去る7月、あるウェブコンテンツが炎上し物議を醸した。新卒向けの就職情報サイト「就活の教科書」が掲載した「【行く意味ある?】Fランク大学一覧 | Fラン大学の実態,偏差値,女子あるあるも」という記事だ。
同記事が炎上したきっかけは、就活の教科書の運営元であるSynergy Careerが、「【底辺職とは?】底辺の仕事ランキング一覧」という記事を6月末に掲載したことだった。差別的な内容に反応したネットユーザーたちはこれを問題視。遡ること5月に掲載されていた同“Fラン記事”が再発見され、批判がさらに盛り上がる事態に発展した。
すでに当該記事は削除されている様子だが……お詫びなどは掲載せず、また「私立大学序列/偏差値ランキング」などの煽り記事は残っているため、問題の本質は理解できていないのかもしれない……。
Synergy Careerは就活生向けメディア事業やコンサルティング業を営む企業で、2020年12月にも「【行く意味ある?】Fラン大学一覧」という扇動的な記事を掲載し、インターネット上で反感を買った過去がある。
一連の“Fラン記事”に対してSNS上では、「失礼極まりない」「サイトを閉鎖した方が良い」「とても不快だ」など、嫌悪感を露わにするコメントが数多く寄せられた。一方、一部に「就職などを考えると記事の指摘は一理ある」「自分の通う〇〇大学はFランなんだ…」など、共感や失望感を吐露する書き込みもあることはあるが……。
“Fラン”とはどういう意味か?
そもそも“Fラン”という言葉にはどのような意味があるのか?
その語源となっているのは、大手予備校・河合塾が用いてきた「BFランク(ボーダーフリーランク)」という言葉だとされている。この定義によれば、「偏差値が35未満、もしくは受験者数が著しく少なく合格者平均点の測定が困難なため、偏差値の測定が不可能な大学」がFランにあてはまる。偏差値はテストを受けた集団の中で、自分がどれくらいの位置にいるかを表す相対的評価の数値だ。
他にも、いわゆる日東駒専(日本大学・東洋大学・駒澤大学・専修大学)よりも偏差値が低い大学という文脈、もしくは学力が低く誰でも入れる大学を侮蔑的に呼称するスラングとしてもFランという言葉が使われている。
このFランという言葉は、とても多くの問題を孕んでいる。
「Fランという表現自体に、特定の大学の卒業生や学校自体を差別的に扱う感覚があります。まるで、偏差値が社会における絶対的な評価軸であるかのような錯覚を与えてしまう。実際、偏差値がすなわち“学校のレベル”だと思ってしまう学生や、言葉自体にコンプレックスを感じてしまう学生も少なくありません」(A氏)
別の大学教員B氏もこう口をそろえる。
「偏差値は、大学の教育・研究内容の水準や多様性、大学が地域的にどういうポジションにあるか、また教員たちのレベルなどが考慮された数値ではありません。しっかりと言葉の意味が理解されていないので仕方ないのかもしれませんが、学生たちのモチベーションや大学のイメージに及ぼす影響を考えると言葉が持つ弊害は大きいと思います」(B氏)
Fランという言葉は中傷性もさることながら、さらに致命的な問題が潜んでいる。それは、刻一刻と変化し続ける、日本の高等教育事情をまったく織り込んでいない、浅はかな言葉であるという側面だ。教育ジャーナリスト&大学コンサルタントの後藤健夫氏は言う。
「2021年度の入試実績からみると、日本の高等教育の実態はほぼ全入(全員入学)、つまり入学希望者と定員がイコールになりつつあります。偏差値による選抜は一部の国公立・私立大学でのみ機能するという状況が加速しているのです」
近年、大学入試はとても多様化している。ほとんどの私立大学は近年、総合型選抜など一般選抜以外の方法で約6割の学生を取る流れに変化しており、国立大学でさえも3割ほどを一般選抜以外で取る数値目標を掲げ始めているという。
対して現在、学生はひとりあたり4~5校ほど願書を出すことが多いそうだが、推薦や総合型選抜などで入学が決まると、予定していた一般選抜を受けなくなる。結果、受験者がひとり減るごとに一般選抜の競争率はぐっと下がり、偏差値という相対的な評価基準ではFランとされる大学が増える傾向がさらに強まっているという。
例えば、河合塾のランキング表などを参照すると、10数年前から九州地方の私大では、西南学院大学、福岡大学、久留米大学、立命館アジア太平洋大学以外はすべて“Fラン”に当てはまる。ちなみに九州地方には約80校の大学がある。入試の多様化や一般選抜試験における競争の喪失によって、相対的にFランが増えるという現象が全国で起きている、と後藤氏は言う。
「米国では選抜機能が残っている大学は約14%と言われています。日本も全入化が進み、志願すれば誰でも入れる大学が増えれば、偏差値が象徴する選抜機能はさらに衰えていくでしょう。日本では2025年度にいったん受験人口は増えますが、その後4年間ほど上下した後、以降は右肩さがりになります。団塊ジュニアのピーク時の出生者数は約205万人ですが、2021年は約80万人です。約110万人で全入化が加速するとされていたので、今後さらに人口が減るとなれば、ほとんどの大学で偏差値による競争はますます減ります。日本の高等教育の大局をみると、偏差値やFランという言葉が持つ意味がどんどん失われているのです」(後藤氏)
なお前出のA氏は、Fランというレッテル貼りには東京などの「大都市が抱える地方への先入観」も内包されているのではないかと指摘する。
「近年、地方大学の中でも、東京在住者が想像で見下しているよりも経営努力や教育の改善を重ねて実際は上を行っている大学が、各地方に存在しています。入学する一番下の学生たちの合格最低点が低いので、全体として偏差値が低くみえるのですが合格者の全体の分布を見ると決して、そうではありません。優秀な高校生がみな恵まれた環境で東京の大学に行くというのは、大都市における幻想になりつつあります。自身の人生設計および選択、もしくは家計の問題などで、いわゆるFランと呼ばれていた地方大学に進学してくる学生も増えています」(A氏)
A氏によれば、学生たちを採用する企業も、大学の偏差値という基準がそれほど意味をなさないものであると気づき始めているという。
「たしかに“学歴フィルター”を機能させている企業もまだまだ残っているでしょう。しかし、多くの大手企業はすでに偏差値のからくりやFランと呼ばれる虚構の実情も理解しており、地方大学に入学後に熱心に学び優秀な成績を収める学生がいることにもかなり前から気づき始めています。実際、採用の動きは非常に多様かつ活発です。『地方のFランだから就職できない』というレッテルも、すでに現実を反映したものではなくなりつつあります」(A氏)
偏差値教育が機能しなくなる中で、Fランという言葉に失望する理由も失われつつある。当然ながら、Fランを見下すことで優越感を得られた時代も終わりを迎えようとしているのだ。
後藤健夫(ごとう・たけお) 教育ジャーナリスト・大学コンサルタント。河合塾の職員を経て独立。大学等でのAO入試開発や入試分析・設計など大学コンサルタントとして活動。
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