「サンデー毎日増刊 おめでとう眞子さま 小室圭さんとご結婚へ 眞子さま 佳子さま 悠仁さま 秋篠宮家の育み 2017年 9/30号」(毎日新聞出版)

 皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。最近では、女性・女系天皇論争の皇位継承者問題や秋篠宮家の長女・眞子さまの婚約者・小室圭を巡る一連の騒動などが注目されているものの、実は、こんなのは大した騒動ではなかった……? 「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な天皇家のエピソードを教えてもらいます!

皇女の結婚が難しい理由と、“過熱報道”が出るワケ

――2017年9月に、秋篠宮家の長女・眞子さまと小室圭さんが婚約内定会見を行ったものの、18年2月に宮内庁から「20年まで結婚延期」が発表されましたね。

ご結婚に関する一連の騒動は、いまだにネット上や週刊誌でも賑わっていますが、昔から皇女の結婚は、難しかったのでしょうか? 

堀江宏樹(以下、堀江) そうですねぇ……。秋篠宮さまは「娘からは何も聞いていない」、眞子さまは「父には話していません」と、両者ともに一歩も譲らず膠着状態。小室さん、小室さんの母親のプライバシーが、次々と暴かれ大きな騒動に発展した一方で、高円宮の三女・絢子(あやこ)女王殿下は、「一般男性」とご結婚なさいました。眞子さまたちよりも後から発表でしたが、こちらのお二人は18年8月に結納にあたる「納采の儀」が “スムーズ”に執り行われましたね。

――お相手の男性は日本郵船にお勤めですし、経歴も申し分ない。さらに、海外の子どもたちを支援するNPO法人「国境なき子どもたち」の理事を務めているなんて、ほんとに非の打ち所のない方です。

堀江 しかし、小室さんのケースは失礼ながら、その反対……。上皇陛下の孫であり、「女王」より格上の存在である「皇女」眞子さまの結婚相手なのに、収入が不安定な上、身辺も叩けばホコリが出まくる。そんな小室さんに対して、「皇女の結婚相手にふさわしくない」といった意見が目立つ気がするんです。あくまでも、一人の歴史エッセイストとしての見解にすぎませんが、古代日本から続く、皇女は“結婚しづらい”という「伝統」に加え、皇女の配偶者となる男性に対する世間の厳しく、冷たい眼差しが原因から、あのような過熱報道も出ているんだろうなぁと思います。

「納采の儀」めぐる歴代皇女の悲劇から見る、眞子さま“婚約”の懸念材料【日本のアウト皇室史】
鷹司平通氏と孝宮和子さま(不詳 [Public domain], via Wikimedia Commons

――それでも、ご本人たちの意思があっての結婚のはずなのですが……

堀江 そうなんですよね。ネットでは、「別れさせろ!」といった声もあるようですが、人権問題に熱心な現在の皇室、そして秋篠宮家としては仮に猛反対だったとしても、「小室さんはダメ!」なんて口が裂けても言えないんでしょう……。

――もし、眞子さまが晴れてご結婚! となりますと、秋篠宮家から離脱し、皇族ではなくなりますよね。

堀江 その通りです。現時点で、女性宮家は存在しません。眞子さまは一般市民となった後も、元・皇女として品格を守った生活を送ることを義務付けられているために、1億円を超えると言われる多額の持参金を持って結婚する予定です。しかし、その持参金が世間的に一番ダメなんでしょうね……。

――小室さんはアメリカの法律学校に留学していますが、「僕は弁護士になるとは言っていない」などの報道もあります。

一般人のレベルでも「ホントに私は、この人と結婚してよいのか……」と、迷ってもおかしくはないかも。

堀江 人の恋路を邪魔するのは無粋だとはわかっていても、外野が「眞子さま、危ない男!」って警鐘を鳴らしたくなるんでしょうね。あと、皇族には“歴史”という名のデータの蓄積があるんです。結婚によって不幸になった皇女のエピソードはそこまで多くはないはずだけど、パンチが効いた話はいくつかありますよ。

――眞子さまには、お幸せになっていただきたいですが……皇女にまつわる不幸なエピソード、とっても気になります。

堀江 比較的、最近の話になりますが、1950年のことです。

「天皇家から一般家庭への初の嫁入り」として話題になった「ある名門」の御曹司と、「ある皇女」の結婚は、悲劇的な終わりを迎えました。その御曹司が、銀座のバーでマダムを勤める女性のアパルトマンで、彼女と一緒に裸に近い格好で死んでいるのが発見されてしまったのです……。

――ひえー。サスペンスドラマな出来事があったとは。

堀江 「ある皇女」というのは、昭和天皇の三女にあたる、孝宮和子(たかのみや・かずこ)さん。ただ、「一般家庭」といっても、五摂家(鎌倉時代に成立した藤原氏嫡流で公家の家格の頂点に立った5家)の一つ、「鷹司家」への嫁入り。

