1月18日発売の「週刊文春」(文藝春秋)に看護師女性との不倫疑惑を報じられた小室哲哉が、翌19日に会見を開き、“騒動のケジメ”として引退を発表した。同会見で小室は、2011年にくも膜下出血に倒れ、現在リハビリ中という妻・KEIKOの介護や自身の病気、音楽活動への葛藤を赤裸々に明かし、ネット上では同情論が飛び交うように。

一方で「文春」には、「小室を引退に追いやった」などと猛バッシングが吹き荒れることとなったのだ。

 「文春」を批判しているのは、一般人だけではない。ホリエモンこと実業家の堀江貴文は、Twitterで「やっとクソ文春のヤバさが大衆に浸透してきたか。結局こうなるしかないビジネスモデル。誰得と言い続けてきたの俺だけ。(後略)」と過激な言葉でツイート。
また米大リーグのダルビッシュ有投手も、21日放送の『サンデー・ジャポン』(TBS系)に出演した「文春」記者が、「(引退は)本意ではない結果になったなと考えています」と発言したことを受け、「他人のプライベートほじくりまわして『本意ではない結果』って本当に頭大丈夫なのでしょうか?(後略)」と、徹底批判しているのだ。

 16年1月、ベッキーとゲスの極み乙女。川谷絵音の不倫スキャンダルをすっぱ抜いたことから、“文春砲”と呼ばれ出した「文春」。それまで優等生のイメージが強かったベッキーの“裏の顔”は、世間に大きな衝撃を与え、また“不倫は絶対悪”といった風潮が漂い出した。その後、他週刊誌も「文春」を追随するように、芸能人の不倫スキャンダルを盛んに取り上げ始めたが、今回の小室の引退劇により、「不倫は当人同士の問題」といった声が急速に高まっているのも事実だ。中には、「芸能人のプライベートに興味はない」「不倫だけでなく熱愛・結婚報道もいらない」という“芸能ゴシップ不要論”を唱える声も大きくなった。


 では、本当にこの世から“文春砲”をはじめとする芸能スキャンダルやゴシップがなくなったとしたら――果たしてどうなるのだろうか? 今回、実際にスキャンダルを報じる側であるマスコミ関係者、それをワイドショーなどで取り扱っているテレビ局関係者、そしてマスコミから“狙われる側”である芸能プロダクション関係者にインタビューを行い、芸能スキャンダルに対する考えやその是非などを語ってもらった。



 まず気になるのが、週刊誌とは、ある意味“敵対関係”ともいえる芸能プロダクションの意見だ。今回取材を引き受けてくれた某有名芸能プロダクションのX氏は、「タレントに対して、『週刊誌に撮られるかもしれないから、私生活に気をつけなさい』という芸能プロはあると思います」とのこと。

 つまり、週刊誌という存在は、タレントにとって“抑止力”になっているとの意見であり、もしマスコミに追われることがなくなれば、タレントが私生活で“はっちゃけて”しまう可能性もある。ただX氏の事務所では、「一般の社会人としての当たり前のことを指導するだけであって、『撮られなければいい』とは思ってないです。要は(タレント側に)つっこまれどころがなければいいんです」とも付け加える。


 また、熱愛スキャンダルが出ると、ネット上で「そのタレントが出演するドラマの宣伝なのではないか?」と、ウワサが立つこともあり、実際、そうした“仕込み”のスキャンダルも存在するという。芸能ゴシップがなくなると、こうした“宣伝効果”もなくなってしまうが、X氏は「撮られてよかったと思うことはありません」ときっぱり。あくまで「“気持ちの落としどころ”として、『まぁ宣伝にもなったし、いっか』と感じることはあります」と語る。週刊誌側から、掲載のお知らせが入った際、「『今ドラマに出ているので、記事内でそのことにも触れておいてください』と伝えることはありますけれど」という。

 やはり芸能プロにとって、「芸能ゴシップ=不利益を被るもの」であることに変わりはないが、それでもX氏は「週刊誌に“なくなってほしい”とは思わない」と語る。

「芸能スキャンダルは必要悪だと思っています。
人は、そういうものを覗き見したくなる生き物ですから、ゴシップを読みたくなって、週刊誌が売れる。そうすると、週刊誌には、タレントの登場するグラビアやインタビュー記事も掲載されているので、そういったページも読まれることになるかなとは思いますね。道徳的な雑誌ばかりだったら、そういったこともなくなりますよ」



 次に話を聞いたのがテレビ局関係者だ。昨今、週刊誌が熱愛スキャンダルや不倫スクープを放ち、ネットの盛り上がりに鑑みて、それを情報番組が取り上げ、コメンテーターが意見を述べ、それがまたネットニュースになる……といった流れが定番となっている。

