民放ゴールデン・プライム帯の夏ドラマがスタートを切ったタイミングではあるが、「ドラマ序盤ランキング」(5月15日公開)で取り上げた作品は最終的にどうだったか、遅ればせながら春ドラマの総括をお届けする。
春ドラマは『日ぐら』『だが情』『ラストマン』の横並び
『日曜の夜ぐらいは…』ドラマ公式サイトより悩みに悩んだが、春ドラマはずば抜けた作品がなかったという印象で、どれかひとつの作品を1位に押すのはためらわれた。心情的には『日曜の夜ぐらいは…』か『だが、情熱はある』のどちらかで迷うところだが、エンタメに振り切った『ラストマンー全盲の捜査官ー』の単純明快さも捨てがたい。
清野菜名、岸井ゆきの、生見愛瑠(めるる)の3人の女性を描く『日曜の夜ぐらいは…』(ABC制作・テレビ朝日系)は、序盤の重苦しい展開に気鬱になったが、3000万円の宝くじに当選し、それを分け合う第3話から雰囲気は一変。オリジナル脚本だけにどういう着地になるかが読めず、序盤の“重さ”を視聴者が引きずるあまり、「どこかで落とし穴があるのでは」「カフェの賢太は詐欺師なのでは」「これは途中から夢で、夢オチになるのでは」など疑心暗鬼にかられ、ハラハラしながらも、ただただ3人が幸せになってほしいと願うという不思議な現象が起こった。結果的には、善人はただひたすら善人で、悪役も心底悪い人間ではない(であろう)というファンタジーな世界観のなか、ぬるま湯のような心地よさが続くという、ありそうであまりない作品だったが、人によってはそこが物足りない、つまらないという感想にもなりえるだろう。
好みは分かれる作品だが、サチ(清野菜名)ら3人の友情、そしてひいてはみねくん(岡山天音)や邦子(和久井映見)、富士子(宮本信子)も交えた疑似家族的な関係性はずっと見ていたい、応援したいと思わせる魅力があった。ただ、脚本の岡田惠和が途中で飽きてしまったのか、最終話の物語の畳み方はやや性急かつ強引で、カメラに向かって主題歌の歌詞を引用したセリフを言わせたり、「2023年を生きる戦士」云々のモノローグあたりは、それらしいメッセージを乱暴に放っただけという“投げっぱなし”の印象が強く、これさえなければ春ドラマの1位にしたい作品だった。サチが全力で自転車を漕いで他の人たちを追い抜いていく姿だけで、駅伝で7人抜きをした頃のかつての自分を完全に取り戻したのだとわかる演出になっていただけに……。
高橋海人×森本慎太郎の『だが、情熱はある』(日本テレビ系)は、より人を選び、より実験的な作品だったように思う。まずおもしろかったのは、伝記ドラマを目指していなかった(であろう)ところだ。ネットでは、自分語りの際に特定を避けるためにあえて嘘の情報を入れて話すことを“フェイク入れる”などと表現するが、若林&春日・山里&しずちゃん以外は基本的にモデルの人物とはまったく異なるキャラクター名になっていたり(クリー・ピーナッツはほぼそのままだったが)とフィクションとして構築しようとしている意志が感じられ、どちらかというと朝ドラ的な作風だったといえるし、俳優の松尾諭の半生を描いたNHKドラマ『拾われた男』っぽくもあった。ところどころ本人役で登場する有名人がいたり、どちらもキーとなる人物を薬師丸ひろ子が似ているのも『拾われた男』との共通項だし、青春ドラマとして描こうとする姿勢も近い。
それだけに、『拾われた男』や朝ドラぐらい、ドラマ的な表現や大胆な脚色がもっとあってもよかったように思えるが、さすがに難しかったのだろうか。特に序盤は、水卜麻美のナレーションもあいまって、やや再現ドラマっぽくも感じられた。
しかしそれでも、高橋海人と戸塚純貴、森本慎太郎と富田望生のメインの4人の演技は素晴らしかったし、特に最終話で若林(高橋)と山里(森本)が高橋(本人)と森本(本人)と交錯する一連のシーンは、見ているこちらの頭が混乱しそうなぐらいに高橋と森本のなりきりっぷりが見事で、あのシーンを観るためだけでも価値があるドラマだった。
『日ぐら』と『だが情』が攻めたドラマだとしたら、『ラストマン』はきわめて保守的な作風ではあるが、黒岩勉の無駄のない話運び、そして何より福山雅治と大泉洋を実際の関係そのままにバディとして生かし切った設定が何よりのエンタメになっており、深く考えずに楽しめるドラマだった。目の見えない皆実(福山)が途中からアイカメラなしでも大活躍し始めたり、第7話でスパイ容疑の女性に国家機密を横流しした容疑で飛ばされた書記官の件が(女性のスパイ容疑は晴れたのに)忘れられていたり、と細部で気になる部分はあったが、そもそも「全盲の日本人FBI特別捜査官が来日して……」という設定そのものがリアリティから離れているため、さほど気にはならないだろう。特に今回の春ドラマは、最終回に不満が集まるような作品が目立ったこともあって、スッキリ終わってみせた『ラストマン』の安定感は光った。
