世間を戦慄させた事件の犯人は女だった――。平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。
第9回:ドン・キホーテ放火事件
埼玉県さいたま市緑区。国道463号線と県道1号線がぶつかる花月交差点付近にあった「ドン・キホーテ浦和花月店」から火の手が上がったのは2004年12月13日、夜8時過ぎのことだった。カラッとした冬晴れが続いていたなかでの火災は、商品が天井近くまで積み上げられているドン・キホーテ特有の“圧縮陳列”という事情も重なり、みるみる拡大。約2,300平方メートルの店舗が全焼した。これにより同店に勤務していた店員3人が死亡、8人が重軽傷を負うという大被害をもたらした。
火災は一度では終わらなかった。
全焼した「浦和花月店」からは防犯カメラの回収もできない。
52万円分のドン・キホーテ万引き犯
その帽子をかぶった女は、当時47歳の渡辺ノリ子。前月18日に「ドン・キホーテ大宮大和田店」でバッグ類を盗んだとして窃盗容疑で現行犯逮捕されていたが、犯行当時の精神状態を調べるために行われた簡易鑑定で「心神耗弱状態で責任能力なし」とされ、処分保留で釈放されていた。このとき盗んだものは、ボストンバッグと男女用の外国製高級腕時計一組、ジャンパー、買い物かごの計52万円相当。
その2日後に「大宮大和田店」で起こった火災の際には、火元にタバコの吸殻4本が落ちていた。これを鑑定したところ、吸殻に残されていた唾液のDNAが、ノリ子のものと一致。防犯カメラに残された映像には、ノリ子の万引きの様子も映っていた。
「大宮大和田店」の出火場所、寝具売り場から10メートルほど離れた時計売り場。ノリ子が店員に何かを話しかけると、店員はショーケースから腕時計を出してきた。
「ちょっと相談してくるから待ってて」
こう告げて、いったん腕時計の前から離れるノリ子。すると別の防犯カメラに、腕時計売り場の角を曲がって寝具売り場にやってくるノリ子が映り込む。その直後、煙が上がり、ノリ子は寝具売り場を立ち去った。再び、腕時計売り場のカメラに映り込むノリ子。煙に気づいた店員がショーケースを離れた直後、素早く腕時計を持ち去る。出入り口付近のカメラには、その腕時計などが入った買い物かごを持ったまま店外に立ち去る様子も捉えられていた。
この窃盗容疑で勾留されたノリ子に対しては、取り調べが進められ、最終的に、1件の非現住建造物等放火、6件の非現住建造物等放火未遂で起訴された。ノリ子は、「浦和花月店」全焼と「大宮大和田店」2件の火災だけでなく、別のボヤ事件も起こしていたのだ。
その日、「ドン・キホーテ浦和花月店」への放火に及ぶ直前、スーパー「北浦和サティ」に赴いたノリ子は18時40分ごろ、1階女子トイレでジャンパーに火をつけ、仕切板などを燃やした。さらに同店で19時10分ごろ、2階トイレで油類を染み込ませた紙に火をつけ、また仕切板などを燃やす。
そのあと、2軒のドン・キホーテに火を放ったのち、2日後に逮捕の契機となる「ドン・キホーテ大宮大和田店」での放火事件を起こす。さらにその足で、17時45分ごろ「イトーヨーカドー大宮店」の1階女子トイレでトイレットペーパーを燃やした後、2日前にボヤを起こした「北浦和サティ」に舞い戻り、1階女子トイレでガソリンを染み込ませたティッシュに火をつけ、仕切板などを燃やした。
数日の間に、ドン・キホーテとイトーヨーカドー、サティに火を放ち続けた。連続放火に終止符が打たれたのは、ノリ子が逮捕されたためだ。
万引きとセットになった放火を繰り返したノリ子は、福島県で生まれ、埼玉県の中学校を卒業後、1976年から、ドン・キホーテ放火事件を起こす2004年までの28年間をさいたま市内の整形外科医院で看護助手として勤務していた。元同僚は、ノリ子をこのように語る。
「おとなしくて目立たない人。トラブルを起こしたという話もなく、勤務態度は真面目だった」
ところが、同医院を9月1日に退職すると、生活が乱れ始めたという。定職につかず、交際していた男性の実家や元夫の自宅などに身を寄せて生活するようになった。退職直前には、三度目の離婚をしている。
奇怪な行動も目立ち始めた。退職直後には、交際していた男性宅の玄関ドアにマヨネーズをかけた器物損壊容疑で逮捕されていた。
「交際相手とのトラブルが絶えなかった。執拗に電話をしたり包丁を持ち出すこともあった」と、知人は語る。同僚には“おとなしくて目立たない人”と評されていたノリ子だが、恋愛においては、こうした面があった。ところがそれも、始まりは98年当時に結婚していた元夫が抱えた多額の借金が引き金だという見方もある。この頃から夫婦仲が険悪になり、ノリ子の性格も「ひどく怒りっぽくなった」といわれる。
――後編は2月9日公開