──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ

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まひろを演じる吉高由里子

 前回・33回「式部誕生」では、年末に出仕し、中宮・藤原彰子(見上愛さん)に仕える「藤式部(とうしきぶ)」という女房名を授かったものの、他の女房との「距離感」が気になって夜も眠れず、創作も行き詰まったまひろ(吉高由里子さん)。さっそく自邸に舞い戻って、家族から心配されるという展開でした。

同僚の女房にも、そして帝からも具体的にいじめられたというわけではないという描かれ方でしたが、これまでセリフらしいセリフもほとんどなかった彰子が、なぜかまひろには心を許し、「私が好きなのは青。空のような」とポエムのような言葉を口走っていたのが印象的でした。やはり主人公ともなると物語を推進する力があるのですね。

 彰子の「藤壺」における女房たちの日常生活、特に広い部屋をパーテーション(几帳・きちょう)で区切っただけで、現代の簡易宿泊所のようなノリで雑魚寝している姿に衝撃を受けた方も多いかと思います。「すまじきものは宮仕え」――「なるべくなら宮仕えなどはしないほうが良いよ」という古い言葉が思い浮かんでしまった筆者でした。

 ドラマの終盤では道長(柄本佑さん)が、興福寺の2人の僧たちと深夜なのに対面していましたが、なにやら不穏な空気が流れていましたね。興福寺の「別当(代表者)」を名乗る定澄(赤星昇一郎さん)が、自分たちの要求を宮中の陣定(じんのさだめ、公卿たちの会議のこと)にかけねば、2000人の僧兵たちに木幡山を襲わせると脅迫してきました。

 木幡山とは道長が属する藤原氏の墓所です。つまり聖職者である僧侶たちが門徒の墓荒らしをするぞと言っているようなもので、めちゃくちゃな脅しではあります。さらに興福寺は藤原氏の氏寺ですから、とんでもない乱暴さでした。さらに興福寺が朝廷の重職を歴任していた藤原氏の氏寺というところにもポイントがあり、寺から「放氏」の処分をされると、いくら血縁として藤原氏に生まれた人物でも、社会的には藤原氏と認められなくなり、朝廷には出仕できなくなってしまうのでした。そういう影響力を行使し、興福寺は自分たちの要求を朝廷に押し通そうとしていたわけですね。

 しかしドラマの道長は毅然と定澄たちの要求をはねつけていました。史実の道長も寛弘3年(1006年)7月のある日、昼間は定澄から、そして深夜には慶理(渡部龍平さん)から脅迫を受けています。道長の日記『御堂関白記』によると、脅しの内容には道長の邸や、ドラマには未登場ですが、道長が可愛がっていた源頼親という貴族の邸も襲撃するぞという手酷いものでした。しかし、それでも道長はまったく怯むことがなかったそうです。

 ドラマでは一条天皇(塩野瑛久さん)が、右大臣からの推薦を受け、問題行動が目立つ彼の家人(けにん)・平維衡(たいらのこれひら、日本初の武家政権を作った平清盛の先祖)を国司に据えようとして道長と対立していました。道長の主張を要約すると、こういう私利私欲を重視した人事を朝廷が容認していると、世間のあちこちで、正義ではなく武力によって欲求を通す風習が根付いてしまうということだったと思われます。しかし道長本人が、その直後に彼自身の氏寺・興福寺によって武力脅迫を受ける事態になったのは、皮肉というしかありません。

 ドラマの道長が片時も正義感を失わないヒーローであるのに対し、史実の道長はそういうわけではまったくなく、「マフィアの親玉」的な人物だったことは、これまでも折に触れてお話してきました。興福寺の定澄たちが道長を訪ねてきた理由は、大和国(現在の奈良県)の実質的な領主である興福寺と、朝廷――実質的には左大臣である道長の強い推薦で派遣されてきた国司・源頼親(みなもとのよりちか)という人物の間で、利益をめぐっての抗争が激化しており(現在のとある界隈における「シマの取り合い」のノリ)、それをなんとかしてほしいというお願いだったのですね。

