ビート&アンビエント・プロデューサー/プレイリスターのTOMCさんが音楽家ならではの観点から、アーティストの知られざる魅力を読み解き、名作を深堀りしていく本連載〈ALT View〉。今回は、デビュー50周年を迎える日本のロックアイコンであり、今なお音楽シーンの第一線で活躍している矢沢永吉の「非・ロック」な側面とその音楽性の変遷について語っていただきます。
矢沢永吉(写真/Getty Images)
矢沢永吉は日本のロックスター像を形成した存在だ。その長いキャリアを通じて日本における“王道”――ヴォーカルを核にしたロック――を確立・定着させるとともに、彼も誰もが知るスターとなり、その地位を守り続けた。彼の生きざまを象徴する著書『成りあがり』(角川文庫)の中で「とんでもない山奥で、田植えしているオバサンが観に来るまでやりたい」と語っていたが、まさに矢沢自身がその境地に達したことはもちろん、日本におけるロック・ミュージックそのものの立ち位置をもそのレベルまで押し上げたと言っても過言ではないだろう。これまでに矢沢が共演してきた氷室京介(BOØWY)やB’zなど後進のロックスターたちの躍進も、矢沢が築いた道があってこそだと思える。
一方、矢沢の音楽性はひとえにロックという言葉で括れない要素――ソウルやAOR、シンセ・ファンクなどを時代に応じて取り入れ、絶えず自身のサウンドをアップデートしてきた。しかし、彼のそうしたサウンド面の幅広さにフォーカスした文献は現在、非常に不足していると感じる。この原稿では主に彼のサウンドをグルーヴやアレンジの観点から、1970~80年代を中心に振り返り、非・ロック的な観点から彼のキャリア・功績を見つめ直していく。
ベーシストに出自を持つ矢沢のグルーヴと、ソウル/R&Bの関係
矢沢の初ソロアルバム『I LOVE YOU,OK』(‘75)のプロデューサーであるトム・マックは、映画『ゴッドファーザー』サウンドトラック(主にニーノ・ロータが作曲)のプロデューサーを務めた…と紹介されることが多いが、他にもラロ・シフリン、フランシス・レイ、エンニオ・モリコーネなど錚々たる映画音楽家たちに携わってきた、サウンドトラック界の隠れた重要人物と呼ぶべき存在である。そして編曲は、フランク・シナトラやジョン・レノンとの共演歴を持ち、ポール・アンカやペギー・リー、ホセ・フェリシアーノなどを手がけてきたマイク・メルボーン。主要スタッフたちのこうしたバックグラウンドから想起されるように、本作はラウドなロックサウンドに留まらない、さまざまな音楽性を併せ持った奥深いアルバムに仕上がっている。この時点で既に、彼の嗜好の幅広さは現れていたと言えよう。
そうした本作の奥深さが顕著に表れた例に「ライフ・イズ・ヴェイン」がある。ストリングスやフルート、女声コーラスが特徴的な、跳ねるミディアム・グルーヴのソウルナンバーであり、矢沢をロック(あるいはロックンロール)的な音楽性でイメージしている方は驚くかもしれない。
この粘るようなグルーヴは、次作以降のアルバム収録曲でもしばしば聴くことができる。太いベースが主張し、エレピアノが煌めき、フルートが舞う「古いラヴ・レター」(76年作『A Day』収録)、ブルース色を強めつつベースが曲を完全に支配する重いグルーヴが聴ける「あの娘と暮らせない」(77年作『ドアを開けろ』収録)など、こうした同時代のソウルミュージックに接点を持つ楽曲は、初期の矢沢のアルバム作品に奥行きを持たせる重要なピースとなっている。
忘れられがちだが、矢沢はベーシスト出身の音楽家である。キャロルの一員として活動していた頃の彼は、ベースを構えてヴォーカルを執っていた。ソロ以後の彼は基本的にヴォーカルに専念し続けたが、この出自が影響を与えたのかと思えるほど、彼の作品には印象的なベースをはじめ、バンド全体のグルーヴが光るものが多い。こうした楽曲は、その後、1978年のシングル「時間よ止まれ」およびアルバム『ゴールドラッシュ』で大ブレイクした後も、引き続き彼の重要なレパートリーであり続けていく。
例えば「I SAY GOOD-BYE, SO GOOD-BYE」(79年作『KISS ME PLEASE』収録)はクラヴィネットとピアノが重なるイントロ、曲中で転がるフェンダー・ローズの音色など、ワイルドさと優美さを兼ね備えたアレンジが楽しめる逸品だ。また、フェンダー・ローズの活躍という点では、控えめに挿入されたギターカッティングも効果的な「夕立ち」(80年作『KAVACH』収録)も忘れてはいけない。
こうした楽曲のリリースを経た矢沢は、日本国外での作品発表を目指してロサンゼルスへと渡米し、現地でのレコーディングを行なっている。ここからは1981年以降、ますますグルーヴに磨きをかけていく彼の作品を振り返っていこう。(1/3 P2はこちら)
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ロサンゼルスで録音され、海外配給もなされた矢沢の勝負作『YAZAWA』(’81)は、ドゥービー・ブラザーズのボビー・ラカインドと、リトル・フィートのポール・バレアの共同プロデュース。参加ミュージシャンもジョン・マクフィー(ギター)をはじめ、両バンドのメンバーが多数を占めている。
この充実作でまず先に紹介したいのが、最高のミディアム・グルーヴ「SUGAR DADDY」だ。まさにリトル・フィートに通じる、後ろに引っ張られるようなレイドバックしたリズムが心地よい楽曲である。
(※このアルバムは計4名のドラマーが参加していることがクレジットからわかるが、誰がどの曲を担当したかは記載がない)
