羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。
<今回の有名人>
「宮崎さんって、とてもおとなしい顔してるけど、女優さんって、すごくオトコだと思う」上沼恵美子
『上沼・高田のクギズケ!』(関西テレビ、12月24日)
かつて明石家さんまが、『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)で、フリーアナウンサーの伊藤綾子を“魔性の女”と名付けたことがあるが、そうかなぁと違和感を持った。さんまの言う、魔性の女の定義は明らかにされていなかったものの、私に言わせるなら、魔性の女は「そうは見えないのに」という前提条件がつく。秋田美人で、我が我がと前に行くタイプでない綾子は、魔性の女というより、「典型的美人でモテる女」といった方が正しいのではないだろうか。
綾子が魔性の女でないことを裏付けるのは、嵐・二宮和也との“交際匂わせブログ”である。国民的アイドルと付き合っている、もしくは結婚したいと思っているのなら、匂わせなんて相手の足を引っ張る行為を絶対にしてはいけないことくらい、十分オトナである綾子なら、わかるはずだ(相手のファンと事務所の上層部を怒らせると相手の立場が悪くなり、ひいては2人の仲も険悪になる)。
ファンの神経を逆なでする行為がたたったのだろうか、最近は綾子を地上波で見かけることは、ほとんどなくなった。匂わせをしてしまったばかりに、仕事まで失うはめになった綾子は、魔性というより「気の小さい美人」ではないだろうか。
私の思う魔性の女とは、“少女ビッチ”な人である。少女ビッチとは、行動はビッチだが、外見がいくつになっても少女じみているので、素行の悪さが相殺される女性の総称として使用している。V6・岡田准一と結婚を発表した女優・宮崎あおいは、日本代表レベルの少女ビッチであると私は思う(余談だが、宮崎の親友の女優・蒼井優も少女ビッチの系統だ)。
宮崎は、俳優・高岡泰輔との結婚歴がある。素行がいいとは言えない高岡と宮崎が結婚した時、「オトコに免疫のない純情な宮崎が、エラいのに引っかかった」といった論調の週刊誌の記事を目にしたが、巷間でよく聞く“夫婦は同レベル”という観点から考えると、宮崎にも、やんちゃなオトコを受け入れる精神的な土壌があるのではないだろうか。
高岡は結婚早々、「女性セブン」(小学館)にグラビアアイドルの家に泊まる姿が報じられるなど、相変わらずダメ男で、対する宮崎は大河ドラマ『篤姫』(NHK)で主役を張るなど、女優として確実に成長していく(ここで、夫の巻き沿いを食って落ちぶれないところが、少女ビッチのすごい部分である)。離婚がウワサされるようになった頃、「週刊文春」(文藝春秋社)が、宮崎と岡田の不倫を高岡が知ってしまい、直接対決したと報じたが、ジャニーズ事務所への忖度が働いて、後追いするマスコミはいなかったように記憶している。
そんな岡田と宮崎の結婚について、12月24日放送の『上沼・高田のクギズケ!』(関西テレビ)では、司会の上沼恵美子が「うまくいかない」と予想。その根拠を「女優さんはオトコだから」と説明した。上沼の言う“オトコ”とは、自分中心とか、周囲が自分に合わせてくれるのが当然というスター気質のことを指していると思われるが、少女ビッチは自分を少女的に見せるプロだから、その点は心配ないだろう。
宮崎は刺繍が好きだと『あさイチ』(NHK)で明かしていた。これまた少女っぽくて視聴者受けがよい上に、芸能人としていい趣味といえる。刺繍など、縫物は無心になれて精神の安定に良いとされ、セラピー的な効果が期待できるとされているのだ。
ヒマな時間があるとスマホに手を伸ばす人は多いと思われるが、芸能人の場合、SNSを見ていい気分になることはあまりないだろう。やってもいいことはないとわかりつつ、その悪癖を断ち切れないのは、ほかにやることがないから。刺繍のように場所を選ばず、没頭できる趣味を持つことで、スマホに手を伸ばすことも減って、自分のメンタルを安定させることができるのではないだろうか。
SNSをやらず(もしくはやったとしても、匂わせたりおかしな言動を取らず)、メンタルを安定させ、仕事で結果を出す。
仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
ブログ「もさ子の女たるもの」