小池栄子

『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)、『木更津キャッツアイ』(同)から続く「クドカン×特定の街」なドラマとしてポップでハードでいい感じのスタートを切った『新宿野戦病院』(フジテレビ系)も最終話。前々回で急激に「コロナ禍の総括」という大テーマに急激に舵を切ったかと思ったら、前回ではそのパンデミックを全然扱えていない印象でテンションはやや下がっておりますが、いずれにしろ最終回です。

 楽しもう。振り返りましょう。

■ピンとこないクライマックス

 感染者が減少し、緊急事態宣言が解除。ステイホームしていた人たちは街に出て、おのおの楽しんでいます。ここは新宿歌舞伎町ですので、その楽しみ方も激しめ。「聖まごころ病院」の隣にあるクラブにはさまざまな人種の方々が集まり、お酒と音楽を楽しんでいました。底抜けに明るいDJが客を煽っていると、クラブの床が抜けて多数のケガ人が発生。当然、隣にある「まごころ」に搬送されてくることになります。

 この床抜け事故で「まごころ」が有名になり、院長(柄本明)とヨウコさん(小池栄子)はテレビのワイドショーにリモート出演することに。その場でヨウコさんは2つのことを訴えました。

 ひとつは「歌舞伎町ウイルス」という呼び方は歌舞伎町への差別を助長するのでやめるべきだということ。

 もうひとつは、「まごころ」は少ないベッドで24時間がんばっているから、医療従事者への待遇を改善すべきだということ。

「大切なことだから標準語で話す」と言って、カメラを見据えて演説するヨウコ先生は実に堂々としていて、ドラマそのもののクライマックス感がビンビンに伝わってきます。

クライマックスの演説って、いいものですよね。クライマックスといえば演説なんですよ。『セント・オブ・ウーマン』(92)のアル・パチーノとかね。『007 スカイフォール』(12)のMなんかも印象深いですね。チャップリンの『独裁者』(40)とか『スミス都へ行く』(39)とか、そういう時代からクライマックスは演説なんです。

 でもねー、この演説がまずピンとこないんだ。

「歌舞伎町ウイルス」って呼び方はそもそもドラマが勝手に言い出したことなんだけど、こんな呼び方をするというところにリアリティがない。アメリカ帰りの旅行者が羽田で陽性判定されて勝どきの病院で亡くなってるのに、その日本人第1号の感染者が歌舞伎町のホストだったからって、そのウイルスを「歌舞伎町ウイルス」なんて呼ぶわけないんです。

 そんな、誰も呼ぶわけない「歌舞伎町ウイルス」という呼称について、ヨウコさんは「アメリカ帰りの旅行者が羽田で陽性判定されて勝どきの病院で亡くなってるのに、その日本人第1号の感染者が歌舞伎町のホストだったからって、そのウイルスを『歌舞伎町ウイルス』と呼ぶな」と訴える。こんなのは単なるマッチポンプでしかない。

 で、医療従事者の待遇改善について「お願いします」「お願いします」と院長と2人でカメラに向かって繰り返し頭を下げるシーンも、「今それ?」って感じなんですよね。リアルを思い出せばあのころ本物の医療従事者たちがメディアで叫んでいたのは「マスクもっとくれ」「ワクチン早く大量にくれ」だったと記憶しているんですが、このドラマでは事前にワクチンやマスクについて肯定も否定もしない中途半端でシニカルな解釈を述べてしまっているので、「コロナ禍」を総括するうえで100%正しいことが「医療従事者の待遇を改善せよ」しかなくなってる。

 クライマックスの演説シーンで、そのメッセージの「正しさ」を担保に取ろうとしているのもダサいし、大して言いたいこともないのに「クライマックスは演説だろ」って方法論を優先してこのシーンを持ってきたのもダサかった。

 ここに明確なメッセージがなかったことにより、「コロナ禍」をラストの展開に持ってきたことも、「ヨウコさんの無免許を発覚させて『まごころ』を去らせる」という段取りのためだったように見えてくる。あとは「ソープやヘルスが隔離に使える」という、おもしろアイディアを見せびらかすためか。いずれにしろ、たくさんの人が死んで、たくさんの人がすごく人生を狂わせたモチーフがここに登場した必然性は感じませんでした。

■舞ちゃんをどうしたかったのか

 NPO団体の代表かつ売れっ子SM嬢として登場した舞ちゃん(橋本愛)について、前回、なんでこのドラマはこんなに批判的で攻撃的なんだろうと思ったんですよね。「舞ちゃん的な子」に対して「全部おまえの自己満足だろ」「自己実現オバケだろ」と指弾しているように見えて、その理由に興味が残っていた。でも、そこはあんまり明確にならないで、なんとなく終わるんだろうなと思ってたんです。

 ここには、驚くほど明確な回答が用意されていた。

 ヨウコさんの無免許をネット上にリークしたのが、舞ちゃんだった。舞ちゃんは承認欲求を満たすためと、ヨウコさんが人気者になっていくことに嫉妬を覚えたために、ヨウコさんの失脚を目論んでそういうことをしていた。

「自己実現オバケ」というのは、自分が何かを他人に施して、その施しによって他人が幸せになることで自分の欲求を満たす人という意味です。でも、ドラマはそれ以上のオバケ、「承認欲求オバケ」として舞ちゃんをずっと描いてきたことが明らかになったわけです。

ただ他人に施して幸せにするだけじゃ満足できない。それが評価されなければ意味がない。最後の最後で、舞ちゃんという子をそう定義づけたわけです。

 このドラマに登場したルミナウイルスが新型コロナウイルスをモデルにしたように、舞ちゃんにも具体的なモデルがあるんでしょう。歌舞伎町でピンクのバスを停めて活動している女性たちへのネット社会の風当たりを、そのまま無批判にドラマに取り込んでいるわけだ。ここもちょっと、かなりダサいです。

 まとめとしては、個人の葛藤や苦しみを描いていた前半はおもしろかった。社会を語り始めた後半はダサかった。そんな感じ。

「『悪いことすんな』って言ってんじゃないの。『ダサいことすんな』って言ってんの。わかる?」って『IWGP』でキングが言ってたけど、もうあんましダサいクドカンは見たくないんだよな。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

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