」と第一話で啖呵をきった寿三郎だが、回を重ねるごとに過去の女性遍歴の派手さが明らかとなる。

 極め付けは寿限無だ。第4話で実子であると寿三郎に告げられるまで、その40年間の人生全てを奉公人として過ごした寿限無は、第5話で家族旅行に帯同、第6話で早くも「俺もっと甘えていいかな。タメ口でいいかな」と父そして兄妹たちと完全に和解する。

 このように、劇中持ち上がる重い問題は、驚くべき早さと軽さで乗り越えられてしまう。物語中の寿三郎よろしく、このドラマ自体がボケ続け、前提を捨て去ることで成立している。

 この「乗り越え」と「捨て去る」過程が描かれていることが重要だ。ジェンダー平等指数が最底レベルのこの国で、老いた父たちは今も社会の上部で権力を握っている。能楽師であり人間国宝、権力者である寿三郎が、今までの人生で行った過ちを省みることがなく、寿限無を子どもと認めなかったならば、過去の愚行を反省し訂正し謝罪することがなければ、あるいは物語は『カラマーゾフ』ルートを辿ったかもしれない。

 しかし、ドラマはそうはならなかった。権力ある老いた父が、病に倒れ、己の人生の至らなさを認め、反省し謝罪し、子供たちと向き合い、そして「介護」を受ける物語こそが、『俺の家の話』である。

 現代日本が直面する、「父の介護」という重苦しい問題を、軽妙なコメディとして大衆ドラマに仕立て上げるためにこそ、『カラマーゾフの兄弟』という重厚な「父殺し」の作品が物語の準拠枠として必要とされた。第6話の放送が終わった現在、そのように仮の結論を出すのは、あながち的外れではないはずだ。

「父殺し」から「父の介護」へ──『カラマーゾフの兄弟』から読み解くドラマ『俺の家の話』
長瀬智也(Getty Images)

 さて最後に、長瀬智也が『俺の家の話』の主演であることの意味を、『カラマーゾフの兄弟』から考えてみたい。

 周知のように、長瀬は本作をもってジャニーズ事務所を退所し、裏方に専念することが決まっている。俳優としての出演作は本作が最後となると目されている。宮藤官九郎そして製作陣は本作のインタビューで「現時点の長瀬智也の最高傑作をつくる」と発言している。「現時点」であり、「最後」ではないところに着目したい。『カラマーゾフの兄弟』は、ドストエフスキー最後の作品である。

 しかし実は、『カラマーゾフ』は二部構成となるはずであった。作者の死により叶わなかったが、物語には続編があった。「戻ってくるなら一緒にやろう、この物語には続きがあるから」──『俺の家の話』が『カラマーゾフの兄弟』を意識して作られているのなら、そこにはそのような、去り行く盟友・長瀬に対する製作陣からのメッセージが込められているのかもしれない。(了)

*本記事は、第6話放送後に書かれた。

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