羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます

<今回の有名人>
「(警察は)彼を絶対逮捕するという強い意志のもとに、動いていた」デヴィ夫人
(講談社刊『選ばれる女におなりなさい デヴィ夫人の婚活論』出版記念会見、2月6日)

 例えば、スーパーで万引きをした人が万引きGメンに捕まり、店が警察に通報したとしたら「それは当然だ、万引きをした人が悪い」と言われるだろう。

しかし、なぜか同じ犯罪でも、加害者が断罪されず、なぜか被害者が責められるのが性犯罪なのである。性犯罪へのコメントは、その人の性(女性という性別、セックスという意味の性)のとらえ方が如実に反映されるものなのかもしれない。

 性犯罪に関するコメントで、独特なスタンスを取っているのが、日本人にしてインドネシア建国の父、スカルノ大統領と結婚したデヴィ夫人ではないだろうか。2018年に元TOKIOのメンバー・山口達也が女子高生に対する強制わいせつ事件で書類送検された際、夫人はブログで「KISSされたら、トイレに行ってちょっとうがいして『ちょっと失礼』と言って二人で帰ってくればよかったのでは?」と、女子高生への批判とも解釈できる文章をつづっている(のちに削除)。

 今月に入って、俳優・新井浩文が派遣型マッサージ店の女性従業員に乱暴した容疑で逮捕された事件では、新井の出演作品がお蔵入りする可能性が高いことから「たくさんの方に迷惑をかけるなら、1000~2000万でも差し上げて円満解決すればよかったのに」とコメントした。また、自著『選ばれる女になりなさい デヴィ夫人の婚活論』(講談社)の出版記念会見では、「(警察は)彼を絶対逮捕するという強い意志のもとに、動いていた」と述べているが、逮捕は法律に基づいてなされるものであり、警察の意志のもとでなされるとしたら、由々しきことである。夫人は「性犯罪は大したことではない」「性犯罪は、カネで解決できる」「性犯罪くらいで逮捕するなんて、警察もひどい」といった具合に、女性に対する性犯罪そのものを軽くとらえているのではないだろうか。



 性というものに対する考え方に、その人の人生が関係していることは、疑う余地はないだろう。若い世代にとって、夫人は美貌の元大統領夫人であり、『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)の出演者でおなじみだろうが、彼女の人生は壮絶である。『デヴィ・スカルノ自伝』(文藝春秋)によると、昭和15年生まれの夫人は、子どもの頃から器量よしで知られていたものの、家庭は格別に貧しかった。小学校入学の際、母親が手持ちの服をほどいて、セーラー服を作ってくれたが、学校に行くと、クラスメイトは新品のおしゃれな服を着ており、「世の中には金持ちの子がいる。そして私は貧乏だ! 私は生涯忘れることのできないほど衝撃を受けた」と書いている。


 夫人は貧乏から抜け出すために、中学卒業後は就職して会社員となり、芸能プロダクションに所属して女優を目指すが、スターになるのは難しく、会社員としての将来も開けていないことに気づく。さらに喫茶店でバイトをすれば給料をピンハネされるなど、自分が弱い立場の人間であることを思い知らされた夫人は、水商売の世界に足を踏み入れる。赤坂のナイトクラブでは、2時間座っていれば、会社員の給料と同額がもらえるとわかり、ためらうことなく会社を辞めて、仕事をホステス業に絞ることを決心。昭和30年代に月給百万をもらっていたというから、夫人の売れっ子ぶりがわかるはずだ。

 夫人はナイトクラブで知り合った、ケタ外れの財力を持つ外国人男性に生活の面倒を見てもらい、湯水のように金を注いでもらうようになる。相手はだいぶ年上の既婚者で、夫人の望みは何でもかなえてくれたが、その一方で「寝室では忠実な生徒であることを命じた」そうである。これを、相手からカネをもらう代わりに、相手好みのセックスをするという契約だととらえるのなら、夫人にとっての性とは、カネを生むものである。

 また、夫人は同書で39歳年上のスカルノとの性生活について「20代の新婚の夫でも、あの頃の彼ほど妻に愛を尽くすということができるだろうか」と頻度の高さと濃密さについて触れている。本来ならプライバシーの類に入ることについて触れているのは、スカルノが異常性欲者と日本で報じられたことの不名誉を晴らしたかったから、加えて、スカルノの周囲に多数いる女性に差をつけたかったからではないだろうか。夫人はイスラム教徒であったスカルノの第三夫人であり、第二夫人から執拗ないじめを受けていたそうである。さらに、スカルノは艶福家で、夫人と結婚する前には日本人女性をインドネシアに囲っており(後に女性は自殺)、結婚後も日本の芸者と関係を持ち、さらにこっそりインドネシア人女性を妻に迎えている。ショックを受けた夫人は修道女になろうと修道院に家出をしたり、自殺未遂を図ったりと女性問題には泣かされている。
ライバルがたくさんいる中で、夫人が自分の地位を保つためには、スカルノの寵愛が頼りである。愛情という目に見えないものを測るのに、夫人はセックスをバロメーターにしたのではないだろうか、愛されているから、魅力があるからセックスを求められると考えるようになったのかもしれない。

 女性という性、もしくはセックスが、とてつもないカネを生み出し、魅力の証拠だと夫人が考えているとしたら、同意なくキスやセックスをしかけられることの不快感を理解できないのかもしれないし、夫人が性犯罪を「それぐらいで」と考えるのも理屈が通る。価値観に正答はないので、どんな考えも全てアリなわけだが、ここで夫人の言葉がよみがえる。

 夫人は外国人専門のナイトクラブで働くことにした理由として、給料の良さに加え、「日本では、家庭、教育、過去、環境が整わねば女一人の人格なんて誰も認めてくれないのに、外国人は明らかに私の中に独立した人格を認めていた」としている。つまり夫人は日本において、「世間の人たちから平等な人間と認められない」という経験をしたのだ。山口の強制わいせつ事件も、新井の強制性交容疑も、被害者は一般人で、芸能人と比べると発言力も弱く、男性と比べて立場も腕力も弱い。いわば「人格を認めてもらえていない」女性たちといえるだろう。女性たちがかつての自分と同じように、社会の理不尽に耐えることを強いられていると感じても、夫人は「性犯罪くらいで」というスタンスのコメントができるのか。貧困から自力で抜け出した経験者としての、夫人の意見が聞きたいと思うのは、私だけではないはずだ。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。
現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
ブログ「もさ子の女たるもの

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