文明社会における最大のタブーとして、カニバリズム(人肉食)が挙げられる。人間が同じ人間を共食いするという行為には、戦慄を覚えずにはいられない。
ルカ監督のブレイク作『君の名前で僕を呼んで』(17)に主演したティモシー・シャラメとの再タッグ作として、注目度がとても高い。『WAVES/ウェイブス』(19)で殺人罪に問われる兄を持つヒロインを好演したテイラー・ラッセルとの共演作となっている。
ルカ監督にとっては、男たちの愛の世界を描いた『君の名前で僕を呼んで』、カルト的ホラー映画を1970年代ヨーロッパの不穏な社会情勢を背景にしてリブートした『サスペリア』(18)との延長線上にある作品だと言えるだろう。
R18指定となった本作を配給のワーナー・ブラザーズ映画は「純愛ホラー」と謳っているが、純然なホラー映画にも恋愛映画にもカテゴライズされるものではなく、生きづらさを抱えた若者たちの血まみれの青春映画といった趣きが強い。
人を食べなくては生きていけないという重い業を背負う主人公たちを、ルカ監督は社会的マイノリティーとして捉え、彼らが懸命に生き抜こうとする姿を描いている。社会派ドラマならぬ、社会派ホラーとして見応えのある作品だ。
罪を犯しながら、旅を続ける若者たち
舞台は1980年代の米国、物語の主人公となるのは女子高生のマレン(テイラー・ラッセル)。小さい頃から引っ越しを繰り返し、父親(アンドレ・ホランド)の監視が厳しいこともあって、友達を作ることができずにいた。いつもひとりぼっちでいるマレンのことを、心優しいクラスメイトが気遣い、お泊まり会へと誘う。
父親の目を盗んでお泊まり会にマレンが参加したことから、衝撃的な事実が発覚する。マレンに優しく接するクラスメイトと戯れていたマレンだったが、ふいにクラスメイトの指をマレンは食いちぎってしまった。マレンはeater(人喰い)だったのだ。
マレンが事件を起こしたことを知り、父親は「これ以上は耐えられない」と姿を消してしまう。父親が去った後には、わずかなお金、出生証明書、録音テープが残されていた。録音テープには、幼少期のベビーシッターに始まり、マレンが親しくなった人たちを次々と捕食してきた過去が語られていた。
マレンは幼い頃に失踪した母親を探す旅へと向かう。母親を見つけることができれば、自分が生きる場所もあるのではないかと考えたのだ。長距離バスの行き先には、米国中西部の荒凉とした風景が広がっている。
旅の途中、マレンは人生を大きく左右する2人の男性と出逢う。最初に出逢った年配の男性・サリー(マーク・ライランス)は、匂いでマレンの秘密に気づいた。サリーもまた人喰いだった。サリーは人喰いとしての処世術や人喰い同士は食べてはいけないというルールをマレンに教える。
サリーと別れた後、マレンの嗅覚に強く訴えかける若者・リー(ティモシー・シャラメ)が現れる。リーもやはり同属だった。
凄惨なカニバリズムシーンとは対照的に、マレンとリーとの旅する姿は青春ロードムービーとしての輝きがある。社会のどこにも居場所のない主人公たちが、安住の地を求めてさまよい続ける。
罪を犯した恋人たちが米国の荒野を旅する様子は、テレンス・マリック監督が実在の殺人事件を題材にして撮り上げた伝説のデビュー作『地獄の逃避行』(73)を思わせるものがある。アメリカンニューシネマの世界を、ホラー要素を交えてリブートした作品だと言えるかもしれない。イタリア出身のルカ監督の、アメリカンニューシネマへのリスペクトを感じさせる。
マレンは母親と再会することで、自身のアイデンティティを受け入れることができるのか。また、マレンとリーは人間社会で生きていくことができるのか。目が離せない展開が続く。
本作の原作となったのは、2015年に刊行されたカミーユ・デアンジェリスのYA(ヤングアダルト)小説『ボーンズ・アンド・オール』。
カニバリズムというヘビーな題材を小説にしたカミーユは、どんな作家なのだろうか。原作小説の日本語版の編集を担当した早川書房の東方綾さんに尋ねた。
