2015年まんが界事件簿――【東村アキコ『ヒモザイル』騒動】が象徴したヒエラルキー

2015年まんが界事件簿――【東村アキコ『ヒモザイル』騒動】が象徴したヒエラルキー

 2015年もマンガ界は大変に豊作でありました。その最大の成果が九井諒子先生の『ダンジョン飯』(KADOKAWA)であり、老若男女、マニアからライトユーザーまで幅広い支持を集める本作は、久々のメガヒットの登場を予感させます。ところで、九井先生はそもそもネットでマンガを発表していた方です。近年、ネット発のマンガ家は急増しつつありますが、その一方でマンガ家がネットでトラブルに巻き込まれる事態も増えています。今年はマンガ家がらみの2つの大きな炎上沙汰がありました。

◎東村アキコ『ヒモザイル』事件の根幹

 9月、講談社の「モアイ」で公開された東村アキコ先生の『ヒモザイル』(「モーニング two」連載・現在休載中)が炎上いたしました。その一部始終は以前に別の記事でも紹介いたしましたが、要約しますと非常に感じの悪いセレブママ友が東村先生の男性アシスタントに対して「うちの子があんなふうになったらどうしよう」といった暴言を吐いたり、専業主夫を「ヒモ」呼ばわりするなどの差別的な言動が描かれていたものです。

 結果的に本作は連載休止となりました。「嫌な気持ちになった方には本当に申し訳ないと思ってます。そして、連載を楽しみにしてくださっている方々、本当にごめんなさい。 本作は実際の出来事を元に描いていこうと考えていたので、皆様からの反響に向き合わずに創作を続けることはできないと判断しました。 お休みさせていただきながら、今後について考えたいと思います」というコメントは、おそらく東村先生の本心です。東村先生はこの事態をまったく予測していなかったのです。

 東村先生は身近な人々をマンガに取り込むのがとてもお上手な方です。出世作『ひまわりっ ~健一レジェンド~』(講談社)のおもしろさを支えていたのは、父・健一やウイング関先生など、実在の人物をモデルとした濃厚なキャラクターたちの魅力でありましたし、『かくかくしかじか』(集英社)はそうしたテクニックの集大成でもあったことでしょう。今回もおそらくそんなノリで始めた連載であったはずなのですが、しかし同じようにうまくは行きませんでした。

 原因究明の鍵を握るのは「上下関係」です。まず第一に、健一も『かくかくしかじか』の日高先生も目上の存在でありました。東村先生が彼らを描くとき、多分に茶化しながらもそこにはリスペクトの念が少なからず感じられたものです。ところが本作で対象となったのはアシスタント、つまり部下。ここで東村先生の体育会系的なメンタリティが炸裂します。『ぶ~け』(集英社)や岩館真理子作品を読んで育った東村先生は、ややもすれば文化系/サブカル系にカテゴライズされがちな存在ではありますが、実はそうではありません。『かくかくしかじか』に描かれた体育会系的な世界観こそが、東村先生の本質であるのです。

◎強要されるヒエラルキー
 しかしもちろんそれを客観視・相対化することもできるのが東村先生の作家としての強度を保証していました。本作でもアシスタントに対して露悪的な体育会イズムを発揮しながら、それをギャグにまで昇華できていると東村先生は思っていたはずです。が、多くの読者はそう思ってはくれませんでした。それは本作の基調を為す「上下関係」が、ひたすら経済的な力関係であったからです。思い出してみてください、セレブママ友や東村先生の上から目線の言動を。そしてそれが何に由来していたかを。

 炎上後、さまざまな意見がネットには飛び交いました。擁護する記事もいくつか拝見しましたが、その多くが「このおもしろさがわからないなんて野暮だ」などと主張するのです。しかし、それは個人の感想であって論理にはなり得ません。ほかにも「プライドを傷つけられた男が怒っている」などと、これまた徒に男女を分断させるだけの安直で粗雑な推測もありましたが、これが事実だとしたら、男性誌にこの作品を描いてしまった東村先生の失敗ということになります。

 そしてその中のひとつに「ダイバーシティ」なんてそれっぽい言葉を使いながら、『ヒモザイル』は多様性の行き着く先の社会実験なのだ! などと主張するものがありましたが、何度読んでも意味がわかりませんでした。なぜなら『ヒモザイル』に描かれているのは、並行的で多様な生とは真逆の、経済的な成功者を頂点とした昔ながらのヒエラルキーであるからです。いったいこれのどこに新しさが?

 もちろんプライドを傷つけられて怒った男性もいたことでしょう。炎上に便乗して叩いた不心得者もいたことでしょう。しかし多くの人は、男女問わずこのバブル臭いヒエラルキーの押しつけに反応していたのではないでしょうか。格差が拡大しつつある今のこの国にあって、実はこここそが一番いじってはならない領域であったのです。商業的に成功してしまった東村先生は事前にそこに気づくことができなかった。それが今回の炎上の顛末ではないかと考えています。

 それにしても休載がつくづく残念でなりません。炎上したとはいえ、それはマンガの中で決着させてほしかったからです。あれだけ物議を醸した『東京タラレバ娘』(講談社)も、単行本4巻に入って物語世界は豊かな広がりを見せつつあります。そういうことができる作家であるのですから、『ヒモザイル』もいつかぜひ再開してほしいと願うのです。
(小田真琴)

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