世間を戦慄させた事件の犯人は女だった――。平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。

自己愛、欲望、嫉妬、劣等感――罪に飲み込まれた闇をあぶり出す。



 顔が大きいことを気にしていたというが、本人が思うほど大きくは感じない。むしろ、整形を経たとはいえ、目鼻立ちのはっきりした顔立ちは、ノーメイクでも際立ち、人目を引く。だが上下黒のジャージに、うつろな表情でうつむき、刑務官に縄を引かれ、足を引きずるように入廷するその様子には、憂鬱さしか漂っていない。かつて新宿2丁目でバーを複数経営し、行く先々でピンクのドンペリを開けて飲み歩いていたという華やかな生活の片鱗は、どこにも探すことができなかった。

【第4回 品川同性愛者殺人事件】

 スナック経営者の鈴木友幸(ゆうこ・当時39)が遺体となって発見されたのは、2005年4月のこと。大家から家賃滞納の連絡を受けた母親が、東京都品川区西五反田の自宅マンションを訪ねた際に、変わり果てた娘の姿を見つけた。胸や腹などを18カ所刺されており、死後1カ月が経過していたという。

「玄関で娘が布団をかぶってうつぶせに寝てました。酔っ払って寝てるのかと思って布団をバッとめくったら……死んでました。髪の毛に血がべったりついていて固まっててね」

 泣きながら母親は、さらにこう続けた。

「娘はいつも『みんな嫌うけど、そんなに悪い人じゃないよ』って前田をかばっていたのに。

なんで殺されたのか、早く本当のことが知りたい……」

 鈴木さんの家からはクレジットカードが紛失しており、これを鈴木さんの死後、使われた形跡があった。また、事件までこのマンションに同居していた“前田”が、同年3月下旬から4月上旬にかけて複数の知人に「もう戻れないことをした」「鈴木さんを刺してしまった」などと打ち明けていたことから、警視庁はこの“前田”を犯人と断定。全国に指名手配した。

 “前田”と母親が呼び捨てにしていた人物は男性ではない。鈴木さんの恋愛対象は女性で、指名手配された前田優香(事件発生当時41)とは恋人関係にあった。2人の出会いは事件からおよそ2年前。優香はこの頃、やぶれかぶれだった。だがそこから遡ること10年ほど前、新宿2丁目でバーを経営していた頃は羽振りが良く「3000万円から4000万円ぐらいなら好きに使える」と豪語していたこともあった。酒が好きな優香は、一晩で10万円近くの飲み代を払うこともザラだったという。

「彼女と知り合ったのは、彼女が新宿2丁目でスナックのママをしている頃でした。派手な帽子をかぶり、顔立ちが魔女に似ていることから、店では『魔女』と呼ばれていました。大原麗子と岩下志麻が好きだったらしく、2人の名をとって『大原志麻』などと名乗ったこともありました」(優香を知る男性)

「いつもシャネルのスーツとかブランドの服を着てゴージャスなイメージでした。
男性からも女性からもモテる人でしたね。当時、彼女が岩下志麻の大ファンだったので、愛称は志麻ちゃん。いつもピンクの大きな帽子をかぶっていて『帽子の志麻』と呼ばれていた時期もあった」(元従業員)

「志麻ちゃんは酒飲むと手がつけられなくてね。酒が入ると男女問わず『なんだこのやろう』って胸ぐら掴んだり喧嘩売ったりしてた。いつも羽根のついた帽子をかぶって、ドレスみたいな服を着ているのに酒乱なもんだから2丁目周辺では結構な有名人だったわ。でもまさか人殺しで指名手配されるなんてねぇ」(2丁目のバーの店員)

 派手な帽子と高級ブランドの服に身を包み、飲みに行けばピンクのドンペリを開ける優香は、かつて新宿2丁目で羽振りの良さとその奔放さが目立っていたが、ある日を境に、この町から姿を消した。当時付き合っていた男性から金を騙し取られて生活にも事欠くようになったのだ。店を手放したのちの優香は、五反田でデリヘル嬢として働きながら、新たな交際相手の男性から小遣いをもらう生活をしていた。



