『関ジャム』山下達郎が語る自戒、多くのミュージシャンたちに突き刺さる“一問百答”
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『関ジャム 完全燃SHOW』(テレビ朝日系)TVer公式サイトより

 6月26日放送『関ジャム 完全燃SHOW』(テレビ朝日系)は、山下達郎特集の後半戦。山下を敬愛する識者からの質問に本人が回答、その音声がスタジオで紹介される、90分超えのロングインタビューである。

※山下達郎回、前編はこちら
山下達郎インタビュー回が『関ジャム』史上最高。なぜ、彼は「売れよう」と思ったのか?  6月19日放送『関ジャム 完全燃SHOW』(テレビ朝日系)は、山下達郎の特集であった。山下を敬愛する識者からの質問に本人が回答、その音声がスタジオで紹介される90分超...

『関ジャム』山下達郎が語る自戒、多くのミュージシャンたちに突き刺さる“一問百答”
『関ジャム』山下達郎が語る自戒、多くのミュージシャンたちに突き刺さる“一問百答”
日刊サイゾー2022.07.03

山下達郎の「僕はサブカルチャーなんですよ、しょせんは」宣言

 山下は、ジャニーズの大ヒット曲を多数手がけてきた作曲家でもある。近藤真彦「ハイティーン・ブギ」に関しては、ステージで山下がセルフカバーすることも多い。6月11日からスタートしたライブツアーでも、「ハイティーン・ブギ」はしっかりセットリストに組み込まれている。

 そんな山下に対し、SUPER BEAVERの渋谷龍太は「提供曲を作る上で、ご自身の曲を作る時との違いや苦労はありますか?」と質問。山下は、人に楽曲提供するようになったいきさつを説明した。

「人に曲を書くということでは、僕はCMが長かったです。バンドじゃ食えないので、コマーシャルで生活していた時代が長いんです。あとは、コーラスのスタジオミュージシャンとか。できる仕事はなんでもやったんです。当時は、コーラスという職がすごく少なくて、特に男のコーラスボーイがいなかった。いわゆる、ロックのコーラスができる人は男が僕1人だったので、一手に引き受けていた時代があるんです」(山下)

 有名なところでいえば、山下は松任谷由実(荒井由実)の楽曲にコーラスで参加。アルバム『MISSLIM』(1974年)や『流線形’80』(1978年)などを聴けば、しっかり山下の声を確認することができる。

「そういうところでやっているうちに、『曲を書いてみないか?』と声をかけてくださる方がいて。(中略)当時のコマーシャルソングは30秒・15秒。歌詞はコピーライターで、(自分は)作曲・編曲・演奏・歌唱で。3時間で30秒・15秒を上げるのが仕事だったんです。3時間完パケ。それを100本以上やりましたから。月にそれを何本かやれば食いつなげる。それでようやく飢え死にしなくて済む。ハウス食品の『フルーチェ』とか『シャービック』とか、あのへんは僕が最初です。あと、不二家の『ハートチョコレート』ね。あれの1番最初期にやらせてもらった」(山下)

 山下は他にも「三ツ矢サイダー」「ボラギノール」「イチヂク浣腸」「ミスタードーナツ」など、膨大な数のCM曲を手掛けている。このあたりは、影響を受けた大滝詠一と同じ道程と言えるか? 他にCMソングで生活していたミュージシャンといえば、同時代にオフコース(「明治ブルガリアヨーグルト」など)が、後の世代では菅野よう子(「コスモ石油」など)がいる。

「CMのほうが制限はすごいありますよ。逆に、それが自分の中の引き出しを増やしてくれた。(中略)おっきな事務所に入って、はじめから10tトラックでツアーやらせてもらって……みたいなそういう生活じゃない。ライブハウスで20~30人から始めているので。だから僕はサブカルチャーなんですよ、しょせんは。今も自分は別にメインストリートだと思ってやってないから」(山下)