 源頼親が大和国の国司・大和守になることが決まったのは、寛弘3年(1006年)の春の除目(じもく)でした。しかし頼親が大和守になる以前から、頼親の部下・当麻為頼(たいまためより)と興福寺の僧・蓮聖との間には、田の所有権を巡る紛争が発生しており(当時の言葉では「競田」)、道長の日記『御堂関白記』によると同年6月、源頼親の指示を受けた当麻為頼が、問題の田んぼを暴力で奪い取ったらしいのです。この報復として、興福寺は3000人の僧たちで当麻為頼の邸を襲撃しました。

『光る君へ』道長を脅迫する興福寺の僧・定澄の目的と深かった道長との関係
『光る君へ』道長を脅迫する興福寺の僧・定澄の目的と意外に深かった道長との関係の画像2
藤原道長を演じる柄本佑

――しかし、これは自分の可愛がっている部下たちの利益を優先した道長の「誇張」にすぎないようですね。藤原実資(秋山竜次さん)の日記『小右記』によると、興福寺が話し合いの場を設けようと当麻為頼を訪れたところ、為頼は貴重品を運び出した後の自邸に火を放ち、「興福寺にやられた!」とわめきたてたといいます。

 興福寺側としては、当麻為頼→源頼親→藤原道長という主従関係を把握しており、道長に強訴してでも、当麻為頼と源頼親のやりたい放題をやめさせたい一心だったのかもしれません。しかし先述の通り、道長は興福寺の言い分には一切耳を傾けず、自分の部下たちの利益だけを守ったのでした。その結果、興福寺からやってきた2000人の僧兵たちが報復として都で暴れまわるのですが、道長は役人を派遣し、彼らを追い出すことに成功しました。つまり、暴力をさらなる暴力によって鎮めたわけです。ドラマでは「血で血を洗う」乱世ではないという世界観のようですが、史実の平安時代は、すでに暴力による支配がまかり通る世の中でした。

 なぜ道長が源頼親(とその部下・当麻為頼)を熱心に守ったのかにも、文字通り「現金」な理由がありました。頼親と彼の兄・源頼光は献金の多さで知られていたからだと推察されます。ちなみに前回のドラマでは平維衡の人格を批判していた道長ですが、源頼親こそ血なまぐさい人物で、興福寺との諍いから約11年後の寛仁(かんにん)元年(1017年)3月には、平安京のとある邸を部下たちの手で襲わせ、邸内の男を皆殺しにする罪を犯して問題となりました。ちなみにこの時に頼親の部下たちから惨殺されたのが、清少納言の実兄・清原致信です。この時も道長は、『御堂関白記』の中で、頼親のことを「殺人上手」と評し、あきれてみせるだけでした。

 つまり史実では平安時代から、紛争解決の主な手段は「話し合い」ではなく「喧嘩」であり、腕力が強くなければ生き残れない世の中だったのでした。平安貴族の日常は、実はまったく優雅ではなかったのです。

 しかし何より解せないのは、道長と定澄の関係です。定澄からは脅迫され、流血事件まで起こされたにもかかわらず、寛弘3年(1006年)の夏の事件から、わずか2年後の寛弘5年(1008年)、道長は定澄の指導のもと、5月12日から22日まで10日ほどかけて法華経の重要な注釈書のひとつ「法華玄賛」について学んでいます(『御堂関白記』)。かねてより定澄は道長の金峯山参詣(御嶽詣)で奉仕するなど関係性が深かったようですが、不思議な関係というしかありません。現代人の感覚では、ここまでの信頼関係を築きうる関係とはまったく思えず、興味深いというしかないのでした。個人的にはこういう理解しがたい事実を知ることも、歴史を学ぶ面白さのひとつだと思っていますが……。

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日刊サイゾー2024.07.28

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