芸人が一番ウケた瞬間!激レアお宝映像連発 | TVer

 27日放送の『芸能界ウケたから残して映像GP』(フジテレビ系)。芸人たちが過去のフジテレビでの出演でもっともウケた瞬間を自薦し、グランプリを決めるという番組である。

 スタジオにはくりぃむしちゅー劇団ひとりアンガールズ大久保佳代子みちょぱ朝日奈央オードリー春日俊彰が並び、ハライチチョコレートプラネットバカリズムなどがVTRゲストに出演するゴールデンらしい豪華なラインナップが揃った。

水曜日のダウンタウン』(TBS系)でたびたび行われている「芸人がいちばん面白かったシーン」の自薦バージョンといったところだが、メンツがメンツだけにさすがに外さないシーンが選ばれていた。そんな中、スタジオの空気を微妙にしたのがオードリー春日の選んだシーンだった。

 春日が選んだのは2015年の『人志松本のすべらない話』での一幕。この日、初登場だった春日は6回もサイコロに当たる幸運に恵まれたが、その中から「ドイツの空港でトゥース」を自薦。この話はたびたび披露されており、後にNetflix『トークサバイバー』の終盤でも大爆笑をさらっている春日の定番エピソードだ。

 だが、この日のスタジオではさほど盛り上がらず。MCの上田晋也は「残すくらいかな?」と疑問を呈し、有田哲平も「わざわざあれ1個持ってきたの?」、劇団ひとりも「面白いですけど、普通に及第点」と厳しめの評価を下した。これには春日も「変えてもいいですか? 体張ったやつがあると思うんで」と慌てるしかなかった。

 だが、春日が数ある肉体系の仕事ではなく、ここでトークを選んだことには大きな意味がある。あの日の『すべらない』は、オードリーというコンビの在り方を変えた転換点だった。

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 2000年にナイスミドルというコンビ名でデビューしたオードリーは、08年の『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)での準優勝まで、ほとんどその名を知られていなかった。

都内の地下ライブを転々としながら、苦悶の日々を送っていた。いや、正確には、苦悶していたのは若林正恭だけだった。

 ネタライブのほかに、若林は早い時期からトークを磨く必要を感じ、オードリー単独でのトークライブを企画していた。事務所が会場を借りてくれるわけではないし、ファンがいるわけでもない。会場は春日が当時暮らしていた「むつみ荘」という風呂なしアパートの一室だった。

「小声トーク」と名付けられたそのトークライブは、05年から06年にわたって計12回行われている。毎回、約2時間。観客は多くて8人。春日が自ら阿佐ヶ谷駅に出向き、物好きなファンを迎えていた。

 内容は、ほとんどが若林の考えてきたエピソードトークと企画もの。このころの春日を、若林は「何も考えてこなかった」「全部、俺ひとりで考えてしゃべっていた」と何度もラジオで明かしている。

 その甲斐もあって若林はラジオ日本の『フリートーカー・ジャック!』で放送作家・藤井青銅氏に見いだされ、同局で『オードリー若林はフリートーカー・キング!』という冠番組を与えられている。

あの『M-1』より以前、まだ誰もオードリーを知らなかった。

 この藤井氏との出会いが、『M-1』準優勝を経て『オードリーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)につながっている。現在でも、藤井氏は同番組を作家として担当し、毎週、若林と2人でトークを練っている関係だ。

「オードリーのしゃべれる方」は圧倒的に若林であり、春日は「何も考えてない方」だった。

『オードリーANN』開始に伴い、若林と藤井氏は春日に毎週フリートークの時間を与えることになる。トークゾーンは20分~30分程度。それまでの10年の芸歴の中で、若林がディレクションするままに衣装を変え、ネタを覚え、髪型を整えて「トゥース!」とか言っていただけの春日の芸人人生で初めて「自分で考える作業」が生まれた。

『M-1』以降、オードリーは空前のブレークを経験する。それは主に、春日というキャラクターのブレークだった。テレビスターとしての春日と、コンビのブレーンでありトーク担当の若林。その構図は揺るぎないものだったし、この役割分担が2人の間で相乗効果を生み、オードリーを国民的タレントに押し上げる原動力になった。

『オードリーANN』開始から6年、厳密なトークゾーンを設け、それぞれに必ず毎週フリートーク作りを課すラジオ番組は珍しい。

それでも春日は1週も休まず、苦手なフリートークを下ろし続けた。

 そうして迎えたのが、15年の『すべらない話』だった。コンビで呼ばれたオードリーだったが、フリートーク番組の頂点である『すべらない』でハネたのは春日だった。春日はこの日、「MVS(Most Valuable すべらない話)」を与えられている。

 オードリーの「しゃべれる方」若林の目の前で「何も考えてない方」春日がフリートークの頂点に立ったのだ。

 同年末の『ANN』で、若林はこのときの心境を振り返っている。春日の成長に対する少しの喜びと、自分の努力が相方のスター性の前に屈した大いなる悔しさにまみれた放送は、最高にエキサイティングだった。

「(オードリーは)厳密に言ったら、コンビじゃないからね。ライバルだよ」

 その若林の言葉に爆笑しながら、春日はきっと本気で喜んでいたと思う。お笑いコンビの関係性はそれぞれだが、あの日の『すべらない』がオードリーにとって、つまりは春日の人生において、もっとも重要な日だったと春日自身が感じていたからこその選択だったのだろう。

 スタジオでは総スカンされていたけれど、リトルトゥースはその意味を知っているのだ。

(文=新越谷ノリヲ)

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