 山下から飛び出た“サブカルチャー宣言”だ。ただ、彼が在籍したシュガー・ベイブはデビュー前にはっぴいえんどの解散コンサートで起用されているし、1stソロアルバム『CIRCUS TOWN』はニューヨークとロサンゼルスで録音が行われた。実のところ、本人が言うほど叩き上げではないというのが正直な印象だ。

 山下の楽曲提供といえば、KinKi Kids「硝子の少年」が外せないだろう。

「『硝子の少年』は、とにかく大変だったんです。1位は当たり前だと。ミリオンマストって言われたんですよ。光GENJIの『パラダイス銀河』が97万枚で、『ミリオンが夢なんだ』って。ひどいでしょ(苦笑)?」(山下)

 ジャニー喜多川氏からの“100万枚売れる曲”のオファーだ。逆に言えば、ASKAが出掛けた「パラダイス銀河」がミリオンに達していないのが意外。振り返れば、SMAPのデビュー曲「Can’t Stop!! -LOVING-」は明らかにパッとしなかったし、TOKIOも数十万枚程度の売り上げで安定している状態だった。

「はじめは『ジェットコースター・ロマンス』を出したんです、1回。それでOKもらったんですけど、でも『ジェットコースター・ロマンス』だと100万枚いかないなと思って、僕が。『もう1週間くれ』って書いたのが『硝子の少年』なんですけど」(山下)

 つまり、2ndシングルとなった「ジェットコースター・ロマンス」のほうが先に出来上がっていたのだ。この曲でデビューしていたら、果たして今のキンキは存在しただろうか? 確かにいい曲だ。でもキラキラしすぎているし、実際にジェロマは93万枚どまりだった。また、当初は「Kissからはじまるミステリー」がデビュー曲候補だったが、ジャニー喜多川氏から却下されたという裏話もある。

 そして、山下は1週間で「硝子の少年」を書き上げた。

「KinKi Kidsの歌のトーンとか、あの人たちは濡れてる声でちょっと悲しいんですよ。それで、いろいろ考えて『硝子の少年』を書いたら、『暗い』『踊れない』って(苦笑)」

「そうすると、キンキの2人が不安になってくるんですね。当時、彼らは17歳で僕が42歳、今のキンキの歳ぐらいですけど、『大丈夫だよ、これはあなた達が40歳になっても歌えるから』って」(山下)

 山下が今のキンキの年齢の頃に書いた曲だから、「40歳になっても歌える曲」という言葉が出たわけだ。結果、まさに山下が言った通りになった。今年43歳のキンキの2人が歌う「硝子の少年」は、現在も“少年の色気”の増している真っただ中。キンキには、絶対にこの曲の“憂い”が必要だった。

「あれが結局、僕にとっても松本(隆)さんにとっても最高の売り上げの曲なんです。松本さんの全人生の中で一番売り上げたのが、『硝子の少年』ですから。178万枚。だから、それ(ミリオン)はクリアしたんです(笑)」(山下)

 付け加えると、シングル「硝子の少年」はカップリングなしの500円で発売されており、リリース当時(97年)はまごうことなきCDバブルだった。さらに、2人の主演ドラマ『人間・失格~たとえばぼくが死んだら』(TBS系)が94年に放送され、高視聴率をマーク。満を持してのデビューだった。

 現在、ENDRECHERIとしてファンク路線へ進んだ堂本剛の音楽性を、山下は高く評価しているそうだ。

山下達郎の“eastern youth好きすぎ問題”

 シンガーソングライターのさかいゆうからは、「声のケアやボイストレーニングはしますか?」という質問が。

「全然やってません。ボイストレーニングってあんまり信用してないんで。(中略)だって、別にピッチが正確な歌が面白いわけじゃないからね。『歌っていうものは~』って、そんなものはないんです。その人が歌う歌が“歌”なんだから。音楽は人の表現によって全然違うので。ボイストレーニングってすごいことのように思われるけど、歌ってりゃいいんですよ(笑)」(山下)

