このクソ暑かった夏に撮影されたと思われるドラマ『降り積もれ孤独な死よ』(日本テレビ系)も最終話。ラストシーンでは主役の冴木(成田凌)と蓮水花音(吉川愛)が粉雪舞う中、すごい厚着をして去っていきました。
というわけで、振り返りましょう。
■「暴力の連鎖」というテーマに
このドラマでは、ずっと「暴力の連鎖」が悲しいということを言ってきました。登場人物の多くを実の親による児童虐待の被害者として登場させ、彼らに宿ってしまった絶望や他人への暴力衝動といったものが、いかに根深く、生きている限りその人生に影を落とし続ける。劇中で20人近くが死んだ連ドラというのも、最近では珍しいはずです。
その最終回、蓮水花音は「すべてを終わらせる」と言いました。自分が死ぬことで、すべてを終わらせる。
それに対し、自らも虐待被害者であり、暴力衝動の持ち主であることから人生がめちゃくちゃになっている冴木が「連鎖しているのは暴力だけではない」と言います。
「人を守りたいという気持ちもまた、つながっている。生きている限り、それはつながっていく」
親に虐待されて知らない大人に救われた灰川十三(小日向文世)は大人になってからたくさんの虐待児を守り、灰川に守られた子どもたちもまた、周囲の人たちや下の世代を守ろうとしてきた。人を守りたい気持ちも、生きていればつながっていく。だから、生きろ。
最終回を迎えて、真正面から「暴力の連鎖」というテーマに向き合ったメッセージを放ってきた『降り積もれ孤独な死よ』という作品。見事な着地だったと思います。拍手、拍手。おもしろかったー。
■原作コミックを離れていくこと
未完のコミックを原作としたこのドラマ、前半は原作に沿った人物配置の中で細かな改変を施し、よりシンプルでわかりやすい物語を目指したように見えました。
そして後半では、その前半を引き継ぐ形で完全にオリジナルな展開を作り上げています。いわゆる大幅改変、原作無視、勝手な結末。でも別に、おもしろかったらオッケーなんですよね。結局はそこにリスペクトがあるかどうかだし、プロだからおもしろいものが作れたかどうか、それだけだと改めて思いました。
おもしろいものを作ろうという意識は、すごく強く感じるドラマだったと思います。毎回、爆弾級の「謎明かし」を必ず仕込んでおく。「もうそれ言っちゃうんだ」からの「でもそれだとまた新たな謎ができちゃうぞ」という繰り返しを常に発生させていて、ずっと「謎そのもの」が物語の中心に屹立している。しかも、回を重ねるごとにその姿を変えながら、決して最終回まで全貌を見せてくれなかった。
つまりは、原作とは別に主役をオリジナルで作ったということです。なかなか大変な作業だと思うし、すごく高い精度で成功させていると思いました。テーマ性を損なわないまま、グロ&サイコなダークエンタメとして「楽しませる」ことをまったく怠らなかった。雰囲気は暗いし、長編ミステリーとしてわからないことが多すぎると白けるし飽きるんです。「謎はどんどん明かしていく、尺が足りなきゃまた謎を作れ」という、連ドラでミステリーをやる上での教科書にもなりうるくらいのすごい脚本だったと思いますよ。
■演出・俳優もよかった
第1話のレビュー冒頭で内藤瑛亮監督と『降り積もれ』の組み合わせを「混ぜるな危険の感じがする」と書きましたが、いい意味でやっぱり「混ぜるな危険」だったと思いました。徹底的に抑制されたトーンは最後まで一貫していましたし、だからこそ1話の冒頭と4話にあった幼い灰川が雪の中を歩くシーンの白さが、いま思い出しても実に際立っています。
成田凌は特に6話のラストで佐藤大樹をボコボコにしているシーンの表情たるやね。怖かったよね。あとはなんといっても、やっぱり小日向文世が作品のカラーを司りました。カカロニ栗谷があんなにいい感じに芝居できるのもびっくりした。
総じて、お腹いっぱいです。
(文=どらまっ子AKIちゃん)