『教場0』は“もったいない”ドラマ
木村拓哉主演の『風間公親-教場0-』(フジテレビ系)は、力の入った作品であったことがうかがえただけに、いろいろともったいなさを感じた。原作がそうだから仕方ないのだが、やはり「警察学校を舞台にした教官と生徒の物語」を「捜査一課を舞台にした指導官と新米刑事の物語」に置き換えることにやや難しさがあったという印象だ。
かなりヒネったトリックの事件が続いただけに(一部はなかなか荒唐無稽だったが……)、風間が(新米刑事とバディを組んで)バリバリ活躍する刑事モノとして脚色したほうがよかったように思う。ドラマ版はもとより一部キャラクターを変更したり、オリジナルキャラを投入したり、一部ストーリーも変更されているのだから、難しいことではないはずだ。シリアスな空気を強く放つ作品だっただけに、「かなりの難事件なのに新米刑事に“答え”が出るまで捜査させる(なお風間は早々に“答え”を導き出している」というところに引っかかった人は多いのではないだろうか。一応、劇中でも犯人逮捕よりも新人教育のほうが重要だという信念を語らせてはいたが……。
堀田真由や坂口憲二の使い方ももったいなく感じられたが、それ以上にフジテレビ側のプロモーションの仕方にも強い疑問が残った。
キャストも華やかな大作で、難事件解決モノとしては見ごたえもあっただけに、足を引っ張る要素が散見されたのがもったいないドラマだったというのが筆者の結論だ。
『あなたがしてくれなくても』(フジテレビ系)は、オチそのものは個人的にはそれなりに納得ができたが、そのオチに向かう過程がやや雑に感じられたし、それゆえに後半の感情の動きとやや矛盾して見えたのがひっかかった。このあたりは原作を追い抜いてしまった限界だったのかもしれない。奈緒と永山瑛太の演技はさすがの一言。
「ドラマ序盤ランキング」でガッカリ3位に選んだ『それってパクリじゃないですか?』(日本テレビ系)は、重岡大毅演じる北脇の“デレ”が強くなってくる中盤からおもしろみが増してくる。「1話まるまる他作品の“パロディ”をやる冒険心が欲しい」と書いたが、最終回がまさかの初回(やこれまでの話)の“パロディ”だったのも、この作品らしくてよかった。主人公の亜季(芳根京子)のキャラクターや行動がもう少し社会人としてまともで共感できるものであったら、もっと評価されたのではないだろうか。
『王様に捧ぐ薬指』(TBS系)と『わたしのお嫁くん』(フジテレビ系)はどちらも気楽に観られるラブコメで、どちらも定型的なつくり。『お嫁くん』は赤嶺さんを演じた仁村紗和の振り切れっぷりを始め、クセの強いキャラが多めだったのでそのぶんキャストの芝居が楽しめた。
「ドラマ序盤ランキング」では高畑充希×田中圭『unknown』(テレビ朝日系)をガッカリドラマ1位に選んだが、これが見事なトンデモドラマだった。当時この序盤ランキングの記事に「連続殺人事件のほうは本当にただのサイドストーリーで、このドラマのメインはラブコメなのだろう」と書いたが、大方の予想どおり、行動が不自然すぎた加賀美(町田啓太)が連続殺人事件の犯人で、ただ多数の死者を出しただけに終わった。しかも、虎松(田中)の父親・彪牙は井浦新がシークレットキャストだったりと意味深だったため、この父親が20年前に起こしたとされた一家惨殺事件には何か別の真相があるのかと思われたが、何も説明されずに終わってしまった。
そもそも、加賀美は吸血鬼を勝手に憎み、吸血鬼の仕業と見せかけて吸血鬼たちを殺していったのだが、最初の被害者は友人だったために納得がいくものの、2人目から4人目の被害者までは加賀美はどうやって吸血鬼であると気づくことができたのだろうか。てっきり吸血鬼のために血液を流通させている組織の名簿でも手に入れたのかと思いきや、こころ(高畑)のことは途中まで吸血鬼と気づいていなかった様子で、その可能性はなくなった。またどうやって(吸血鬼の仕業と見せかけるために)失血死させていたのかなど疑問は尽きなかったが、それに答えてくれるような脚本ではなかった。
一部では吸血鬼はマイノリティのメタファーなどと高尚な言説も出ていたが、そんな大それた主張を込めた作品のようには思えない。そもそも、現代では平和的な方法で血を手に入れられるからといって、吸血鬼が人間の血液を摂取して生きているのには変わりなく、それはつまり、かつては吸血鬼は人間を襲って暮らしていたと考えられるわけで、そういう存在を現実のマイノリティと同列に並べるのはきわめて失礼ではないだろうか。そもそも吸血鬼絡みの設定(怪力、日差しに弱いなど)自体が途中からいい加減になっていたが……。