東方「米国在住のカミーユは、現代版メアリー・シェリー(『フランケンシュタイン』の原作者)を主人公にした SFジャンルミックス小説『Mary Modern』で2007年にデビューし、『ボーンズ・アンド・オール』は3冊目の小説になります。アイルランドに留学した経験があり、アイルランドの旅行ガイドやセルフヘルプ本なども執筆しています。若者向けの良書を選出するアレックス賞に選ばれた『ボーンズ・アンド・オール』は、脚本家のデビッド・カイガニックが読み、ルカ監督に勧めたそうです。よくぞ見つけ、映画化してくれたなと思います。ちなみにカミーユは、野菜しか食べないヴィーガンだそうです」
カニバリストが登場する米国小説というと、ジャック・ケッチャムのホラー小説『オフシーズン』、トマス・ハリスの犯罪小説『羊たちの沈黙』などの毒気たっぷりな作品が思い浮かぶ。だが、カミーユが書いた『ボーンズ・アンド・オール』には、主人公たちの成長を描いた青春小説としての魅力が感じられる。
東方「米国の出版界では一時期、アーバンファンタジーと呼ばれるジャンルが流行しました。『トワイライト~初恋~』(08)として映画化された『トライライト』シリーズなどがそうです。『ボーンズ・アンド・オール』もその流れを汲むものですが、ファンタジーどっぷりな世界観ではなく、リアルな青春ものとファンタジーものの中間に位置する作品になっています。
愛する人と身も心も一体化する主人公
映画は原作にほぼ沿った形で物語が進んでいくが、アレンジされている部分もある。マレンが探すのは原作では父親だが、映画ではマレンを産んだ母親を探すことになる。母親との再会劇は、マレンにさらなる衝撃を与える。もうひとつ、原作と映画との違いを、東方さんは指摘した。
東方「原作では、マレンの犠牲になるのは、最初のベビーシッター以外はみんな男の子なんです。サマーキャンプなどで仲良くなり、2人っきりになった男の子をマレンは食べてしまう。好きになった相手のことを食べてしまいたくなるという衝動を、マレンは抑えることができないんです。映画ではその部分はアレンジされていますが、原作のモチーフをうまく生かした映画になっていると思います。
スティーヴン・スピルバーグ監督の『ブリッジ・オブ・スパイ』(15)でソ連の諜報員を演じ、アカデミー賞助演男優賞を受賞したベテラン俳優のマーク・ライランスが、年齢不詳の男・サリー役で不気味な存在感を放っている。これまで多くの人たちをたいらげてきたサリーに対し、マレンは本能的に危険なものを感じている。だが、サリーがいなければ、マレンは人喰いとしての生きるすべが分からず、リーと知り合うこともできなかったはずだ。
食人鬼と化しているサリーとは対照的に、若いリーは人間らしい心を失わずに生きようとする。そんなリーと一緒に行動することで、マレンは自分の中に湧いてくる猛烈な飢餓感を抑えるようになっていく。愛するリーも、おぞましいサリーも、どちらもマレンが成長する上で欠かせない存在だった。
キリスト教の聖餐式では、イエス・キリストの肉と血を模したパンとぶどう酒を信者たちは口にすることになる。カニバリズムを文化的に捉えると、飢餓を満たすためだけでなく、呪術性や宗教的な意味合いを持ったケースが古くから存在する。この映画のクライマックスにも、壮絶さを極めた聖餐式が用意されている。
安住の地はどこにも約束されていないマレンとリーだが、それでも2人は必死で生き抜こうとする。ティモシー・シャラメ演じるリーの神々しさが目に焼き付く。
『ボーンズ アンド オール』
監督/ルカ・グァダニーノ 脚本・製作/デビッド・カイガニック
出演/テイラー・ラッセル、ティモシー・シャラメ、マーク・ライランス
配給/ワーナー・ブラザース映画 R18+ 2月17日(金)より全国ロードショー
©2022 Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. All rights reserved.
※日本語版原作小説『ボーンズ・アンド・オール』は早川書房より発売中
warnerbros.co.jp/bonesandall
【パンドラ映画館】過去の記事はこちら城定秀夫監督が映画界で高評価される理由とは? 映画愛溢れる『銀平町シネマブルース』 生命の喪失と再生、夢の終わりと現実との対峙。文字にすると仰々しいが、そんな普遍的なテーマをユーモアと祝祭感をたっぷりに描いたのが、ただいま絶賛ブレイク中の城定秀夫監督...