 小室の引退騒動においては、ネット上で「週刊誌は芸能ゴシップを扱うのが仕事だけど、テレビがそれをわざわざ拾う必要があるのか?」といった議論も勃発していた。情報番組に携わるテレビ局関係者Z氏は、「芸能ゴシップはなくならないとは思いますが」といった前提で、話をしてくれた。


「世の中の人が、芸能スキャンダルを“参考”にすることはあると思います。芸能人の熱愛、離婚、年の差結婚やできちゃった結婚だったりが、“例”になっているのではないか……と。例えば、再婚をしようかどうか悩んでいる人がいたとして、そういった時に、『女優の○○さんは、もう3回目じゃん!』と思えたり、反対に不倫スキャンダルを見て反面教師にすることもあると思うんです。このように名前がある人の私生活というのは、一般人の生活に入り込んでいると感じています」

 テレビという拡散力のあるメディアが、芸能スキャンダルを取り上げることで、それが世間に広まり、人々の価値観を形成するきっかけにもなるということだが、もし芸能スキャンダルがなくなり、芸能人の私生活が閉ざされてしまった場合、Z氏は「モデルケースがなくなって、困るんじゃないかなと思います」と指摘する。

 また、応援するタレントの熱愛スキャンダルにショックを受け、週刊誌を敵視するファンは少なくない。Z氏は、そんなファン心理に関しても言及する。


「心理学について詳しくは言えないですが、人って誰かを好きになったら、『この人は普段何を食べているのかな?』『どこに住んでいるのかな?』『趣味は何なのかな?』といったことを知りたいに決まってるんです。ファンの人が悲しむスキャンダルもあるかもしれませんが、やっぱりマスコミは、ファンの“知りたい”という気持ちに応えるものだと思っています。もしマスコミがいなかったら……一般のファンは何をしでかすか、わからないですよ」



 最後に、タレントのスキャンダルを追う芸能マスコミ側は、その意義についてどう考えているのだろうか。ネットで巻き起こる、週刊誌バッシングに対して「何言ってるんだろうと思う(笑)」と語るのは、伝説のスキャンダル雑誌「噂の真相」の元デスク・神林広恵氏だ。

「“週刊誌の親分”といわれる新潮社の大物編集者・斎藤十一は、『週刊新潮』を新聞とは異なる、“俗物主義”という方針で編集し、“金と女と出世”に焦点を当てていました。人間は俗物であり、そういったものを求めている、と。そこから週刊誌は発展してきた歴史があるだけに、スキャンダルをやるのは、週刊誌ジャーナリズムの必然なんです。なので、『スキャンダルはなくなれ』って、いまさらなぜ? と感じてしまいます」

 これまで、プライバシーの観点から、「芸能人は公人か準公人か」と議論されてきたが、神林氏は「最近ではママタレなど、私生活を売りにする人も増えています。しかし都合のいい部分だけ見せていて、“実像はどうなのか?”という疑問がありますね。そこを担ってくれるのが、週刊誌。ネットには『芸能ニュースは、事務所の発表だけでいい』といった意見もありましたが、都合のいいところだけで知らされて、騙され続けてもいいのか? 本当はどういう人物なのか知らなくてもいいのか? と思います」と、“知る権利”を自ら手放そうとする人々に疑問を呈する。

 続けて神林氏は、最近のワイドショーが「世論形成に大きな影響を与えている」点を指摘し、芸人をはじめとするタレントがコメンテーターとして出演している以上、「その人たちの実像を知ることは重要。そこにもスキャンダルの必要性を感じる」と語る。

「もし、芸能スキャンダルがなくなったら、社会がどんどん閉塞しますよ。さまざまな権力に忖度する記事ばかりが出るようになり、言論の自由が侵されたら、民主主義国家じゃなくなってしまいます。それに芸能人の中で、この人のスキャンダルは報じてもいいけど、この人は報じてはいけないといった線引きをするのも、言論を萎縮させるきっかけになると思いますよ」

 またネット上には、「芸能スキャンダルではなく、政治問題をもっと報じるべき」といった声も出ている。これについて神林氏は、「最近の安倍首相は、よく芸能人と会食をするなどして、交流を持っていますが、一概には言えないものの『芸能人は影響力があることを知った上で、自身の政策に同調してくれる人を増やしているのではないか』とも思うんです。そういった点も含めて、『芸能スキャンダルをやるな』というのは危険ですよ」と語る。

 「文春」編集長の新谷学氏は27日、カンニング竹山との対談において、「表でこの人いいことばっかり言っているのに、実は裏でこんなことやってるんじゃないかっていうのを出したい。それがわれわれの仕事だ」といった発言をしたという。今後もさまざまな芸能スキャンダルが世に放たれるだろうが、それをどう受け取るべきなのかについても、熟考しなければいけないのかもしれない。