ダチョウ倶楽部 太田プロダクション 公式サイトより

 芸人視聴率が高そうな番組が19日に放送された。それは『アメトーーーーク!ゴールデン2時間SP』(テレビ朝日系)だ。

「ダチョウ倶楽部を考えようSP」と題して、ダチョウ倶楽部のリーダー肥後克広さん、寺門ジモンさんのメンバーお二人をはじめ、土田晃之さん、有吉弘行さん、カンニング竹山さん、デンジャラスの安田和博さんといった竜兵会メンバー、そして出川哲郎さんなどの面々が勢ぞろいした。

 今回はこの番組を見て、元芸人として感じたことを書いていく。

 まずは番組がスタートし、ダチョウ倶楽部のお二人が「ヤー!」といういつもの掛け声で登場したものの、やはりどこか物足りなさを感じる。「2人でやるダチョウ倶楽部がまだ何も決まっていない」ということで終結したメンバーと今後のダチョウ倶楽部を考えるという企画なのだが、ダチョウ倶楽部さんが“コンビになった”という実感がまだ湧いていない。

 番組の前半は「ダチョウ倶楽部セレクション」と題し、テレビ朝日に貯蔵されている名シーンをまとめたVTRを見ることに。彼らがテレビ朝日に初登場したのは1986年。そこに映っていたのは結成2年目ということもあり、希望と野望に満ち満ちているダチョウ倶楽部さんだった。

 ネタ自体は当時の不良を題材にしたようなネタで、トリオ芸人のコント赤信号を彷彿とさせるコントだった。昔のネタ番組を見て良く思うのは、コントだろうが漫才だろうが、ド派手な色のセットが組まれたスタジオでやらされていて、空気感なんてあったもんじゃなかったであろう。現在のようにわざわざ一組ずつコントのセットを組んでもらえるのは、とても幸せなことだ。

 NHK『爆笑オンエアバトル』を見たことがある人ならわかると思うが、僕が若手の頃もセットを組んでもらうなんてことはなかった。本当に羨ましい限りだ。

 さらにダチョウ倶楽部さんの中で一番、メジャーと言っても過言ではないショートコント「もしもゲームセンターみたいな靴屋さんがあったら」も見ることが出来た。ちなみにこのネタで放送された番組は『ザ・テレビ演芸』(テレビ朝日系)という番組で、子供のころ僕はこの番組が本当に好きだった。あまりにも子供過ぎたので何が面白いかがわからないネタも多かったが、司会の横山やすしさんの怖い物言いも、若手芸人たちがチャンピオンをかけて戦うその姿も僕にはスリリングでとても魅力的に見えたものだ。ダチョウ倶楽部さんはこの番組から世に出てきたのだ。

 そしてネタ番組出演からどんどんモノマネやリアクション芸に進化していき、自分たちの冠番組『王道バラエティ つかみはOK!』(1993年/TBS系)を持ったあたりから、リアクション芸人としての地位を確固たるものとしていった。

 出演者たちはVTRを見ながら改めて上島さんのリアクション芸の凄さを口にした。『ダチョ・リブレ』(2006年/CSテレ朝)というダチョウ倶楽部さんの番組で、大型扇風機と水により台風のような状況を作り出された上島さんは、転がりながらどんどん服が脱げていくというリアクション芸を見せたが、これは風によって自然に脱げていくように見せるのが相当難しい。このように上島さんが繰り出す数々の名人芸を見て、リアクション芸でお馴染みのあの出川さんでさえ「これは選ばれた人にしかできない凄い事」と言っていた。

 このように前半戦はVTRを中心に過去を振り返ったり、出演者による上島さんを中心としたエピソードトークで盛り上がった。

 そして後半戦は、肥後さんとジモンさんに焦点を当て、過去に『アメトーーク!』で放送された「肥後という男」「ジモンという男」のVTRやエピソードトークを交えながら、2人がいかに変わっていて面白い人間なのかを分析し、そして今まで使っていたギャグに関して誰が継承していくのかを話し合っていた。さらには「2人バージョンの熱々おでん」と「新熱湯風呂」を披露し、これからのダチョウ倶楽部の広がりを見せた。

 この番組を見ながらすごいと感じたのは、ずっと「笑っていられた」ことだ。

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『アメトーークSP』上島さんをしっぽり偲ぶなんて微塵もない異例の追悼番組
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 それが今回のダチョウ倶楽部さんの場合「悼む」「弔う」「偲ぶ」なんて言葉は微塵も出て来ない。上島さんの凄さや面白さには触れるが、上島さんを語ろうではなく、番組の軸はあくまでも今後のダチョウ倶楽部をどうしていくのか? というもので、誰も表立って悲しむものはいないのだ。

 もちろん志村さんと上島さんのキャラクター性の違いもあるが、僕が見た『ダチョウ倶楽部を考えようSP』は、出演者全員がいつものようにお客さんを笑わせる、いつものバラエティ番組だった。

 僕が個人的に感じた志村さんと上島さんの、いや志村さんとダチョウ倶楽部さんの大きな違いは「終わったか」「続いているか」の差ではないだろうか。

 志村けんは亡くなったことにより、そこで終わってしまった。我々の記憶や映像としては残っているがこれから増えることはない。だからこそ悲しめたのだ。

 しかしダチョウ倶楽部さんは1人いなくなってしまったが、まだまだ続く。お笑い芸人として悲しみに包まれるのはマイナスでしかない。上島さんの分も、肥後さんとジモンさんが人を笑わせていかなければいけないのだ。それがお笑い芸人の宿命なのだ。

 そんな今回の『アメトーーーーク! ゴールデン2時間SP』は出演者、スタッフが一丸となり、新たなダチョウ倶楽部を後押しした番組だったのではないだろうか。

 芸歴37年にして新たなスタートを切るのは、どんな気持ちなのだろうか。僕には想像もつかないが、これだけは言える。「新生・ダチョウ倶楽部」も間違いなく面白い。だって初めての番組でこんなに面白かったんだから……。

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