 シティポップの代表格とイメージされがちの山下だが、根っこはAC/DCを愛聴するロック気質の男だ。特にAC/DCの初代ボーカリスト、ボン・スコットは気合が入りすぎて音を外すこともしばしば。それが、個性であり武器になるというのが山下の主義である。歌がうまいのにつまらない、琴線に触れないボーカリストより遥かにいいということ。

 続いて、穴見真吾(緑黄色社会)からは、「若手ミュージシャンの曲は聴きますか?」という質問が。

「どっちかって言ったらハードサウンディングなほうが好きなので、亜無亜危異、eastern youth、ブルハ(THE BLUE HEARTS)、ミッシェルガン(THEE MICHELLE GUN ELEPHANT)、ミッシェルガンの延長でROSSO、The Birthday。あと、凛として時雨とかモーサム(MO’SOME TONEBENDER)とか、聴くのはああいうのですね」(山下)

 山下のeastern youth好きは異常である。発売日にアルバムを買い、ライブを観に行き、事あるごとにバンド名を口にする“eastern youth大好きおじさん”。そして、「TMGE→ROSSO→The Birthday」というチバユウスケメドレーも壮観だ。チバと吉野寿(eastern youth)は今年で54歳だし、凛として時雨はすでに20年選手、亜無亜危異は山下と同世代だ。若手ミュージシャンを聞いたのに彼が挙げた面子はほぼ50歳超えという事実には笑ったが、一般的にはかなり意外なセレクトなのでは?

 他に、山下はRHYMESTERも愛聴しているし、家族でTHE YELLOW MONKEYのライブを観に行ったりもする(竹内まりやもイエモンの大ファン)。趣味は幅広くて、意外だ。

「運動神経がないんでね。バク宙なんかできたら絶対ヘビメタですよ。もうちょっとルックス良ければ。宙吊りでAC/DCみたいな、いいじゃないですか」(山下)

 彼が長髪を保っているのは、ハードロックが好きだから? いつか、遊びでメタルアルバムを作ってほしい……なんて思ったりもする。

――ちなみに、ご自宅で音楽を聴かれるとき、他のミュージシャンをチェックされるときは何で?

「今、世界中のサブスクのTOP50を毎日聴いて寝てます。そうすると、時代の音がするでしょ。リバーブ(残響音)は時代でものすごく変わるのでね。だから、このアルバム(=最新アルバム)を作るときもエド・シーランとラージ(音量感や音圧感を確認する大型のスピーカー)で聴き比べるとか、音圧の聴き比べは絶対必要。それが、ラジオでかかったときの勝ち負けになるので」(山下)

 「アーティスト」と呼ばれることをあまり好まない山下達郎。商業的なこともちゃんと意識し、アーティストである前にずっと職人だ。どの世界でもそうだが、残るのはやはり職人気質の人である。

 川谷絵音からは、こんな質問が。

「達郎さんのギターカッティングの音が大好きなのですが、右手の振り方が独特で、真似してもまったくできません。あの右手のフォームは何から生まれたのでしょう?」

 元はドラマーだった山下。アマチュアバンド時代はドラムを叩きながらリードボーカルを務めていたが、シュガー・ベイブではギターボーカルに転向。お手本としたのは、ジェームズ・ブラウンを代表とするリズム&ブルースのカッティングギターだった。

「シュガー・ベイブはあんまりうまいバンドじゃなかったので、すごくラッシュする(走る)んです。だいたい、日本人って走るんですよ。レイド・バック(ゆったりしたノリ)する奴ってそんなにいない」

「3年弱くらいですけど、村上“ポン太”秀一さん(Dr.)、岡沢章さん(Ba.)、坂本龍一さん(Pf.)と、木恒秀さん(Gt.)のフォーリズムをバックに、僕。2年半ほど学園祭とかピットイン(六本木 PIT INN)とかそのセクションでやっていた時代があって。そのとき、その人たちのタイム感覚って自分のギターと全然違ってね。でも、やってるとだんだんそれがわかってくるわけ。そこですごく勉強になりましたよね。リズムのツボっていうか。あのクラスのミュージシャンだと、それが見えてくるんですよ。それで鍛えられた。それはすごく大きい。だから、うまい人とやらなきゃダメなんです、絶対に。一流の人とやらないとダメ」(山下)