もう一曲重要なのが、矢沢のソウル的側面とロックが融合した「DANCE THE NIGHT AWAY」。エモーションズ「Best of My Love」(‘77)、およびシェリル・リン「Got to Be Real」(‘78)のヒットを通じて世界的に広まった特徴的なリズムパターン「スウェイ・ビート」を独自の解釈で取り入れたようなビートの上で、つんのめるように歌詞を畳み掛ける矢沢のヴォーカルが印象的な楽曲である。
こうした『YAZAWA』での成果を引っさげ、日本人のメンバーと作り上げたのが『RISING SUN』(’81)だ。中でも動き回るギターリフ・ベースが印象的な「HEY BOBBY」は、前述の「DANCE THE NIGHT AWAY」無くしては生まれなかったグルーヴに思える。
そうした中で、矢沢のグルーヴィな楽曲はAORに通じる洗練性を深めていく。スティーリー・ダン「Josie」を矢沢流に発展させたような「EBB TIDE」(82年作『P.M.9』収録)はその筆頭だろう。矢沢とスティーリー・ダンは一見、縁遠いように思えるが、ここまで読んだ読者の方ならすんなり受け入れられるはずだ。
AORに通じる清涼感のあるサウンドは、「時間よ止まれ」「THIS IS A SONG FOR COCA-COLA」などこの時期以前のヒットシングルにも垣間見えるが、そうしたサウンドを発展させた楽曲――「ミスティ misty」「このまま…」(ともに83年作『I am a Model』収録)などを矢沢は多数生み出していく。
もっとも、現代のシティポップ・ムーヴメントで特に熱い注目を浴びているのは、よりデジタルなサウンド、いわゆるシンセ・ブギー的なものではあるが、実は矢沢はそうした楽曲も多数リリースしている。ここからは、彼の1984年以降の楽曲を参照していこう。(2/3 P3はこちら)
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1980年代の音楽界を席巻したリズムマシン「TR-808」。イエロー・マジック・オーケストラをはじめとするニューウェイヴの音楽家に愛され、その後このサウンドを全面的に取り上げたマーヴィン・ゲイ「Sexual Healing」(‘82)のヒット後はR&B界にも浸透。ジャム&ルイスのプロデュース作品を筆頭に、当時のスタイリッシュなR&B(日本でいう「ブラコン」ことブラック・コンテンポラリー)には欠かせない機材になっていった。
かねてよりR&B的な音楽性を取り入れていた矢沢は、こうした潮流にもすぐさま対応。「LONG DISTANCE CALL」「棕櫚の影に」(ともに84年作『E’』収録)、「SORRY…」「瞬間(いま)を二人」(ともに85年作『YOKOHAMA二十才(ハタチ)まえ』収録)などでは、TR-808が前面に出た編曲を楽しめる。
シンセサイザーが前面に出たファンク・チューン、いわばシンセ・ブギー的な楽曲では、現代のシティポップ・リバイバルの曲調ど真ん中のリズムアレンジが聴ける「浮気な午後の雨」(85年作『YOKOHAMA二十才(ハタチ)まえ』収録)、TOTOやエルトン・ジョンの諸作で活躍したキーボード奏者ジェームズ・ニュートン・ハワードが参加した「SOMETHING REAL」(’87年作『FLASH IN JAPAN』収録)などが代表格だろう。このあたりのサウンドは現在の矢沢のパブリックイメージからは最も遠いもののひとつだろうが、まさにいま再評価されるべき内容である。
こうしたサウンドを経て発表された東芝EMI移籍作『共犯者』(’88)ではアレンジャーやミュージシャンに海外勢を多数招き、同時代を意識したロック方面へと回帰していく。とはいえ以後も音楽的冒険は続き、レゲエを取り入れた「ミス・ロンリー・ハート」(94年作『the Name Is…』収録)や、ハウスビートが聴ける異色作「リナ」(2000年作『STOP YOUR STEP』収録)などでは、矢沢のサウンド・アレンジ面への飽くなき好奇心を感じることができる。
日本的なロックスター像の影に隠れたサウンドの多様性
冒頭で述べたように、矢沢は日本的なロックスター像を確立した功績や革新性が高く評価されてきた一方、そのサウンド面の多様性や、時代に沿った積極的な変化・冒険を行ってきた歴史については長く振り返られずに来たように思える。2000年代以降、日本国内の“和モノ”DJシーンや海外の音楽マニアを通じ、日本産ポップスはさまざまな角度からの再評価がなされてきたが、その明確なロックのパブリックイメージや、そうしたイメージをまとって今なお現役で活動を続けているためか、ロックの枠のみに留まらない矢沢永吉という音楽家の実像については、なかなか正当な目線からの評価を得るには至らなかったように思える。
本連載ではこれまでも「B’z×シティポップ」「井上陽水×アンビエント」「小室哲哉×R&B」など、アーティストの知られざる側面や、本来もっと評価されるべき功績を取り上げ、先入観に捉われない音楽作品の楽しみ方を提案してきた。その中でも矢沢は、日本のポップス史を語る上で有力視される「はっぴいえんど史観」と対を成す存在として、今後その音楽性が一層深く掘り下げて語られるべきだと感じる。将来的に「キャロル~矢沢史観」が形成されていく上で、この原稿が何らかの補助的役割を担うことができたら心から嬉しく思う。
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本稿で紹介した楽曲を中心に、矢沢永吉のソウル/R&B~ファンクなどグルーヴィな楽曲をまとめたプレイリストをSpotifyに作成したので、ぜひご活用いただきたい
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