羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。



<今回の芸能人>
「本当に強くなって」釈由美子
(釈由美子オフィシャルブログ、3月4日)

 ドラマや映画などの出演作品や、結婚というプライベートのニュースより、最近、釈由美子が話題になるのは“落ち込みブログ”である。

 2014年に「人間不信になりそう」「これまで味わったことのないショックで、壊れてしまうんじゃないか」「ギリギリ自分を保っている」「部屋に帰ってから、獣のように泣いてしまった」と、詳細について言及しないものの、対人トラブルを匂わせる文章を掲載し、話題を呼んだ。

 また同年に、愛犬さくらを3カ月半で突然亡くしたときには、「さくらなんて華の命が短い名前をつけちゃったからいけないのかな」「私のうちに来なければ、もっと幸せに長生きできたかもしれない」と、深い悲しみを、自責の念を交えてつづった。

 さらに今月の頭に、詳細は語らず「私にとって、一番耐えられないことが起きまして」「筆舌に尽くしがたい悲しみに襲われています」と再び落ち込みを披露。釈の挙式が間近なことから、世間では夫の浮気が疑われたが、本人が後日明かしたところによると、愛犬こころが夫の日本酒を誤飲してしまい、その結果亡くなってしまったと説明した。相次いで愛犬を亡くした釈は「もう犬を飼う資格はない」「十字架を背負って生きていく」と、またしても自責傾向の強い反省をつづっている。


 釈はかつて『オーラの泉』(テレビ朝日系)で、「鏡を見ることが怖い」と醜形恐怖症とも言えるコンプレックスを告白、『櫻井有吉アブナイ夜会』(TBS系)で三つ峠に登った際は、「私を守ってくれている妖精が喜んでいる」、山頂から富士山を眺めて「富士さま~」と叫んで泣き出し、司会の有吉弘行に「ヤバい人だね」とバッサリ切り捨てられていた。そのため、釈に「メンタルが弱くて不安定な人」というイメージを持つ人も多いだろう。

 釈のブログを読んでいると、凹んだ、傷ついたという記述は多く、落ち込みやすい性格であることは間違いない。現在妊娠中の釈は、「お腹の赤ちゃんのためにも本当に強くなって」とブログに書いているが、私には釈が弱いとは思えないのだ。なぜなら、釈の立ち直りは結構早いからだ。

 「これまで味わったことのないショックで、壊れてしまうんじゃないか」と対人トラブルをほのめかしながらも、釈が本当に壊れて、仕事に穴を開けたなどの騒動は報道されていない。
愛犬さくらを亡くした際も、「私のうちに来なければ、もっと幸せに長生きできたかもしれない」と、飼い主として不適格だと自分を責めているが、懲りることなく、再び犬を飼っている。

 そして愛犬こころを亡くして再び自分を責めているが、2日後のブログには、「(愛犬が)まだここにいる気がして、不思議と寂しくない」と自分の気持ちを述べ、「こころが私のスネあたりでぴょんぴょん飛び跳ねるリズムと同じ感覚で、(子どもが)お腹を蹴っている」「ベビちゃんが『元気を出して』って励ましてくれるのかな」「ベビちゃん、ありがとう」などと、子どもへの愛情と、自身のメンタルの安定についても言及している。身重の釈にとって、ペットロスは大きすぎる負担であり、メンタルが回復することは喜ばしいが、「筆舌に尽くしがたい」とか「十字架を背負っていく」と表現した割には、いきなりの大団円である。

 落ち込みやすい人、落ち込みを隠さない人は、一般的に“弱い”と言われる。けれど、私はそう思わない。私が見てきた範囲に限って言うならば、落ち込みやすい人は「自分中心な人」である。
うまくいかないこと、失敗することは、誰にでもある。それは経験や準備不足、場合によっては不可抗力によってもたらされる「しょうがないこと」で、個人の尊厳を傷つけるものではない。それを防ぐためには準備に集中するしかないのだ。

 が、「自分中心な人」は、“失敗という事実”そのものに傷つけられ、そんな自分は周囲から「不当に扱われている」と感じて犯人捜しを始める。犯人が見つからないと自分を責めるが、それは一種の逆切れであり、反省ではないように思えてしまう。「自分中心な人」は傷つけられた自分についてばかり考え、失敗をもたらしたプロセスに興味を持たないので、また同じ失敗を繰り返して落ち込み、場合によっては「私は運が悪い」と言い出すのだ。


 釈もそのタイプだと言うつもりはない。が、とりあえず言えるのは、この人はかなり不安定であるものの、かなり強いということ。家族を含めた周囲は大変だろうが、今後も安定した不安定ぶりを発揮することだろう。

仁科友里(にしな・ゆり)