5月28日、神奈川県・川崎の登戸駅付近で、スクールバスを待っていた小学生らが、男性に相次いで刺され、小学6年生の女子児童と保護者の男性が死亡、17人が負傷するという「川崎殺傷事件」が起こった。

 この痛ましい事件は、多くの人々にショックを与え、ネット上では、亡くなられた被害者への哀悼や加害者男性への強い憤り、事件の真相解明を求める声などが飛び交ったが、その中で「マスコミ批判」も過熱。

加害者男性の名前が公表される前に、被害者の実名が報じられたことをきっかけに、「それより加害者のことを知りたい」「被害者の実名や経歴、人となりを報じる意味は?」「被害者の気持ちをもっと考えるべき」といった声が巻き起こり、「被害者の実名や顔写真を出すな!」といった主張も散見された。

 これまでも、被害者やその家族が報道自粛をする中、マスコミが強引な取材やプライバシー侵害にあたるような報道を行ったとして、「被害者報道の在り方」が議論されることはたびたびあった。そんな中、ここ数カ月の間に起こった「池袋暴走事故」(4月19日)、「大津園児事故」(5月8日)でも、同様の議論に発展、マスコミの取材や報道の仕方が疑問視されることが続いており、現在あらためて事件や事故を取材・報道するマスコミの姿勢が問われているのだ。

 今回、「被害者報道」の現状と課題に、報道サイド/被害者支援サイド双方の視点から考えていく。前編では、大手マスコミの報道記者であるA氏に話をお聞きした。



――ネットを中心に「被害者報道の在り方」を問う声が過熱しています。
この現状について、どのように感じますか?

A氏(以下、A) 匿名の人がネット上で意見を言うことが当たり前になった今、「被害者の実名を報じるな」などの声が出ていることはもちろんわかっています。しかし報道記者として……もっと言うと“報道の精神”として「実名報道」というのは原則です。

 記者にもよると思うのですが、私はこの仕事を「歴史を記し、後世に伝えていく仕事」だと考えています。極端な例になりますが、安土桃山時代の関ヶ原の戦いで、当時10代だった小早川秀秋が石田三成を裏切り、徳川家康に寝返ったという話は、歴史上の出来事として広く知られていますよね。それは「小早川秀秋」という実名だからこそだと思うのです。例えば、「10代の武士」としか記録されていなかったら、日本の歴史上、大きな影響を及ぼしたこの戦いの真相を知ることはできなかったはずです。


――ほかにも、「実名報道の意義」について、思うところはありますか。

A 私は、「報道とは世の中に議論を起こすためのもの」だとも思っています。例えば、池袋暴走事故でも、被害者の実名と顔写真が出ましたが、もし「30代の女性と3歳の娘さん」としか伝えられなかったら、もちろん皆さん「かわいそうに」とは感じるものの、高齢者の免許返納問題がこれほど議論されることはなかったのではないでしょうか。

 事件や事故が起こった際、ネットでは「被害者の実名や顔写真を出す意味がわからない」と怒る人もいますが、こうして報じられたからこそ、被害者母子への「かわいそう」という気持ちがさらに強くなり、高齢者の免許返納問題について考えなければいけない機運が高まったと、私は理解しています。

――池袋暴走事件では、亡くなられた被害者女性の夫が会見を開き、顔写真の公開を行いましたが、それも「さまざまな議論がなされ、少しでも犠牲者がいなくなる未来」を考えてのことと、お話されていました。

A 旦那さんは、弁護士の方と一緒に考え、会見を開いてくれたのではないかと思っています。


 なお、池袋暴走事件に関しては、事故が起きた日の夜、旦那さんの話を聞きたいと、記者たちがご自宅の前に集まっていました。旦那さんの立場としては、我々の取材は「過熱しすぎである」と思われて当然だと思いますが、しかしそれでも、我々はご遺族に真摯に向き合い、二度とこのような事故がないように、どうすればいいのかを考えるため、取材させていただきたいという思いを持っていたのです。

――「実名報道をやめてほしい」というご遺族の方に対して、どう向き合うべきだと思いますか。

A ご遺族の気持ちを考えたら、亡くなられた家族の実名や顔写真が出ることを「やめてほしい」と思う方がいるのは当然です。もし自分が同じ立場だったら、嫌だと感じるでしょう。それでも、やはり「実名報道は原則」を我々は忘れてはいけないと思います。
我々は、ご遺族の方に対して、最大限「なぜ実名報道をしなければいけないのか」という理由を申し上げる。その努力をするべきだと感じています。ただ晒したいから、実名や顔写真を報じているということは絶対にありません。川崎の事件で亡くなられた男性は外務省職員で、実名や顔写真以外に、どのような仕事をしていたかについても詳しく報じられていましたが、それは男性が“確かに生きていた“ということで、その人生を奪ったことが、どのような意味であるかを世の人に考えてもらいたいと思うわけです。逆に……全てが隠されている方が違和感などを感じてしまうところもありますね。

