日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。5月31日は「家族のカタチ ~ふたりのお母さんがいる家~」というテーマで放送された。

『ザ・ノンフィクション』二人の妻を持つ男の「自由」とは「家族...の画像はこちら >>
『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)公式サイトより

あらすじ

 佐賀県の山あいの、かつて料亭だった「ポツンと古民家」には9人の大家族・西山家が暮らしている。父・嘉克、母・ゆかりと裕子、そして6人の子どもたち。西山家には母親が二人いる。嘉克は「書道アーティスト」だ。ゆかりは嘉克を好きになり2012年に二人は結婚するが、そのわずか8カ月後に嘉克はゆかりに、仕事の助手である裕子のことも好きになったと告白し「理想を言うと、裕子さんとゆかりさんとさらに幸せな道を一緒に実験したいけど、どうかな 」と仰天の提案をする。

 話し合いやケンカの末、嘉克はゆかりとも裕子とも現在は籍を入れず事実婚の形で一緒に暮らしており、子どもたちは嘉克さんの戸籍に入っている。ゆかりや裕子は、このことをきっかけに実家の親とは折り合いが悪くなっているし、ゆかりと裕子の間には、かつて互いに嫉妬や葛藤もあったというが、互いが自宅出産で介助するなどして、現在はこの家族の形態を受け入れているという。

二人の妻を持つ嘉克、どんな男なのか

 まず「妻二人」を成立させる嘉克の男ぶりについて報告したい。顔立ちはなかなかのイケメンだ。「街で見かけたら振り返ってしまう」レベルではないが、バーなどで座っていたら「へえ、イケメンがいるなあ」くらいには思うほどではある。

 嘉克は39歳だが、中年太りとは無縁ですらっと細身、毛髪の不安も見る限りなく年齢よりずっと若く見える。「お父さん」というより「お兄さん」という感じで、39歳、6人の子持ちでこれはなかなかすごいのではないだろうか。一方で、これは日常の苦労を二人の妻、特にゆかりに押し付けているから、若々しさを保てているのでは……、と思うと素直に称賛し難い。

 嘉克の仕事は書家であり、インスピレーションを詩にしたためるという、相田みつをのような仕事をしている。男性の場合、仕事の才能で女性をメロメロにする「才能萌え」路線もある。もともと姿かたちはイケてるほうである嘉克の「仕事ぶり」が良ければ、鬼に金棒だろう。

 嘉克の書道アーティストとしての書や詩の才能はどうなのか。番組では、出張先で客に即興でしたためた嘉克の詩が紹介されていた。あいにく書体は紹介できないが、内容だけお伝えしたい。

「人生色々あるけれど
日々色々あるけれど
それでも全部
いい思い出に
笑い話に変わっていく。
私たちの幸せって
きっとそういうこと
なのかもしれない。」

 いかがだろうか。書にも詩にも疎い私は、居酒屋のトイレによく置いてある作品だな、以外の感想が出なかったが、この詩をしたためられた女性二人組は、詩が読み上げられると、最後は「堪えきれない」様子で涙をぬぐっており、世の中には私が思いもよらないニーズがあるのだと気づかされた。

 嘉克はこういった詩をしたためる全国行脚をして、それで子ども6人を食わせている。私は嘉克のことを男、父親、夫としてどうかと疑問を抱くが、相田みつを的なことで一家を食わせているのだから「フリーランサー」としての力量は尊敬する。


 今回の「父一人母二人の一家」というテーマは、視聴者が何か言わざるを得ない、ほかの人がどう考えているのか知りたいなど、多くの人をザワつかせ、イライラさせていた。

私も予告時点で「イラつき回」が来るぞと気が重く、覚悟の上で視聴したが、同じく『ザ・ノンフィクション』のイラつき回として名高い「漂流家族」シリーズほどのしんどさはなかった。

 その違いは、子どもに与えられている環境の安定だろう。「漂流家族」は、“ビッグマミィ”ことタレント・美奈子の離婚や再婚によって、父親が変わったり、生活環境に落ち着きがないが、嘉克らの生活は安定している。ただ、そうであっても、「漂流家族」よりはまだいいという程度で「新しい家族の形、こんな家族があってもいいんじゃない?」とまでは思えなかった。

 断っておくが、私は個人に対し、「それまでの社会通念に合わせた生き方」を強いる人はデリカシーがなくて嫌いだ。「正社員になれ」「恋人はいないの」「早く結婚すればいいのに」「子どもを持ったら」などなど、大きなお世話だと思う。

なので、個人が社会通念から外れた生き方をするのは、法に触れなければ別にいいんじゃないの? とは思う。「複数人を好きになる」もそうだ。一方で、これは「個人」に対してであり、「親」が社会通念から外れた生き方をするのは、まったく話が別に思える。月並みだが、子どもがかわいそうだと思ってしまう。

 美奈子のうちも、嘉克のうちもそうだが、子どもが小さい幼児の頃は、子ども自身楽しそうだったりする。子どもが大勢いるから、毎日が親戚の家に行った夏休みのように遊べて本当に楽しいのだろう。

 しかし、美奈子の家も嘉克の家も、子どもが思春期以降、急に大人びて見えて、それがつらい。こちらの勝手な印象だが、子どもたちは思春期を諦めて「大人にさせられる」ようで、親が自由を追求する代償を、子どもの思春期で支払っているように見えるのだ。

 親自身が、社会通念に従わないというある種の「子どもっぽさ」を備えているのだから、思春期を迎えた子どもをどうしていいのかわからないところも、あるのかもしれない。子ども時代の最後である思春期に、親に子どもらしく甘えることができず、早飛ばしで大人にさせられる「自由な親の子どもたち」は、どういう心境なのだろう。私は社会通念を逸脱する個人に対しては、特になんとも思わないが、社会通念を逸脱する親については、とてもモヤモヤする。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は『生まれてくれて ありがとう ~ピュアにダンス 待寺家の17年~』。待寺家の息子・優はダウン症と診断される。取材班が待寺家と出会ったとき優は13歳。彼が30歳になるまでの家族の記録。