 まず、そんな面子で回っていた時期があった事実に驚いている。こんな話をもっと聞きたい。そして、「うまい人とやらないとダメ」という至言。どのジャンルにも通ずる話だ。例えば、タモリの語録としては以下が有名である。

「経済的に許すなら、若いうちになるべく最高の料理、最高の酒を飲んでおいたほうがいい。頂点を極めないから、これがダメ、あれがいいということになる。頂点を極めてしまえば、裾野が広がり、どんなものでもよく見える。許すことができる。だから入門編はありえない」(タモリ)

山下達郎のベースにあるのは「大衆への奉仕と人間が生きることに対する肯定」

 90分にわたるロングインタビュー、最後の質問はこれだった。

――海外のリスナーからも、達郎さんの作品にさらに注目が集まっています。異国でのライブの可能性は?

「ありません。そんな暇があったら、もっと日本のローカルタウンに行きます。(中略)僕は、70年安保という政治的な騒乱の時代に高校生で、それをかじってしまい、あとは音楽に溺れてドロップアウトして、大学を途中で辞めてバンドを作った。あの70年代の政治騒乱でドロップアウトした人たちは、ほとんど音楽をやってるんですよ。(中略)僕らの音楽のムーブメントは、本来、音楽の世界に入らなくていい連中がドッと業界に参入してきたので、それがユニークさを生んでいる」

 吉田拓郎や坂本龍一も、山下と同じ形で“ドロップアウト”した。まさしく、頭脳警察の時代だ。当然だが、すべての文化は時代背景によって形成されている。現代は“分断の時代”なので、やりたいことができるのは元からその世界に住む者のみである。

「そういう意味では、僕がステージに立って歌ってるけど、3列目に座ってる人が僕の代わりにステージで歌ってたかもしれない。聴衆と自分の距離が近いんです。生活者としての共同意識みたいなのがあるんです。そういう具合に考えてやっていかないといけない。僕はそれだけ考えてやってきたので。だから、『同世代音楽』ってキャッチフレーズでやってきましたけど、自分と同じ世代のためにやってる。自分たちが歳とったら『歳とった』っていう。いつまでもピーターパンみたいな歌は作らない、そういう考え方でやってきているので。そういう人たちの生活に奉仕する音楽」

「ポップカルチャーっていうのは基本的に、大衆への奉仕と、人間が生きることに対する肯定。その上にアバンギャルドとか、そういうものがあるので。『僕がやるべきことは何か?』をずっと考えていると、そういうことなんです。だから、海外進出とかそういうことは考えたことがない。そんな暇があったらもっとローカルタウンに行って、そこで真面目に働いてる人たちのために公演する。それが、僕の与えられた役割だと思ってる。じゃないと、自分はなんのために音楽をやっているか。『自分が音楽をやる意味は何か』と常に問いかけていかないと、音楽家としてのスタンスが曖昧になる。それだけは嫌なので」

 「大衆への奉仕と、人間が生きることに対する肯定」が、山下達郎のベースになっている。それは、彼の音楽を聴けばよくわかる。

 そして、海外より日本のローカルタウンを大切にし、同世代に向けて作り続けた音楽が、世界中の人に響いたという事実。達郎が話をしているバックで流れていた曲が「希望という名の光」だったという演出にも、グッと来てしまった。「自分が音楽をやる意味は何か、常に問いかけないと音楽家としてのスタンスが曖昧になる」という言葉。多くのミュージシャンに深く突き刺さったはずだ。

 前編より“サンソン風味”が強まった、今回の後編。一問一答どころか、一問百答という感じだった。話し相手であった大滝詠一が亡くなり、山下から少々の寂しさを感じたりもしている。「偏屈」と言われる山下の、音楽に対する芯の部分が伝わってきた、とてもいい特集だった。

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