結局、こころと虎松が幸せなので万々歳、という終わり方になったが、最後の最後までカップルらしかったのはこころと加賀美のほうだった(こころは加賀美を最後まで信じようとするが、虎松に犯人の可能性が浮上するとなぜか信じることなく疑いの目を向けた)あたりも含め、いったい何を見せられたのかという気持ちにさせられたドラマだった。
『unknown』以上にガッカリした『ペンディングトレイン』

『unknown』は序盤ランキングですでにガッカリ1位に選んでいたため、やはりか……という思いが強かったが、最終回で一気にガッカリ度を上げたのが山田裕貴主演の『ペンディングトレイン―8時23分、明日 君と』(TBS系)だった。『ペンディングトレイン』は物語が展開するスピードがかなりゆったりだったが、6号車の人々が登場したあたり(第5話)からようやくおもしろくなってきそうだという予感がしたものの、2026年に戻ってからは急失速。駆け足で進んだ2026年編は、特に脚本から「描こうとするもの」を表現しきれない力不足感が強く伝わった。
そもそも〈予測不能のヒューマンエンターテインメント〉と謳っていたあたり、SFを真剣にやる気はなかったのだろうが、それにしてもいい加減すぎるSF要素には失笑してしまった。つくばエクスプレスの車窓から見えるところで「超新星爆発」が起き、「この時発生した10億度以上ものエネルギー」が地震を引き起こして時空がゆがんだのがタイムワープの“真相”のようだが、10億度以上のエネルギーが発生すればまずその時点で関東一帯が荒野となってしまうだろうし、それがたとえ問題なかったとしても、こんな一大事件を世界が騒がないはずがない。当然、電車の2車両だけが忽然と姿を消したことの関連性を疑う人はもっといていいはずだ。それ以外にも、5号車と6号車が同じタイミングでワームホールに飛び込んだのにもかかわらず、時間差で(それも別々の場所に)2060年に飛ばされた理屈もつかないし、ワームホール発生時の磁力(?)を猫パンチしたら握力を失ってしまったなど、謎理論ばかりが横行するのだ。ここまで適当なら、いっそのこと「神隠し」とか「呪いの力」のようなファンタジー要素にしてしまったほうがよかったように思う。前期も幽霊の話だったわけだし。
SF設定がいい加減だったことは置いておいても、数々の意味深な要素が、ただ視聴者を引き付けるためだけの“釣り”でしかなかったことにもゲンナリさせられた。いや、予感はあった。
本ドラマのプロデューサーは、電車で誰もが携帯電話の小さい画面を見つめている状況を見たことを本作が生まれたきっかけのひとつとして挙げており、第9話での“ネット上の誹謗中傷”的な展開や、最終回での直哉(山田裕貴)の熱弁はわからなくもないが、ちょっとあまりに唐突すぎたし、SNS社会への警鐘というテーマがあったのなら、2060年編をもっと早く終わらせ、2026年編に移行してもっと掘り下げるべきだっただろう。ネットニュースのコメントに片っ端からマイナス評価をしていた明石(宮崎秋人)の初回の行動についても回収したほうがよかったのではないだろうか。そもそも第9話での展開はやや極端に感じられたが、それでいて2060年から帰ってきた5号車の人たちに対して複雑な心情を抱いているはずの6号車の乗客の家族・友人に触れなかったのも残念だ。
ドラマが終わって、まず浮かんだ疑問は、『ペンディングトレイン』は何人の死者を生み出した作品なのだろうか、ということだった。5号車と6号車で乗客は計132名だという。第1話で崖に転落した集団もいたし、6号車の人々が姿を見せた第5話時点で、いったい何人が生き残っていたのか。そして主人公たちは、勝手に乗り込んできた植村(ウエンツ瑛士)と加古川(西垣匠)を除いて6号車の人たちには何も知らせずに二度目のタイムワープを敢行。2060年に置いていかれた人たちを“死者”と数えるのは気が引けるが、2026年の人たちにとっては会いたいと思っても二度と叶うことがない(はずの)人たちだ。
結末はご想像にお任せする、というスタイルだったが、そのあまりの説明不足からかえって結末に関して「勝手な妄想」を呼んでしまったのも皮肉な結果だったように思える。なによりペンディングされたのは、最終話まで見届けた視聴者の心情のほうだった。
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