第94回アカデミー賞授賞式で、俳優ウィル・スミスがコメディアンクリス・ロックから妻の容姿をからかわれたことに対する「ビンタ事件」が連日、アメリカでも大きく報道されている。このセンセーショナルな一件は瞬く間に大きな話題となり、本年度受賞を果たしたどの作品よりも人々の記憶に残る形となった。
そもそもクリス・ロックとは、アメリカ国内でその名を知らぬ者はいない伝説的スタンダップコメディアンで、過去にも授賞式のホストを務めるなどオスカーとの関わりも深い。90年代にスターダムに上り詰めて以来、多くの後進コメディアンに影響を与え続けてきた。その芸風は、自身の黒人性を軸にしながらも、普遍的なテーマを笑いに変えることが特徴として挙げられ、忖度せずに際どいジョークを全方位に投げかけることでも知られている。そのため「炎上」することも茶飯事で、2016年にオスカーの司会を務めた際には、アジア人少年のステレオタイプいじりが批判の対象にもなった。
そんなクリスの今回のいわゆる「容姿いじり」ジョーク。アメリカでは近年、他者の容姿を自分の物差しでジャッジする行為が「ボディ・シェイミング」と呼ばれ、忌み嫌われている。この風潮は日常会話のみならず、コメディの舞台でも見られ、現在ほとんどのスタンダップコメディアンが他者の容姿をいじるネタを避けている。
そもそもアメリカのスタンダップコメディの歴史を見てみると、専用劇場がまだなかった1940~50年代にはナイトクラブやキャバレーで芸が披露されていたため、酔客向けのテンポのいいジョークが好まれ、その結果、観客の容姿をコメディアンがあげつらうネタが盛んになったという背景がある。この「伝統」は後世にも受け継がれ、クリスが活躍しだした90年代や00年代に入っても一般的だったが、この5年間のうちに社会の変化とともに、容姿ネタは「自虐」を除きほぼ見られなくなり、前時代的なものと見なされるようになった。
スタンダップコメディアンとして舞台に立つことを生業にしている「同業者」として、筆者は今回のクリスのジョークを擁護するつもりはない。
一部の報道ではジェイダの脱毛症をクリスが「知らなかった」とあるが、言い訳にはなり得まい。時事刻々と変わるその時代の「ギリギリ」のラインに敏感であることが求められているスタンダップコメディアンという表現者だからこそ、「無知」でステージに立つことは罪になり得る。
また、会場に詰めかけたセレブ俳優をスタンダップコメディアンが舞台上から「パンチダウン」する(こき下ろす)のが慣習になっているハリウッドであるが、それでも他者の容姿、ましてや病気のことをジョークにしていいはずなどない。
それだけにこれだけ影響力も実績もあるレジェンドが「ライン読み」を大きく見誤ったことは、ただただ残念でならない。
アメリカ国内でも実は、クリスのジョークをかばう意見は少ないが、しかしそれ以上に舞台上で直接的な暴力に訴えたウィル・スミスへの批判が大きい。
ウィル・スミスは翌日の3月28日、すぐさま自身のインスタグラムに謝罪文を掲載したが、批判はやまず、4月1日には自ら映画芸術科学アカデミーの退会を表明した。また進行中であった主演映画も制作中断が次々に発表されるなど大きな影響が出るとともに、翌週にはアカデミーも向こう10年間は授賞式に出入り禁止とするなど制裁が発表された。
そもそも、今回の授賞式には随所にウクライナの国旗である青色と黄色が施され、戦争という暴力の否定、そして平和への祈りが捧げられていた。また暴力への抵抗から生まれた映画という表現の最高峰を祝う式典でのこうした出来事なだけに、多くの批判も頷ける。ラッパー「フレッシュ・プリンス」としてマイク一本でキャリアをスタートさせ、ハリウッドの頂点をこの日掴んだ彼が、身体的暴力以外の方法で訴えられなかったのか、ともどかしい気持ちになる。
また、ブラックコミュニティからの落胆、怒りの声も多く聞かれた。これまでハリウッド作品における黒人のステレオタイプ化、具体的に言えば「暴力的で荒々しい」イメージに対し、多くの黒人コミュニティが抵抗を示してきた。ウィル・スミス自身も業界の構造的搾取や機会の不平等についても声をあげ、16年にオスカーのノミネートが白人俳優に限定されたときも、夫婦揃って授賞式をボイコットした。
しかし、今回世界中の耳目を集めるイベントで犯したあの平手打ちが、長らく映画の中で存在した悪しき黒人のステレオタイプを助長してしまった、という批判が聞かれた。たった一発のビンタが、これまでウィル自身を含め多くのブラックコミュニティが行ってきた努力をふいにしてしまったと論ずるメディアも少なくない。
普段ならば大きく論調の分かれるアメリカのメディアも足並みを揃えて、暴力の否定を訴えている。FOXニュースからCNNまで、右も左もウィル・スミスの行為を非難する報道が目立つ。いくつかのメディアでは「クリス・ロックだけお咎めなしはおかしい」という意見も散見されたが、舞台上で被った直接的な暴力こそ「制裁」だと捉える人々が多い。そしてそんな中でも、
「今ビンタされたけど、おそらくこれはテレビの歴史上最高の瞬間だったね」
とフォローを入れ、ショーを続行させたことを評価する見方が多い。そのため、自身のスタンダップのツアー公演はチケットの値段が高騰し、直後のボストン公演では会場中がスタンディングオベーションで応えた。
一方日本ではウィル・スミス擁護派が多数を占めると聞く。この差はどこから生まれてくるのだろうか。もちろん文化的コンテキストが異なるため、意見や世論に違いが生じることはある種当然である。そしてどちらが正しいというなどないのだが、そのひとつには、おそらくアメリカにおける「身体的暴力」への切実な脅威が起因しているのではと推察する。
銃による犯罪が後を絶たないアメリカ国内。
それだけに多くのコメディクラブが声明を出した。全米最大手のコメディクラブチェーン「ラフ・ファクトリー」は全国のクラブの電光掲示板に、クリス・ロックの顔写真とともに、
「当クラブは、すべてのコメディアンの『合衆国憲法修正第1条』の権利をサポートします。クリス、コメディコミュニティはあなたの味方です」
というメッセージを掲載した。ちなみに『合衆国憲法修正第1条』とは表現の自由を意味するアメリカの基本理念でもある。
ニューヨークの「スタンダップNY」も入り口にポスターを貼り、それに続いた。
「スタンダップコメディアンは社会を批評する役目を担っています。それはとりわけこのカオスで不確かな時代においてより重要です。
今回の一件で、アメリカにおいてスタンダップコメディアンが社会的に纏っている役割を改めて認識させられた。ただ観客を笑わせるだけでなく「社会に新しい視点を届ける」存在。それだけに他者を無自覚にパンチダウンせぬよう、差別的な言説を並べ立てぬよう、そしてラインを見誤らぬよう細心の注意と覚悟を持たなければいけない。
この日、ラフ・ファクトリー・シカゴのオーナーでもあるカーティス・フラッグ氏はFOXニュースに出演し、カメラに向かってこう締めくくった。
「コメディアンは時にセンシティブで際どいジョークを言うかもしれません。そして、きっとこれからの時代、彼らには以前とは違った大きな責任とバランス感覚が求められることでしょう。しかし私たちは、彼らがその言葉で、アメリカをよりよく変えられると信じているんです。コメディアンたちが変わっていくように、社会も、そして観客も変わっていくはずです。どうかスタンダップコメディを信じてください」