――「違和感」というのはどういうことでしょうか。


A 「亡くなられたのは30代の男性」だけしか報じられないと、何か隠されているのではないか……と感じてしまうのではないでしょうか。例えばアメリカだと、加害者や被害者だけでなく、事件・事故の目撃者のインタビューでも実名かつ顔出しなんです。文化の違いもあるでしょうが、「隠す理由がない」のであれば、実名は原則であるべきだと感じます。



――被害者報道の在り方については、長年議論されていることですが、“変わってきた”と感じる点はありますか。

A 昔に比べると、被害者やそのご家族に配慮した報道にはなってきていると思いますし、いまこうして議論が再燃している中、テレビや新聞各社は、あらためて「実名報道の意義とは」「取材方法に間違いはなかったのか」と話しているのではないでしょうか。例えば、葬儀の取材はご遺族が最も嫌がられるものだと思います。
一昔前は当然のように取材されていたと思いますが、現在では葬儀の取材を必ずしもするものではありません。そこはご遺族の考えを尊重して、自粛しなければいけない場合もあるのではないか、と。

――確かに以前は、テレビで葬儀の様子が流れることもよくありましたが、減ってきているように感じます。

A 昔は、勝手にマンション中に入って、住人に話を聞くといった取材も普通に行われていましたから。今だと「不法侵入」で逮捕される可能性もあります。「取材方法」に関しては特に変わってきていますね。

――速報性が重視され、各社の競争が激化することが、強引な取材につながるといった指摘もありますが。

A 確かに、「各社の競争が激化」という点は、認めざるを得ないところはありますね。上から「どうしてうちだけ被害者の写真が手に入れられないんだ」などと叱られることは実際にあるのです。ただ、だからと言って、ご遺族の自宅のピンポンを押して「写真をください」なんてことはしないですし、各社の競争がご遺族に何か大きな影響を及ぼすということはないのでは……。逆に、実名報道でなかった場合は影響が出ると思います。ご遺族以外の方からお写真を入手する際、「あの人に何かあったの?」などと騒ぎになり、ご遺族にも負担になってしまう可能性もあります。

――大津園児事故では、事故当日に保育園側が会見を開き、その中で記者が、保育園側の安全責任を追及するような質問や、出発前の園児の様子などを聞こうとしたことにより、ネット上で「保育園側を責めるのはおかしい」「意味のない質問」などと大炎上が起こりました。

A 個人的には、質問内容がよくなかったと思います。保育園側の安全責任を追及することが、あの会見での本質ではないと感じますし、ただ、追及しようとする気持ちはわかります。事故というのは、さまざまなミスが重なって起きるものですし、その原因を考える意味では正しいが、あの状況、あのタイミングで聞くべきではなかった。保育園が重大なミスを犯した“悪者”ではないであろうことは、あの時点でわかっていたでしょう。

――マスコミが、被害者サイドである保育園に「会見を開かせた」といったニュアンスでとらえる人も少なくなかったようです。

A 私は「開くべきだった」「開くべき意味があった」と思います。保育園側に不手際があったわけではないことが、あの会見によって知れ渡ったのですから。

もし数字取りだけが目的だったら……

――被害者報道について、今後の課題だと感じることをお教えください。

A 先ほど、「原則として実名報道」というお話をしました。いま実名報道の是非について議論が巻き起こってはいるものの、その精神は揺らぐことはありません。さまざまな意見を聞き、考えなければいけない問題ではありますが、実名報道をやめていこうという流れではなく、実名報道は行う、けれど、「なぜ実名報道をするのか」を理解してもらうことを意識すべきではないかと。その努力なしに実名報道をするのは、やはり「被害者への配慮はない」と思います。

 我々は目先のスクープで“数字”を狙っていると勘違いされがちですが、もし数字取りだけが目的なら、過去にあった事件や事故を再び振り返る――例えば「地下鉄サリン事件から20年」などの特集は行いません。報道によって世の中を変えていきたいという気持ちを持っていることを知っていただければと思います。