──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ

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藤原道長を演じる柄本佑

『光る君へ』、次回第32回からは、藤原道長(柄本佑さん)が源倫子(黒木華さん)、そして源明子(瀧内公美さん)という2人の「室(正妻)」と不仲になる中、まひろ(紫式部、吉高由里子さん)との関係が再燃するように描かれていきそうですね。

 こうした描写に「史実性はあるのか」が今回のテーマです。

 道長の日記(『御堂関白記』)は、備忘録として事実を書き留めた書物であり、妻あるいは妾の誰それが恋しいという気持ちを告白するための“ツール”ではありません。しかし、そうした道長の日記より、彼と倫子・明子たちの関係変化のバロメーターとして扱い得るのは、子どもたちの誕生という事実ではないでしょうか。

 史実の道長には、はっきりとわかっているだけで、13人の子どもがいます。倫子は6人、明子も6人を産んでいます。そしてあと1人は、後に機会があれば詳しくお話しますが、道長が倫子や明子たち、2人の妻たちとの間に子どもを授からなくなってしばらくしてから、源重光(ドラマでは鈴木隆仁さん)の娘という側室の女性(本名不詳)との間に生まれた子です。

 当時の朝廷の実質的な最高権力者で、中年以降は糖尿病や腰痛といった体調不良もあったとはいえ、概して健康に恵まれていた道長ですから、生涯で3人の女性としか深い関係を持たなかったわけがありません。後に詳しくお話しますが、自分の子どもたちに対して、母親が違えば、それだけで厳格な処遇差を設けた事実を見ても、「つまみ食い」中の女性が妊娠しないよう、細心の注意や工夫をしていたのではないかと思われます。そういう意味で「明るい家族計画」を非常にマメに実行していたのが、道長だったのではないでしょうか。

 まず、身分的には室(正妻格の妻)である倫子と明子に子どもの数で差をつけなかったのも、偶然の産物というより、道長の強い意志の反映ではないかと筆者には思われます。平安時代では子どもの数が多いほど、夫婦は前世から強い絆で結ばれていたとされ、夫婦愛も深いと考えました。そして、子どもが生まれるタイミングを分析すると、道長と2人の室たちのどちらが親しかったかという夫婦仲についても、わかる気はするのです。

 ここで基本情報をおさらいしてみましょう。

 道長の生年は、康保3年(966年)。「正妻」といえる源倫子が生まれたのは康保元年(964年)でした。つまり倫子は、道長より2歳「姉さん女房」だったのです。

 それに対して、「次妻」明子は天延3年(975年)の生まれです。道長より9歳年下(倫子より11歳年下)にあたります。

『光る君へ』では、以前のようにおっとりとした世間知らずのお姫さまではなく、貴族女性特有の冷たさが全面に出るようになった倫子と、皇族出身でありながら、没落した家系に生まれた苦労人の明子は道長を情熱的に愛し続けているように見えて、実は倫子とその子どもたちに強いライバル心を抱いているように描かれています。

 史実の道長は倫子を優遇する立場を崩しませんでした。明子も自分の立場はわきまえていて、ドラマのように倫子の名前を出し、わが子の出世をおねだりするようなことはしなかったのではないかと思われます。

 倫子が道長からのプロポーズに応えて結婚したのが、永延元年(987年)。倫子24歳、道長22歳のときでした。その翌年ごろに道長は明子とも結婚したとされますが、これは史料上、明子との夫婦関係が成立したと見られるだけの話で、最近ではほぼ同時に倫子・明子と結婚していたのではないかと考えるケースが増えています。

 倫子は結婚の翌年、つまり永延2年(988年)に道長との間に長女・彰子を早くも授かっています。

対する明子が道長との間に最初に授かったのは男子で、のちの頼宗(ドラマでは渡邉斗翔さん)です。正暦4年(993年)のことでした。結婚5年目です。

 明子との結婚については、すくなくとも当初は、かなりの「シスコン」で、姉の詮子(吉田羊さん)の意見に大きく左右されていた道長が、姉から「彼女の面倒をみてやって」と押し付けられただけの妻だった可能性はあります。それと同時に、道長と明子の間に最初の子が誕生するまで5年かかったことは、倫子より明子が11歳年下だった事実も影響しているのでしょう。

 結婚当時、明子は数え年でも13歳です。すでに初経は迎えていたのでしょうが、それだけですぐに妊娠・出産できるほどに身体が成熟しているという証しではありませんから……。

『光る君へ』明子の子より倫子の子…藤原道長(柄本佑)が重用した子どもたちと“本当の夫婦仲”
『光る君へ』明子の子より倫子の子…藤原道長(柄本佑)が重用した子どもたちと本当の夫婦仲の画像2
源倫子を演じる黒木華(写真/Getty Imagesより)

