いきなりだが、「日本人の祖先はいつ、どこから来た?」と訊かれたら、あなたはどう答えるだろうか?

 この根源的な疑問に昨年、新理論で答えを出した研究者がいる。国立科学博物館の人類史研究グループ長、海部陽介氏だ。

 我々人間が、ホモ・サピエンスという一種の人類であることはご存じの方も多いだろう。そのホモ・サピエンスはアフリカで生まれ、世界中に広がったのだが、日本にやってきた時期やルートははっきりしていなかった。

 海部氏の著書『日本人はどこから来たのか?』では、この道のりについての新説が切れ味鋭く語られている。その謎解きはまるでミステリのようだ。

「日本の遺跡は改めて吟味すれば、世界に例を見ないほど充実しています。初期のホモ・サピエンスが活動していた旧石器時代の遺跡は1万ヵ所以上ある。

そして、そのほとんどが、3万8000年前以降に爆発的に現われているのです。これは、我々の祖先が3万8000年前に到来したとしか考えられません」(海部氏)

3万8000年前、日本人は
「船」で日本にやってきた

 本州には3万8000年前、沖縄列島には3万年前に祖先が現われた。彼ら「最初の日本人」たちはどうやって到来したのか?

 その方法は「航海」だった。これは海部氏が初めて明確に指摘したことだ。

 実は日本の学界では、沖縄列島が大陸とつながった「陸橋」になったときがあり、その際に人間が歩いてきた……という常識が根強くあったのだが、当時の海面の高さの研究などから、その定説はくつがえされたのだ。

「4万~3万年前は今よりも寒く、海水が極地で凍りついて海面が下がっていたのは事実です。

しかし最新の研究では、日本への“入り口”になった対馬や、日本最西端の与那国島も、まったく大陸とつながってはいなかったことがわかりました。皆さん旧石器時代の人と言うと、『はじめ人間ギャートルズ』ではないですが、山の中などにいるようなイメージが強いですよね。しかし意外なことに、最初の日本人は舟でやってきたのです」(海部氏)

 航海という意外な行動について、さらなる証拠もあるという。

 彼らが当時好んで使っていた石器の材料に、黒曜石という石がある。黒曜石は分析でその産地がわかるのだが、本州にある3万7500年前の遺跡から、伊豆の神津島の黒曜石が見つかったのだ。

 これが意味するのは、最初の祖先たちは、日本にやってくるとすぐに、便利な黒曜石を探して伊豆の沖まで海を渡っていたということ。

 明らかに彼らは、日本にやってきた時点で舟を使いこなし、石器の材料を探し、海運する「経済活動」をしていたというわけだ。

台湾から与那国島までを
実際に航海する実証実験を準備中

『日本人はどこから来たのか?』では、日本への3つの進出ルートが明らかにされていくが、ハイライトのひとつが、台湾から与那国島への「沖縄ルート」の航海だ。

 おそらくは草を編んだ舟で、黒潮の強い流れを横切り、遠すぎて見えない目的地・与那国島まで、漂流ではなく「航海」した。当時の世界では最難関の偉業をなしとげた遙かな祖先がいて、我々がいる。

 今、海部氏は、その航海の実証実験を進めている。博物館を出て、3万年前の舟を実際につくり、台湾から与那国島への旅を再現しようというのだ。

「著書で紹介したように、アフリカから日本までの道のりの新説を組み立てることはできましたが、まだまだわからないことも多い。日本の入り口への航海を実際に再現してみることで、理論の“ゴール”部分を確かめる。さらに、祖先の行動や気持ちを追体験できれば、彼らがなぜそこまでして新天地を目指したのか、わかってくることがあるのではないかと思っています」(海部氏)

 実はこの「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」は、2000万円の資金をクラウドファンディングで募集することでも話題だ。科博のような知名度のある機関による、これほどの規模の学術研究でのクラウドファンディングは恐らく日本でも初めて。定説をくつがえす理論、冒険的な実験、その方法論も初挑戦と、「博物館」の保守的なイメージとは違って、まさにチャレンジだらけの研究だ。

 日本の研究者も、まだまだ頑張っているのである。

 クラウドファンディングはREADYFORにて、2月9日から4月12日まで募集している。
https://readyfor.jp/projects/koukai