――本屋にあまた並ぶ新刊の中から、サイゾーウーマン読者の本棚に入れたい書籍・コミックを紹介します。

『栗本薫と中島梓 世界最長の物語を書いた人』(里中高志、早川書房) 



【概要】

 100巻を超えるファンタジー小説『グイン・サーガ』シリーズや、ミステリー小説『伊集院大介』シリーズなど、エンターテインメント作家としての功績が広く知られている「栗本薫」。
彼女は評論家、音楽家、舞台演出家の「中島梓」という一面も持っていた。幅広い活動と超人的な創作スピード、1980~90年代のサブカルチャー黄金期を支えていた彼女。周囲の人々への綿密な取材と資料で、彼女の人生と内面に切り込んだ評伝。

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 昨年多くのドラマ賞を受賞した『おっさんずラブ』(テレビ朝日系)に続き、19年4月期のドラマ『きのう何食べた?』(テレビ東京系)も視聴者からの大きな支持を集めた。10年ほど前には「隠れて楽しむもの」という人も多かった“ボーイズラブ(BL)”ものが、テレビというマスメディアを席巻したことに、時代の潮目を感じる人も少なくないだろう。矢野経済研究所によると、自身を「BLオタク」と考える人は推定50万人。
もはやメジャージャンルとして定着感があり、今後ますます商業的な広がりが予見される。

 「ボーイズラブ」という言葉が生まれたのは約30年前、1990年代初頭。それまでは、男性同士の関係性を主題に書かれた女性向けコンテンツは「JUNE」「やおい」などと呼ばれることが多かった。「JUNE」の語源は、78年に創刊された日本初の「女性読者を対象にした、男性同士の恋愛を書いた創作」を専門とする商業誌「JUNE」(サン出版、創刊当時は「comic JUN」)からくる言葉だ。

 厳密に言えば「JUNE=BLの前身」ではない。しかし、“主に男性同士の濃い関係性を題材にしたコンテンツ”という大枠、書き手、読者層など重なり合うところも多く、JUNEは、現在大きく広がるBLの源流のひとつであり、80年代のJUNEの隆盛、書き手の輩出が、現在のBLに果たした役割は小さくはないだろう。


 そんな雑誌「JUNE」の創刊に深く関わり、読者の開拓、書き手の育成にも努めたのが、中島梓だ。今回は、「JUNE」やBLへの寄与という側面から、『栗本薫と中島梓』を読み解いてみたい。

 77年、24歳で評論家「中島梓」として群像新人賞を受賞し、その翌年には「栗本薫」名義で江戸川乱歩賞を当時の最年少で受賞。主に2つの名義で作品を世に出し続けた彼女は、評論、ファンタジー、ミステリー、SF、ホラー、そして男性同士の性愛を描いたJUNEなど多彩な分野で活躍し、56歳で亡くなるまでに424冊(文庫化、再販を除く)にも上る著作を出版した。さらに、舞台にのめり込み、何度も脚本・演出を手掛け、ミュージシャンとしてピアノ演奏やライブ活動も定期的に行い、長唄や清元の名取でもあった。加えて同人誌も販売し、パソコン通信でファンと日々やりとりし、mixi上でも日記を書き、その上で発表の当てのない小説を書きためていたという。


 「JUNE」初代編集長には「何かをしていないと正気を保てないというくらい、病的なほどエネルギッシュ」、ファンクラブ会長には「書いてないと死んじゃうような人」と評された。中島の夫や息子、母の回想からは、自身でも制御できない過剰な想像力に振り回され、孤独感や不安を手離せない生涯だったことがうかがえる。著者は、その一因を家庭環境にあると推察する。



 裕福な家庭に長女として生まれ、何不自由なく育ってきた中島だが、彼女の弟は生後間もなく重度の障害を抱えた。中島梓の名前で書かれた私小説『弥勒』によると、主人公(中島)の母は「お姉ちゃんがとこちゃん(弟)の分までおつむをもってっちゃったからね」「本当はともたん(弟)は大秀才だったのよね」と口癖のようにつぶやく。中島は、どうしても弟中心に回らざるを得ない家庭に複雑な思いを抱え、弟への嫉妬自体に罪悪感を覚える。
著者や中島の夫は、彼女が両親から十分な愛情を注がれていたとみているものの、当時に、両親と弟の強固な絆からはじき出されたという孤独感が、異様とも呼べるほどの創作意欲に影響を与えたと考察している。

 彼女がデビュー前に書きためていたのが、初期の代表作ともなる『真夜中の天使』だった。19歳の美少年が芸能界の大物男性たちに抱かれながら歌手として成り上がり、マネジャーとの暴力的とも呼べる愛を紡ぐ。本作のあとがきの中で、中島(栗本)はこうつづったという。

「ただ私にとってそのとき切実に知りたかったこと――それは、一人の人間が、どうしたら、ほんとうに孤独ではなくなるか、ということでした。(略)かれらはみんな、何とかして他人に、ものすごく、全存在をかけるほど強烈に関心をもってほしかっただけなのです」

 『栗本薫と中島梓』の著者は、「中島梓の活動のなかで、<JUNE>という雑誌は非常に重要な位置を占めている」という。
創刊初期、注目の新人作家として多忙だったにもかかわらず、中島・栗本名義のほかにも複数の筆名で小説を「JUNE」に寄稿し、新人育成も買って出るほど精力的に活動した。なぜ中島は「JUNE」というジャンルに強く固執したのか。彼女は、投稿小説を講評するコーナー「小説道場」内で、「JUNEにおける男どうしの必然性というのは『この個人でなくてはならない』ことの強調」であると説いている。さらに、JUNE小説は「誰からも理解されないのではないか」「他の人間とひとつになることができないのではないか」といった少女の孤独や不安に応えるものとして存在するジャンルだと解説(『小説道場』第1巻)する。

 そして「男性同士の性愛関係に熱狂する女性オタク層」――今では“腐女子”と呼ばれる層については、現代に通じるジェンダー的な感覚の鋭さをもって論じる。

 中島は、当時の腐女子層を「現代社会で弱者に立たされた者たちの過剰適応」だと捉えていた。
91年当時の人気漫画やアニメにおいて、女性としての評価が「いっそう身も蓋もない美醜や老若、性としての優劣に集約」されるようになったと指摘。男性同士の関係性をメインにする作品は、そんな社会の選別のまなざしから逃れつつ、「人に人を欲させる愛という見知らぬ素材を存分に解剖したりいじりまわしたりすることができる」と分析している(『コミュニケーション不全症候群』ちくま文庫)。

 これらの考察は、80~90年代初めに書かれた論であり、社会環境や、ジャンルそのものの成熟段階が全く異なるため、現代では当てはまらない面が多々見られる。しかし、まだ一部にしか知られていなかった「男性同士の関係に熱狂する女性オタク層」を、彼女らの苦しみに寄り添う形で評論の俎上に載せ、外部との橋渡し役になった功績は大きい。

 中島は、デビュー前から晩年までJUNE小説を書き続けた。それはもちろん、あふれるように湧き出たアイデアの泉によるものであるだろう。しかし『栗本薫と中島梓』を読むと、創作衝動の代償のようにつきまとう孤独感から生涯目をそらせなかった彼女が、自分と同じような不安を抱える少女への助けになりたいという願いを込めて、JUNE小説を世に送り出し続けていたようにも思える。現代のBLの隆盛、華やかな広がりの底には、中島の、そして幾人もの書き手による救済の意思が、今もひそやかに流れているのかもしれない。そんな思いに至ってしまう一冊だ。

(保田夏子)