ジャニーズ事務所の新社長に就任することが確実視される、藤島ジュリー景子氏。彼女は、どんな人物なのか、その素顔に迫るシリーズ。
上智大学在学中から少年隊や光GENJIの衣装を担当し、そのプロデュースにも関わっていたジュリー氏だが、当時、少年隊の東山紀之との熱愛説が浮上する。
「お熱を上げていたのはジュリーさんの方で、当時、母・メリーさんが周囲に『東山と娘が付き合っていて困っちゃう。反対すると家出しかねないから』と周囲にこぼしていたと、当時報じられています。衣装を担当していた関係上、2人が行動を共にする時間が多かったことは間違いなく、デートの目撃証言もありました。とはいえ、ジュリーさんはほぼ同時期に俳優の中井貴一とのデートがスクープされたこともあり、東山とウワサがどこまで本当なのか、ハッキリしたことはわかりません。ただ、このジュリーとの熱愛報道以降、東山は将来のジャニーズ幹部候補に急浮上し、一部ではグループ会社の役員になったとも伝えられました」(芸能記者)
いつしか2人の結婚が既定路線であるかのような空気が出来上がっていたが、ジュリー氏は2004年に一般男性と結婚。
「ジュリーとの熱愛が報じられて以降、東山は気心の知れたスタッフや関係者からは、冷やかし半分に“社長”と呼ばれるようになっていたといいますからね。“ジャニーズの母”とも呼ばれた森光子さんとの、親子以上ともいわれた親密な関係性も、将来のジャニーズの幹部としての自覚があってのことだったはずです」(同)
「週刊文春」15年1月29日号(文藝春秋)が掲載した、メリー氏の5時間独白記事からも、それはうかがうことができる。ジャニーズ事務所の後継者問題の話の中で、
「(東山が)ジュリーと結婚して、という話を言いたいのでしょう。
「それを言うなら、一番(結婚の可能性があったのは)は近藤真彦ですよ」
と、東山の話題から近藤に問わず語りを始めたのだ。
メリー氏によれば、ジュリー氏はマッチの母親にとても可愛がられており、ジュリー氏もそんなマッチ母を慕っていたとのこと。マッチ母はジュリーを「マッチのお嫁さん」と決めており、彼女が新築した家には、ジュリー氏の部屋が用意されたほどだったという。
「その饒舌さには、実らなかったジュリーさんの恋について、それ以上、聞かれたくないという母心がにじみ出ているように見えました。一方で、メリーさんとマッチの関係は、ジャニーズの歴代タレントの中で最も深く、まるで母か妻のようにメリーさんが尽くしていたことが知られており、マッチが交際を続けていた中森明菜との関係も、その強すぎる“マッチ愛”ゆえぶち壊したともいわれています。それだけに、娘のジュリーさんと結婚させたいと思っていたことに嘘はないかもしれませんが、ジュリーさんはマッチとはそりが合わなかったようですね」(同)
ちなみに、ジュリー氏が04年に結婚した一般男性・T氏は、藤島家に婿入りし、06年には嵐らを擁するレコード会社「ジェイ・ストーム」の取締役、さらにはグループ会社「アートバンク」の代表取締役に就任するが、2年後の08年にはどちらの役職からも、その名前が消えている。
「T氏は長い海外歴から英語はペラペラ。一部では高級外車やクルーザーをボンボン購入する放蕩ぶりも報じられましたが、実際はそこまで無茶苦茶な人物ではなく、ジュリーさんとの夫婦仲も悪くなかったといいます。しかし、メリーさんはT氏の仕事ぶりをまったく評価しなかった。事実上の追放だったと伝わっています。結局、09年にはジュリーさっmとの離婚が成立していますから、結婚生活は5年もなかったようですね」(同前)
こう見ていくと、ジュリー氏の人生は母・メリー氏によってコントロールされ続けてきたように思えてくる。
「かつてジュリーさんは、『家にいるのが何より嫌い。
ジャニー氏は、87歳で人生の幕を閉じたが、メリーもすでに92歳。頼りになる叔父、実母がいなくなったとき、果たしてジャニーズの巨大なパワーを御せるだけの胆力はジュリー氏に備わっているのだろうか。
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