今回登場してくれたのは、SMAP現場歴25年、「シブがき隊→SMAP→修二と彰→ジャニーズJr.ユニット『Love-tune』真田佑馬」に至るまで、ジャニオタ歴はお茶の間ファン時代も含めて36年にわたるというE子さん(カフェ経営/47歳)。

 実は「SMAPの木村拓哉くんと、どんなかたちでも良いから何かつながりたくて」、かつては芸能系の仕事もしていたそう。

そんなE子さんに、今の「SMAPロス」を聞いた。

――SMAPの解散をどのように受け止めましたか。

E子 私自身はまだ「終わった」とは思っていないんです。共演者に解散をネタにイジられていることはあっても、本人たちが「解散」とか「元SMAP」とは一度も言っていないので。飲酒事件のときも木村くんの結婚のときも、常に自分たちの言葉で語ってきたSMAPが、ですよ? 2015年12月31日には、SMAPショップ10周にして、これまで一度も足を運んでいなかった中居(正広)くんが、木村くんと同時来店したことがファンの間で話題になりました。さらに大みそかの『CDTV 年越しプレミアムライブ2015→2016』で、SMAPは「STAY」を歌ったんです。
なぜ地上波で、あのタイミングで、シングルでもない「STAY」を歌ったのか。これは、「今までずっと自分たちの言葉でファンに向けて発信してきたのに、言えない可能性が高いから、その代わりに」という、ファンに向けてのメッセージだと思うんです。貴乃花親方のニュースを見ても、SMAPと重ね合わせてしまいます。能年ちゃん(現・のん)の事務所独立騒動と同じく、何か大きな力が働いているとしか思えない。

――まだ終わっていないという思いを抱えつつも、「SMAPロス」はどんな症状ですか。

E子 16~17年は「喪に服している」状態でした。
SMAP×SMAP』(フジテレビ系)の最終回もいまだに見ていません。もともと仕事もジャニオタ活動を軸にして、現場にいつでも参戦できるようスケジュール管理していたのに、東京ドームの空き状況なども確認する必要がなくなって、働く気力がなくなりました。今は少し持ち直したものの、16年は収入も激減しました。

――これまでの主なジャニオタ活動について、教えてください。

E子 東京でのコンサートは全ステが基本。映画の舞台挨拶、出演舞台の観劇なども含めて基本「現場主義」です。
テレビやラジオは半分くらい、CDは購入しますが雑誌は1/3かな。



――SMAP解散後のジャニオタ活動はどのように変化しましたか。

E子 いわゆる「スマオタ」とはあまり関わらなくなりました。もともと応援スタンスや、ほかに好きなグループやタレントの傾向も違う前提で付き合っていましたが、 解散以降は、出演情報等の客観的な情報交換以外、SMAPに関する意見や感想など、主観的なものは話したくないし、聞きたくもないので。スマオタのオフ会も仕事などを理由に断っていて、どのスマオタのグループLINEも未読が何百件も溜まっちゃっています。

――SMAPファン同士でも、思いはそれぞれ違うのですね。


E子 まったく違います。「SMAP解散」という重い十字架を背負う者同士で結束したい人もいますし、Twitterのジャニオタ専用アカウントで事務所の悪口しか書かない人もいて。でも、私はJr.を応援していることもあって、できるだけフラットでいたいと思っているんです。そもそも本人不在の誕生日会とか、オタ会にあまり行かないのですが、SMAP25周年のとき、中野サンプラザでファンの有志が開催したイベントに行ってみたんです。私は「何か違うな」と感じてしまって。自分は結局、本人たちにしか興味がないんだな、と思いました。


――特に激しいSMAPロスを感じるのはどんなときですか。

E子 Jr.の発言などを含め、SMAP関連のことに敏感になっているので、特にSMAP曲をライブで聞いたときの涙線の崩壊度がものすごいです。でも、ロスの状態から前を向こうと思えたこともありました。SMAP曲を披露する後輩は少なくないんですが、昨年5月にシアタークリエで上演された『ジャニーズ銀座2017』でLove-tuneがSMAPの「Otherside」を歌ったんです。「BANG!BANG!バカンス」や「笑顔のゲンキ」などは『ザ少年倶楽部』(BSプレミアム)でもよくJr.の子たちが歌っていますが、「Otherside」はラストシングルですし、歌詞も意味深で。これには「本人たちですらライブで歌っていないのに」と怒るSMAPファンもいたんですが、私自身はJr.が歌ってくれたことで、スマオタしか知らない曲を受け継いで、さまざまな層に広めてくれた気がしたんですよ。
Jr.にとってはSMAPのラストシングルを歌うことは、事務所への反抗にも見えかねないし、リスキーですよね? そんな彼らの思いを感じたら、「いつまでも落ち込んでモヤモヤしていられない」と思えたんです。