 借金を背負い、アルコールと睡眠薬に依存するようになった優香は、ある日過呼吸の発作を起こして倒れ、生まれ故郷の広島に住む親戚の元に引き取られていた。ところが親戚との関係が悪化し、再び上京。そんなとき、鈴木さんが店長をしていた品川区・武蔵小山のスナックに客としてふらりと訪れた。これが全ての始まりだ。


「鈴木さんは20年近くこの界隈のスナックで勤め、事件の3年前に独立。店長となって始めた飲食店では男装して接客をしていました。彼女はがっちりした体格でとてもボーイッシュ。常にスーツとネクタイ姿でした。気に入ったお客さんにはお酒を盛ったり、人生相談にも乗ってあげるなどきっぷが良く、お店はいつも繁盛してましたね」(武蔵小山のスナックのママ)

 精神的な不安から痩せたり太ったりを繰り返していた優香は、鈴木さんと出会った頃、太り気味だった。それまでいつも周囲からチヤホヤされていたのに、40歳も過ぎ、見向きもされなくなるんじゃないか……と不安になっていたところに、鈴木さんから求愛される。女性とは付き合ったことがなかったが、自信を失いかけていた優香に鈴木さんのまっすぐな思いは響き、出会って2カ月たたないうちに交際を始めた。

「店では1人でよくワインを飲んでましたが、時にドンペリも開けていた。『いいお客がついたね』なんて話していたんですが、そのうち客と喧嘩するわ、従業員を怒鳴るわ、酔っ払ってやりたい放題」(元従業員)

 豪快に金を使い、豪快に飲む彼女は、最初でこそ受け入れられるものの、次第に皆が眉をひそめ始める。だが惚れた弱みか、そんな優香を、鈴木さんだけがかばっていた。ほどなく優香は鈴木さんのマンションに転がり込み、一緒に住みながら、店を手伝うようになった。



 優香はそれまでアルコールにも溺れていたが、男にも依存する人生を送ってきた。
父親は広島で飲食店を経営しており、裕福な家のお嬢様として育てられた。教育熱心な母親は、優香にしこたま習い事をさせた。そのおかげか優香の成績は上位をキープしていたが、母親は教育熱心なだけではなく、感情的でもあった。

「自分の思い通りにならないと手がつけられなくなるような性格で、しょっちゅう殴る蹴るの暴力を加えているのを見ていた。その暴力があまりにひどいので、遠巻きに見ていた腹違いの兄や、飲食店の従業員らが止めに入るほど」(親戚談)だったという。その後、景気の悪化とともに、父の事業も傾き始めたが、このとき母親が会社の金を脱税したことが決定打となり倒産、一家は没落していく。

 そして冒頭の、07年9月の東京地裁。彼女は母親との関係を、こう振り返る。

「小さい頃は、絵画、ピアノ、バレエ、日本舞踊、英会話……たくさんのお稽古ごとをやらされていました。母のしつけは厳しかったです。ブラシやスリッパで叩かれたり、父のいない時には殴ってきたり……怖かったです。その反面、お金や服には不自由しませんでした。
父が死んだ後、母は私の名義でいろんなとこに借金したので、私が借金を背負わされました。それを知ったのが30歳くらいのとき……母に愛されているとは思っていませんでした」

 母親の愛情を男と金、そして酒に求めたのか。上京後の大学生時代は、妻子のある男性と付き合い、実家に戻ることはなかった。その男性からは金銭的な援助も受けていたという。その後も、別の男性の愛人として生活したり、ホステスとして銀座で働いたり、貸金業をやるなどして、新宿2丁目でのバー経営へと至っていた。店を失い、武蔵小山の店で出会った鈴木さんと交際を始めたときも、金銭的援助をしてくれる愛人がいた。

 40歳を過ぎて外見的な自信を失っていた自分を愛してくれた鈴木さんに対して、優香は、自分のこうした“男への依存”をとても告げることはできず、ひた隠しにしていた。これが綻びを生む。

(後編につづく)

編集部おすすめ