皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。最近では、女性・女系天皇論争の皇位継承者問題や秋篠宮家の長女・眞子さまの婚約者・小室圭を巡る一連の騒動などが注目されているものの、実は、こんなのは大した騒動ではなかった……? 「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な天皇家のエピソードを教えてもらいます!

皇族の知られざる素顔――48歳年下の養女に手を出すトンデモ天...の画像はこちら >>

 魔性のタフマンおじいちゃん・白河法皇

―――最近、天皇家への注目度がいまだかつてないほど上がっている気がしています。

芸能人とはまた違いますが、ジャニーズアイドル並に週刊誌やテレビでもよく目にしますし。

堀江宏樹(以下、堀江) 天皇陛下の代替わりとともに、元号も「平成」から「令和」に変わりましたね。日本の長い歴史の中に自分たちも生きているんだなぁ……と思える特別な瞬間でした。2019年4月30日まで天皇陛下だった方が、皇太子殿下に位をゆずって、“上皇”陛下になったり。“上皇”と呼ばれる方が日本にいるのは、じつに約200年ぶりとのことです。

―――約200年前ということは、江戸時代! “上皇”という言葉は、歴史の教科書の中にしか存在しないと思っていたので、日本の長い歴史の延長線上にわれわれも生きているということを実感させられますね。

サイゾーウーマンでも皇室ウォッチ系の記事が好評なんですが、歴史上の皇室というとまた別次元の話のような気がします。そこはどうなんでしょうか。

堀江 そうですね、実際にまったく“別の世界”だと思います。時代にあわせて変化していくことこそが、皇室の変わらない伝統だという人もいますね。たとえば、明治・大正時代くらいまでの天皇には、いわゆる「側室」と呼べる女性がいてもおかしくはないというのが世間の常識だったし、実際にいたわけです。しかし、昭和時代以降、そういう伝統は「時代にそぐわない」として消えてなくなりましたね。

―――「側室」はお世継ぎを授かるために……ということでしょうか?

堀江 はい。でも、昔は「お世継ぎ」のためだけではないでしょうね。天皇家は日本最上位の“スーパースター”の一族。そして、スター性があり、権力を極めた“強い”天皇ほど、多くの子どもがいる傾向が強いんです。つまり、それを言い換えると、彼らが心身ともに健康で、個人的にも魅力がすごく、“モテにモテた”結果だとも言えるんですね。たとえば、天皇家の長い歴史の中でも、もっとも強い権力を握った人であろうと思われる、平安時代後期の白河天皇(1053~1129)には、その手のすごいエピソードがいっぱいあるのです。

―――モテた結果のエピソードですか? なんだか不穏な空気が出てきましたね。

堀江 そうですね(笑)。でも、その前に、少し真面目に歴史の中の白河天皇について見てみましょうか。

 平安時代の天皇家といえば、天皇家をもしのぐ権力を手に入れた藤原家に押されがちというイメージがあるかもしれません。しかし平安後期の白河天皇は、相続争いで内部分裂した藤原家から権力と富を皇室に奪い返した帝として有名です。

 白河天皇の思い通りにならないものは「加茂河の水、双六の賽(さい)の目、山法師」の3つだけという言葉が伝えられています。

出典は『平家物語』、つまりフィクションですから、確実に言ったという証拠はありません。しかし、これは白河法皇の絶対権力についての「キャッチコピー」として伝統的に使われている言葉なんですね。

 加茂河(現在の鴨川)の水は「自然現象」、双六の賽の目は「運」、そして山法師は当時の大寺院・延暦寺などが雇っていた「僧兵」、つまり僧の姿をした兵士たちを意味しています。僧兵は政治に気に入らないことがある度に、都にやってきて暴れまわるのですが、「天罰」があるので原則、天皇でさえ処罰の命令をくだせません。白河天皇からしたら、実に厄介な存在(笑)!

  さて……白河天皇が退位、上皇になったのが応徳3年(1086年)11月のこと。天皇在位期間は13年でした。

ちなみに平安時代(9世紀~12世紀)くらいの天皇の平均在位期間は約12年ほどですので、それより少し長いくらいですね。

―――生前に譲位するのが、この頃は一般的だったのですね。

堀江 はい。この頃は、基本的にそうなります。白河天皇は譲位した後「上皇」となりますが、その後、永長元年(1096年)に出家したので「法皇」を名乗ることになりました。天皇は定員一名だけですが、上皇や法皇は複数存在していてもOKなのです。

 そんな白河法皇には、同い年で長年の友人がいたのですが、それが血縁的には従兄弟にあたる、藤原公実(ふじわらのきんざね)。藤原公実は、藤原家の中でも特に家柄が良く、権力にも近い「閑院流(かんいんりゅう)」とよばれる血筋に生まれました。そして……閑院流には美男美女が多いといわれてきたのです。

―――白河法皇は、イケメンかつ家柄も良い友達と長年つるんできでたわけですね?