 今年1月に帝国劇場で行われた『ジャニーズHappy New Yearアイランド』で、Love-tuneが「夜空ノムコウ」のコンテンポラリーダンスで見せた演出も本当にヤバくて、周りでもすすり泣きがたくさん聞こえました。

――ジャニーズ事務所に思うことはどんなことですか。

E子 事務所はやっぱり憎たらしいです。SMAPは絶対に消しちゃダメだった。お知らせハガキの周到な準備、簡素すぎるメールでの知らせ方なども、腹が立つばかりです。

 ただ、SMAPメンバーの番組が続々終了することについて、事務所が圧力をかけていると信じて疑わない人は多いですが、私はそうは思っていません。そのあたりは冷静に考えていて、局としては「ジャニーズ事務所のSMAP」と契約していたわけで、SMAPがジャニーズ事務所と契約が切れたら、切る。人なんだからもっと大切に扱えよとも思うけど、結局は契約書上の問題で、「一商品」に過ぎなかったんだと思います。

 イソジンのカバが使えなくなったことや、契約切れでヤマザキナビスコがリッツを販売製造できなくなったことと同じでは? でも、リッツという名前は使えなくなっても、商品力があるから、ヤマザキの新会社から別の名前で出した「ルヴァン」のほうが、よっぽどリッツですよね?



――ほかのジャニーズグループに思うことはありますか。

E子 事務所のの特別扱いはすさまじいな、と思います。特に嵐のデビュー前の愚行を風の便りで聞いていたので、今の「優等生」演出にはどうしても違和感があって。あんなにも特別扱いしなくても、焦らなくても、いつかSMAPみたいになれたのに、と思います。ポスターに土下座したり、「嵐のワクワク学校」に年甲斐もなく間違ったコスプレーヤーのように制服を着ていったりするような類の嵐ファンの人が苦手なせいもあるかもしれません。

――ところで、SMAP解散に何か大きな力が働いている気がするという説ですが、E子さんは独自の解釈をされているそうですね?

E子 東京五輪問題も含め、電通からの解散指示だと私は思っています。ジャニーズのいわゆる「派閥問題」も、藤島ジュリー景子さんが、現場から経営のほうに重きを置くようになって、表向きには「派閥」が消えると、芸能関係者から聞いていました。それで、ジュリーさんは嵐が大好きで、Jr.には興味がないので、飯島三智さん若い子たちを請け負うことになったのだと。そこまではうまくいっていたはずなんです。

 もともと事務所は「パラリンピック→SMAP、オリンピック→嵐」で推していて、五輪幹部の森喜朗元首相もそのつもりで進めていたのに、森氏とズブズブだった舛添要一氏から小池百合子に都知事が代わり、そこが大誤算だったんじゃないかと。

 オリンピックに絡んでいる電通としては、ほかも使いたい。誤算で生じるギャラの問題を解決したい。でも、SMAPのギャラは高い。ジュリーさんとしては大好きな嵐を一番にしたい。となると、名実共にトップのSMAPを消すしかないと電通から助言をもらい、その指示に従ったのではないかと考えています。

――森喜朗氏とジャニーズ事務所のつながりというのは、どこから?

E子 「2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会」が発足されたのは2014年1月24日でしたが、同年1月27日にその会長に就任した森氏が『JOHNNYS’2020 World』を観劇した「トニトニ観劇事件」というのがあるんです。プログラムも急遽変更して、ジャニーズが媚びを売っているように見える内容に見えたと、ファンの間では大不評だったみたいです。

――なんだか恐ろしい話になってきましたが……。

E子 SMAP解散によるロスを解消するために、気持ちを面白い方向にもっていくしかないんです。友人などには「すごい発想力」と言われますが、天皇のご退位も安室ちゃんの引退も、SMAP解散とともに「平成が終わる」感として作られたのではないか、とか。今はいろんな事象・事件とSMAPを絡めて想像をふくらませています。

――E子さんにとって、「SMAP」とは、どんな存在でしたか。

E子 命の次に大切なものです。5年後10年後でなくても20年後でもかまいません。またSMAPとして活動して、ライブを見せてほしいです。