「お前の代わりはいくらでもいる」
今やナンセンスの塊でしかないこのセリフだが、一昔前なら日常で聞くことも少なくなかった。これは仕事へ対して個性を必要としない時代に言われた言葉で、ドラマなどでも良く使われていたある意味ベタな言葉だ。
しかし、続きに「……だから今は無理せずに休むんだ」という言葉がくれば、相手のことを思いやるとても素敵な言葉に変化するのだ。
さらにこう言われた事をバネにして、代わりがいないような人間になろうと努力する起爆剤になることもあるかもしれない。なので一概に悪い言葉だとは言えないが、やはり良い言葉として受け取ることが出来る状況はそうそうないだろう。
冒頭にも書いたが、この「お前の代わりはいくらでもいる」という言葉は個性を無視した言葉なので、個性を大事にする現代においては、ほぼほぼ使われなくなったのではないだろうか。個性と言えば、唯一無二の人間性を商品として売っている芸能界において、他の何よりも大切なものだ。「お前の代わりはいくらでもいる」という言葉とは真逆の「替えがきかない」場合が多く、よっぽど体調が悪くなったり、飛行機が飛ばないなどの不測の事態でない限り、違うタレントを代打で使うということはほぼ無い。
さらに代打とはいっても代わりではなく、カテゴリーは同じだが全く違う商品を使う感覚なので、元の商品と同じような効果は得られない。逆に違う商品が元の商品より良い効果を発揮することもある。そうなると元の商品の価値が脅かされる状況になってしまう。そういった意味でもタレントは極力休まない仕事のひとつなのだ。
しかしそんな仕事でも先述したように不測の事態が起こるとお休みしなければならない。
このようによっぽどのことがない限り仕事に穴をあけることはしないのだが、僕も芸人時代に一度だけ仕事に穴をあけてしまったことがあった。
まだ芸人として若手の頃に、とあるテレビ番組の長期イベントの仕事が入ったのだ。テレビ局が主催しているということもあり、若手芸人にとっては間違いなくチャンス。スキルアップが出来るかもしれないと、その仕事をとても楽しみにしていた。
そのイベントの2日前に僕が所属していた芸能事務所の社長と食事会があった。忘れもしない新浦安の食べ放題だ。食べ放題と言っても安さが売りのチープな食べ放題ではなく、ある程度しっかりした金額を支払うタイプの高級食べ放題。貧乏生活をしている若手芸人にとっては栄養を補給する絶好の機会だった。
そこは平日にも関わらず、親戚一同で来た家族や、おめかししたカップル、はしゃいでいる女子大生などで賑わっていた。お店のウエイターさんに誘導され、ビュッフェに近い最高の席へ。着席すると社長の我々に対する労いの言葉は始まったのだが、この食べ放題には時間制限があり、僕も相方もすでに意識はビュッフェ。社長の言葉など全く耳に入っていない。それを察したのか「……早く食べたいよね?」という言葉で、労いの言葉は幕を閉じた。
さあいざ食べ放題!さきに言っておくが、相方も僕も大食いではない。制限時間を半分以上も残し満腹のその先へ到達していた。これが自分たちだけの食事会ならとうに「ご馳走様!」と言い、とっとと帰路についている。
帰ろうと思い立ち上がったのだが、心地よさから遥か先にある満腹感と、今にも逆流しそうになる食べ物達のせいでトイレに行くことにした。トイレに行き用を足したのだが何の変化もない。とりあえず社長にお礼をして見送り、そこから2回目のトイレに直行。汚い話だが上からも下からも出し続けた。しかし超越した満腹感と若干の腹痛は収まらない。
どのくらいトイレに居たかはわからないが、扉の外から相方が「大丈夫~?」と声をかけてきた。僕は相方の存在を忘れており、待っていてくれたことをその時に知った。
トイレの個室に籠ること1時間。何をしても体調が戻らず、仕方ないので帰ることにしたのだが、当時の僕の家は神奈川県。新浦安から僕の家まで電車で2時間近くかかる。エスカレーターや階段をやっとの思いで登り、最終電車に乗り込んだ。神奈川へ向かう車内はかなり混んでいる為、座ることは許されない。座り込みたい気持ちを抑えて何とか手すりにつかまり立っていた。確か肌寒い時期だったが変な汗でびちょびちょになりながらなんとか家に到着したのを覚えている。
しかし移動中ほぼ意識が朦朧としていたので、どうやって帰ったかは全く記憶にない状態だった。お腹と背中に痛みを感じつつ、何とか治したいと思い、購入したドクターペッパーを2本一気飲みした。なぜドクターペッパーを飲んだのかというと、「ドクター」というその名前にすがった結果だった。
病院が始まるまで少なくとも7時間以上ある。少しでも寝て時間が経つのを期待したのだが、布団に横になっても背中の痛みで眠れず、我慢の限界が来たのでタクシーで救急病院へ向かった。フラフラになりながら診察を受け、誰もいないフロアの長椅子に横になりながら検査結果を待った。
病室へ呼ばれ先生から「小腸が動いていない」プラス「急性膵炎」との診断結果を言われ、緊急入院となったのだ。入院の準備をしてもらっている間、両親へ電話で入院することになったと報告し、先ほどと同じ椅子で横になっていたとき、一人の看護士さんが近づいてきたのだ。その時も意識が朦朧としていたのではっきりとは覚えていないが、どうやら僕の電話に出た看護士さんで、明日の朝来るように言ったことを謝罪してくれていたようだ。
そこからは点滴を打たれ麻酔で眠らされたので記憶はない。翌朝病室のベッドで起きると両親と一緒に相方がお医者さんからの説明を受けていた。なぜ与座がここにいる? と思っていたのだが、とりあえず状況を聞くとどうやら僕は一週間ほど入院しなければいけなくなったのだ。所属事務所には相方が連絡してくれるとのことだったので、僕はとりあえず体調を戻すためにベッドで眠ることにした。
それからどれくらい経ったかはわからないが、看護士さんが僕の点滴を換えに来たタイミングで目が覚めた。その時ふとあることが頭を過ったのだ。それは明日に迫ったテレビ番組の長期イベントだ。初日だけでも参加した方が良いと思い、その場にいた看護士さんに明日だけ病院を抜けさせてくれないかと担当のお医者さんに聞いてもらったのだが、もちろんダメ。何とかしなければと車椅子に飛び乗り、ナースステーションの横にある公衆電話から当時の担当マネージャーへ連絡をして状況を告げた。するとマネージャーから「最近休みなかったんでこの機会にゆっくり休んでください」と諭されてしまったのだ。
仕方なく僕は一週間休むことにした。芸人時代にやむをえず休んだのはこの時だけだった。自分の代わりはいないと思っているからこそ、胸を張って芸人が出来ていたのだと今になって思う。こういう思いって意外と大事ですよね。
そういえば入院している間、点滴だけでほとんど食事をしていなかったので、1週間で7キロ痩せた。そして退院してまず食べたのはマックの「テリヤキバーガー」だった。いらない情報を書いてこのコラムを締めたいと思う。あしからず。
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