堀江 そうそう。藤原公実もとびきりの美男だったこともあり、白河法皇からそれは大事にされてきたといいます。歌人としても、勅撰和歌集に歌が選ばれるほど優秀でした。勅撰和歌集とは、天皇もしくは上皇・法皇の命令によって作られた和歌集です。現在の歌会始めに自作が選ばれる以上のものすごい名誉だったんですね。

―――勅撰和歌集のすごさが、いまいちピンとこない……現代の媒体でたとえるなら?

堀江 そんな……たとえることなんてできません! 大変、名誉なことですし、言葉が悪いかもしれないけど、雑誌や新聞って基本的にすぐに読まれなくなるでしょう。個人で歌集を出版しても同じ。でも、勅撰和歌集に自作が掲載されるということは、歌人として未来永劫、歴史に名前が残るのです。そもそも、皇室が率先して作らせている媒体=勅撰和歌集なので、それに掲載してもらえるなんて「ありがたや~、ありがたや~」と思わずにはいられないでしょ。

 ただ……藤原公実は政治家としてはイマイチなんですけどね。だから、高い地位を彼が守り続けられたのは白河法皇と藤原公実が男色関係にあったからという人も多いですし、僕もそう考えています。

皇族の知られざる素顔――48歳年下の養女に手を出すトンデモ天皇がいた!? 【日本のアウト皇室史】
堀江宏樹さん(撮影:竹内摩耶)

―――身分の高い方々の同性愛は、当時よくあったことなんですか?

堀江 白河法皇も藤原公実もお世継ぎをすでに儲けていたので、とくに問題がなかったんです。彼らが生きた平安時代後期を、歴史用語で「院政期(いんせいき)」と呼びます。この時代は、“寝室”で歴史が作られていたと言っても過言ではない……つまり、強い人から寵愛を受ければ受けるほど出世できる時代なので、男女関係だけでなく、男性同性愛も盛んだったようです。

 あと、当時、恋愛はレジャーみたいなものでもありました。ほかに娯楽が少ないですからね。でも中学の古文の授業を思い出してください。当時、それなりの身分のお姫様と会うには、和歌やプレゼントを“しつこく”送らないと、面会すらなかなかしてくれません。男性同士の場合、お姫様に会うまでの、まどろっこしいやりとりはなかったようです(笑)。

―――自由恋愛イコール同性愛というような部分があったみたいな?

堀江 極論すれば、そう言えます。でもね、現代人からすると不可解なんですが、単純に好きな相手とセックスするというより、“にくい相手”、たとえば政敵の男と「わざわざ」寝てしまうケースもあるんですよ。男色の記述が多いことで知られる、院政期の公家・藤原頼長の日記『台記』などに出てくるケースです。「愛ゆえに」というより、人間関係の“ガス抜き”みたいなことを狙って、同性同士でセックスしていたのかもしれません。

 あるいは、当時の高貴な人たちにとって男女関係は、政略結婚などに象徴されるように、自分の意志だけでは決められない要素が多すぎました。愛人選びだって、単純に自分の好みだけでは決められません。しかし同性愛は、そういう男女関係にまつわる「わずらわしさ」からは、少なくとも自由で、純粋な関係だったと言えるかもしれません。

―――“にくい相手”とのセックスとは、現代人の思考回路では考えにくいので驚いちゃいました。資料によると、嘉承2(1107)年、藤原公実が“突然”亡くなりますね。すると彼の娘のうちの一人を白河法皇は自分の養女にした、という記述があります。

堀江 娘というのは、後の待賢門院(たいけんもんいん)、藤原璋子(ふじわらのたまこ)という女性です。ただこの人、スキャンダルクイーン系の美女だったようで、問題アリな人物と言われています。彼女は藤原公実の最後の娘、つまりすごく幼いからというわけでもないのに、白河法皇の養女になった。邪推すると……璋子ちゃんは、幼い頃からとびきりかわいかったし、なんとなく公実パパを彷彿とさせる容貌だったのでしょう(笑)。だから白河法皇はわざわざ養女にしたのでは?

―――NHK連続テレビ小説『なつぞら』も、広瀬すず演じるヒロイン・なつが北海道に養女のようにしてもらわれていくという展開がありましたが、なつのことは顔では選んでませんよね。

堀江 顔で選んだのでは、というのはあくまでも僕の推測ですが、『今鏡』という歴史物語に、白河法皇が昼間っから璋子と“あやしいこと”をしていたというシーンが出てくるわけです。

―――あやしいことってなんですか? 昼間からお父さんと“あやしいこと”……とても気になるんですけど!

第2回につづく!!)

堀江宏樹(ほりえ・ひろき)
1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。2019年7月1日、新刊『愛と欲望の世界史』が発売。好評既刊に『本当は怖い世界史 戦慄篇』『本当は怖い日本史』(いずれも三笠書房・王様文庫)など。
Twitter/公式ブログ「橙通信