 ここで道長と倫子の子どもたちを生年順に列記していきましょう。

彰子・永延2年(988年)
頼通・正暦3年(992年)
妍子・正暦5年(994年)
教通・長徳2年(996年)
威子・長保元年(999年)
嬉子・寛弘4年(1007年)

 それに対し、明子と道長の子どもたちは

頼宗・正暦4年(993年)
顕信・正暦5年(994年)
能信・長徳元年(995年)
寛子・長保元年(999年)
尊子・長保5年(1003年)
長家・寛弘2年(1005年)

 という順番で生まれました。道長の明子への愛情は、子どもが生まれた日付から、正暦4年(993年)くらいからの数年間がもっとも強かったといえるかもしれません。ただ、次回の放送で安倍晴明が亡くなるらしく、それは寛弘2年(1005年)の話です。これは道長が明子との間に、最後の6人目の子を授かった年ですね。

 倫子は、道長の姉・詮子から(明子以上に)推されていました。倫子と道長の子どもたちが出世しやすくなることを狙いとして、倫子が朝廷で仕事をしていない「私人」であったにもかかわらず、高い官位を授かったほどです。また、前回のドラマのセリフにもあったように、道長は自分の出世は、倫子とその実家という後ろ盾があったからだと考えていましたよね。史実でも倫子に対し、そういう気持ちを道長は強く抱いていたようです。

 しかし、道長と倫子の間にしばらく子どもができていなかった中、長保5年(1003年)に明子だけが尊子を出産するという「事件」が起きました。ここで倫子のメンツを保つためにも、倫子と明子が同数の子を授かったという事実を作るべく、道長は子づくりに励まざるを得なくなったのではないか……と思われます。

 確かに倫子は40代を迎えてもなお、20代くらいに見えたというほどの「美魔女」でした。健康状態もきわめてよかったにせよ、当時としては「長寿」を祝われるほどの年齢に達していたにもかかわらず、道長との子づくりを意欲的に続け、結果的には寛弘4年(1007年)に嬉子を、平安時代の平均寿命をはるかに上回る44歳という奇跡的な高齢出産で授かったのです。これについては、倫子による明子へのライバル心が見え隠れするような気がします。

 倫子と明子の妊娠・出産の歴史をリスト化して分析すると、二人がそれぞれ子どもを授かった長保元年(999年)から、少なくとも3~4年ほどの間は道長との間が「夜離(が)れ」――セックスレスか、それに近い状態だったのでは、と推察されるのですね。

 これを「不仲」と考えることはできるかもしれませんが、ドラマの時間軸が、安倍晴明が亡くなる寛弘2年(1005年)の「直前」だと考えると、明子との間に尊子が長保5年(1003年)に、また寛弘2年に長家が生まれているので、それに対してライバル心を再燃させた倫子と道長の関係は、冷却するどころか、逆に熱くなっていても仕方はない気もします。

 つまり道長と2人の「室」の間に授かった子どもたちの記録を分析すれば、『光る君へ』における彼らの不仲というのは、道長と「ヒロイン」まひろをくっつけるための演出にすぎないという結論になるのです。

 ちなみに以前のドラマの中で、詮子の40歳の祝賀会で、道長の倫子と明子の間に生まれた男の子たち2人が舞を披露する場面がありました。史実でも明子が産んだ当時9歳の頼宗の舞が優れていたので、一条天皇から(本番前のリハーサル時に)ご褒美として「御衣」が授けられたそうです。このときは道長も素直に喜んだようですが(『権記』)、倫子から影で圧をかけられたのか、本番当日、客たちの間で倫子が産んだ頼通(三浦綺羅さん→渡邊圭祐さん)より、明子が産んだ頼宗に高い評価が集まっている中、道長は不愉快そうな様子で席を立ってしまったそうです。藤原実資(秋山竜次さん)はこれを受け、日記『小右記』に、道長は次妻・明子の産んだ子には「其愛猶浅」――「愛情が薄いと見える」と書いていますね。

 道長が、明子より倫子とその子どもたちを明確に贔屓していたことがうかがえ、実際にその後も、明子の子どもたちより、倫子の子どもたちのほうが概して出世が早く、最終的に見ても高い地位に就きました。しかしそのことで、明子の産んだ男の子たちが異母兄弟たちに反発心を抱き、そうした姿勢は子孫たちにも引き継がれていってしまったのです。「この世をば」の歌の中で、歴代の天皇たちに次々と愛娘たちを入内させ、この世で思い通りにならないものはないと歌った道長ですが、家庭生活は必ずしも思い通りにはならなかったようですね。

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