羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。



<今回の芸能人>
「普段は人見知りですよ」及川光博
『さんまのまんま』(フジテレビ系、3月8日放送)

 絶賛不倫中のアラサー女子に「やめておけ」と忠告したら、「だって好きなんだもん!」と言い返された。好きな人になら、どんなにひどいことをされても我慢してしまう。恋愛とは究極の差別であり、不平等である。完全な男女平等社会の到来は歓迎するが、努力が報われない、好きになった方が負けという意味で、恋愛は不平等であり続けるだろう。

 そもそもが不平等な恋愛の 中で、さらに不平等なのは「格上男性と結婚したい女性」の婚活である。私が20代の頃、バブルはとっくに弾けていたが、デートの時は大抵男性が奢ってくれたし(それは、相手の女性への気持ちというより、それが当たり前のルールだと思われていた)、格上男性との結婚は、さほど難しくなかった。
しかし、今は収入の高い格上男性そのものが激減している上に、男性もなかなか結婚したがらず、婚活が長引くほどライバル(若い女性) も増える。

 日夜厳しい闘いを繰り広げる彼女たちが、格上婚が当たり前世代の私に問うのは「婚活の時に何を着ればいいですか?」である。聞いてみると、彼女たちは「格上の男性 にふさわしい女性」になるために、伊勢丹や高感度セレクトショップで値段の高い洋服を買っているらしい。

 そんな時、私はこう質問する。「服を買うのは、何のため?」。これはもちろん、外見に好印象をもたらしたい、つまりは格上男性にかわいいと思われたいからだろう。
それでは、かわいい、若い女性がなぜもてはやされるかと言えば、彼らのちんこが勃つからである。「恋愛用の女をちんこで選ぶならわかるけれど、結婚は違うのでは?」と思う人もいるでしょうが、結婚とは原則的に「一生決まった相手とセックスすること」なので、ちんこが勃つか否かは非常に重要である。

 高級ブランドやセレクトショップで服を買えば「おしゃれ」にはなれる。が、「おしゃれ」と「かわいい」は必ずしも一致しないし、「おしゃれ」はちんこにメリットがない。つまり、品質重視のおしゃれは、男には無用であると私は考える。

 「ひどい、一生懸命やっているのに」と憤慨する女子もいるだろうが、この事実を説明するのにうってつけな事例は、金麦のCMである。
ナチュラルメイクという最難関テクニックを駆使した檀れいが着ている服はどれもトレンド感ゼロ。ポイントは、露出過多ではないけど、檀のスタイルの良さを強調していることと、チラリズムを誘発しやすいこと。このあたりの機微を理解していないと、男ってダサい服の女が好きだという勘違いが発生し、エロさゼロの、単なるダサい人になってしまう。

 檀と言えば、夫の及川光博と仮面夫婦疑惑があるが、『さんまのまんま』(フジテレビ系)に出演した及川は不仲説を一蹴し、檀について「家事全般完璧」「仕事の相談もできて良い」と誉めた後に、冒頭のように述べた。

 あれだけ美しく、たくさんの仕事をこなし、仕事の相談にも乗ってくれて、家事も完璧だけど、素顔は控えめ。ちょっとウソ臭いほどの完璧ぶりである。
檀のように「完璧な女性」を目指してしまう人もいるだろうが、物の見え方、捉え方にも、実はちんこは絡んでいる。

 例えば、女は男の性格をエピソードや能力で判断するが(例:イケメンで話も面白いけど、合コンの費用は一円単位まで割り勘)、男は外見が気に入れば、証拠はなしに人格そのものを良いと思い込んでしまう節がある。黙っている美人は「人見知り」とか「控え目」と言われるが、しゃべらないブスは「陰気」とか「つまらない」呼ばわりされることはよくある。

 及川の発言に話を戻そう。謙譲の精神がある日本では、妻を褒めることは恥とされてきた。今ではそういった考えは、大分薄れてきたように思うが、人前で妻を褒める夫はまだまだ少ない。
故に、妻を褒めると夫の株も上がり、特に幸せな結婚生活を夢見る独身女性は、「こんな男性と結婚したら幸せになれる!」とあこがれを抱きがちだ。しかし、若い女性の夢を壊して恐縮だが、妻を褒める夫は「自分が大好き(そんな自分が選んだ妻は、素晴らしいに決まってる)」派、そして「妻が自分より美的階級が上である」派に二分されるのではないだろうか。また、目の前にいる独身女性を落とすために、あえて妻を褒める作戦を取る策士もいる。及川がどのパターンであるかは定かではないが、男の褒め言葉には、実務の出来不出来より、ちんこの喜びが含まれていると思っておいて、間違いはない。

 檀を語る及川の言葉は、婚活が難航中の女子たちに、「自分の外見は、ちんこを勃たせるものか」というチェックの必要性を教えてくれるのかもしれない。
(仁科友里)