わかりやすくいえば、トップクラスの高い身分を誇る公家で、戦後に華族制が廃止されたため、平民に「格下げ」になった旧華族の家へのお嫁入りということになります。

 昭和23年に学習院専修科を卒業した和子さんは、鷹司平通(たかつかさ・としみち)氏との結婚が決まっていました。昭和天皇の「嫁入り前に“一主婦”としての教育を受けさせたい」という強い意思によって、和子さんは嫁入り教育を受けることになります。昭和天皇の元・侍従長の百武三郎(ひゃくたけ・さぶろう)さん、そして彼の家族たちと千代田区・紀尾井町の宮内庁官舎で1年も同居し、掃除・洗濯・料理からお買い物に至るまで“超実践的”な訓練を受け、準備に準備を重ねて嫁ぎました。

――婚活市場でよく聞く「家事手伝い」とは違い、きちんと準備をなさったのに……。

堀江 鷹司さんの死は、和子さんのショックも考え、事故死として処理されました。

参考文献にした『侍従長の昭和史』(朝日新聞社)にもはっきりと「事故死」と書いてありますが、当時の日本中は、それがいわゆる“忖度”であることに、勘付いてしまっていたようです。

「納采の儀」めぐる歴代皇女の悲劇から見る、眞子さま“婚約”の懸念材料【日本のアウト皇室史】
堀江宏樹さん(撮影:竹内摩耶)

――和子さんが“普通”の主婦として頑張っても、鷹司さんは“元皇女”の夫であることにプレッシャーを感じてしまったんですかね。

堀江 芸能人の離婚報道もそうだけど、夫婦のことは結局本人たちにしかわかりませんが……。和子さんのほかにも、結婚後どころか結婚前から不幸になってしまったケースがありますよ。江戸時代の話ですが、八十宮(やそのみや)、のちの吉子内親王の話とかね。彼女は生後すぐ、数え年で当時7歳(満年齢で6歳)だった七代将軍・徳川家継と婚約しました。

――わかりやすい政略結婚! とツッコミたいところですが、それよりも二人の年齢に驚きました。だって、赤ちゃんと幼児じゃないですか!

堀江 そうなんです。しかし、家継は一般の結納にあたる「納采の儀」を行った直後に死亡してしまいました。また、皇族が「納采の儀」を行った場合、結婚したも同然ということになるので、結婚生活は始まっていないものの、八十宮は1歳7カ月にして未亡人になりました。

――「納采の儀」といえば、秋篠宮さまが眞子さまと小室さんには許可できないといって、話題になりましたよね。

堀江 古来、日本の上流階級は「女は二夫にまみえず」という、儒教的な考えを重んじていました。つまり、「女性は再婚しないこと」が理想とされていたんです。そのような考え方から、八十宮は納采の儀を済ませていたこともあり、独身として一生を過ごしました。婚約後、相手のアラに気付き、結婚前に破棄すればギリギリセーフなんて、世間の常識は皇女には通用しませんし、秋篠宮様が、眞子さまと小室さんの納采の儀を許可しないのは、伝統と歴史に配慮なさってのことかもしれませんね。

――そのほかに、「納采の儀」を行った後に、悲しい結末を迎えられた方はいるんですか?

堀江 江戸時代末期の話ですが、明治天皇の父君・孝明天皇の異母姉にあたる淑子(すみこ)内親王という方がいました。この方は「納采の儀」を済ませた後、結婚前に婚約者を失ってしまい、未婚のまま生涯を終えたんです。彼女もまた、男性の都合により結婚がかなわなくなったのにもかかわらず、「女は二夫にまみえず」と昔ながらのルールが優先された。ただ、それではあまりにむごいということで、当主が不在のため途絶えていた、桂宮家の当主の座が特例として用意され、日本史上唯一の女性当主が誕生したんです。

――現代の感覚からすると、結婚・再婚するのも、しないのも個人の自由っていう感じがします。皇女とはいえ一人の女性ですし、伝統だからといって、“選択”する自由や権利がないことは、とてもかわいそうですよね。

堀江 たしかに。皇室の女性たちの結婚事情は歴史を通じて、けっこうシビアなのです……。眞子さまと小室さんのカップルがどうなるのか、まったく予測が付きませんが、お二人にとって一番よい結果となると良いですね。

 次回は、海外の皇女の結婚事情について、お話します!

堀江宏樹(ほりえ・ひろき)
1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。2019年7月1日、新刊『愛と欲望の世界史』が発売。好評既刊に『本当は怖い世界史 戦慄篇』『本当は怖い日本史』(いずれも三笠書房・王様文庫)など。
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