全国の多くの小学校では、夏休みも今日で終わり! 君はもう、宿題は終わらせたかな?
え、まだ自由研究が終わっていないって?
だいじょうぶ。そんな君のために、このエキサイトレビューでは、一日でできる自由研究のテーマをいくつか用意してみたよ。

なかには、先生からほめられるどころか、ヒンシュクを買いそうなものもあるかもしれないけれど、そこは選ぶ君の“じこせきにん”ということで、よろしくね!(“じこせきにん”の意味は、まわりのおとなに聞いてみよう)。

●一日における体重の変化
運動をするとカロリーが消費されて、体重が落ちるとはよく言われますが、はたしてすぐに効果があらわれるものなのでしょうか。あるいは、一食たべるとどのぐらい体重が増えるものなのか?
この研究では、一日に何か行動するたびに体重を量ります。
たとえば
「朝、起きたとき」
「朝・昼・晩、食事をとったあと」
「お腹が空いたとき」
「昼寝をしたあと」
「運動をしたあと」
「運動をして30分あと」
「家の人の持っているダイエット器具を使ったあと」
などが考えられます。ここにあげた全部をやる必要はありませんが、こまめに量ったほうがより正確なデータをとれることはたしかです。
データをとり終わったら、それを折れ線グラフにします。
体重が運動をしたら10キロ落ちたとか、そんな極端な変化はないはずですから、目盛りは大きくとったほうがわかりやすいでしょう。
さて、どんな結果が出ましたか? グラフをつくったら、「まとめ」として、気づいたことなどを箇条書きしてみましょう。

●○○○円で行ける日帰り旅行プラン
ひと昔前なら、旅行のプランを立てるというと、時刻表や旅行ガイドなどと首っ引きになったものですが、いまではネットのルート検索という便利なものがあります。
そこでルート検索を使いながら、5000円以内とか1万円以内とか交通費を決めて、その範囲で行ける日帰り旅行のプランを立ててみましょう。
単に電車やバスに乗る時刻を順に書いていくのもいいですが、ネットで情報を集めて、行く場所について簡単な紹介をつけてみるのもいいでしょう。
さらに、上級者向けにもうひとつ。
日本には、となりどうしの県なのにほかの都道府県の大都市に出たほうが、かえって短い時間で移動できるというところが意外とあります。
たとえば、九州の宮崎県は、県の交通の中心を宮崎空港に置いているので、となりの熊本県などに出るばあい、目的地や時間によっては東京の羽田空港まで出て、そこから熊本方面の飛行機に乗り換えたほうが早く着いたりするといいます。
余裕のある人は、そんな例をネットのルート検索などを使って、見つけてみてください。そのとき、結論として、「日本の交通体系はあまりにも東京を中心につくられているように思います」ということを書くと、先生も感心するはずです。

●「県弁」を考えてみよう
この記事を書いているおじさんは、小学校の社会科の時間によくケンベンを課題に出されました。
ケンベンといっても検便ではありません。
都道府県の弁当、つまり「県弁」です。駅の弁当を駅弁と呼ぶのと同じですね。
あなたの住む県だとか、またはこの夏休み中に出かけた県でもいいので、あなたの好きな都道府県を選んで、そこの名産品でお弁当をつくってみましょう。食べ物だけでなく、オマケや弁当箱に凝ってみるのもひとつの手です。たとえば、石川県の弁当なら、箱が輪島塗だとか、そんな感じで。
ちなみに、おじさんの住んでいる愛知県の弁当を考えてみたところ、ひそかに収穫量が全国上位であるキャベツやフキなど、野菜が多くなりそうです。
それに、パック入りの赤味噌ダレをつけて食べる。オマケはトヨタ「プリウス」のミニカー……オマケはともかく、どうも地味ですね。
余裕があれば、実際に材料を用意して「県弁」をつくってみるのも面白そうです。

●オリジナルの妖怪をつくろう
マンガ家の水木しげるさん(妖怪研究家としても有名です)の半生をモデルにしたNHKのドラマ「ゲゲゲの女房」の効果もあってか、いまや妖怪ブームといわれています。そこで、あなたのオリジナルの妖怪をつくってみましょう。
妖怪のなかには、人間の弱さやだらしなさを反映しているものもいます。
たとえば「あかなめ」という妖怪は、風呂場が汚れていると現われるといわれています。
そこで、この夏休みを振り返って反省したいことを、オリジナルの妖怪を通して表現してみるというのはどうでしょうか。
たとえば、ゲームをちょっとやりすぎちゃったなと思った人は、「シバシバ犬」(ゲームをしすぎて、目をしきりにしばたたかせている犬)とか、そういう感じで自分の妖怪をつくればよいのです。
妖怪の絵を描いたら、その隅にでもそれを思いついた理由(自分の反省点)を書いておきましょう。

●川柳集を編集しよう
だいたいの新聞には川柳の投書欄があります。有名なところでは『毎日新聞』の「万能川柳」なんかがそうです。

あなた自身が川柳をつくる、というのももちろんいいのですが、ここでは、この夏の新聞の川柳欄から、自分の気に入ったものを選び、それを「川柳集」としてまとめてみましょう(家で新聞をとっていない、とっているけど残っていないばあいは、図書館で探してみてください)。
新聞の川柳欄ではたいてい、えらい先生がいちばんいい作品を選んでいたりしますが、そんなのは無視してかまいません。あなたなりの基準で選べばよいのです。
「川柳集」をどんなかたちにするかは、“編集者”としてのあなたの腕の見せ所です。紙は縦向きがいいのか横向きがいいのか、表紙はどんなものにするのか……たとえば、半紙をつかって筆で書き写すとか、いろいろ工夫してみましょう。
川柳をならべてみると、この夏にどんなことがあったか振り返ることもできると思います。

●新聞と白地図を使え!
新聞にはあたりまえですが、たくさんの地名が出てきます。しかし記事を読んだだけでは、それがどこなのかわかるところって、地元でもないかぎり、すくないですよね。
国際面を読んでいても、せいぜいわかるのはアメリカや中国、韓国ぐらい、ヨーロッパともなるとそれぞれの国がどこに位置するかというのは、案外おとなでもよく知らないものです。
そこで、ある日の新聞(8月31日の新聞でかまいません)の国際面の記事と、白地図を使ってこんな研究はどうでしょうか。
まず国際面に載ったニュースを起きた国ごとに分類します。次にその記事を要約して、自分なりの見出しをつくってみましょう。その見出しを、白地図の上の当てはまる国の位置にならべていくのです。
見出しで示したできごとの起きた日時がわかるのなら、それも書きこむといいでしょう。できれば現地時間だけでなく、日本時間も調べてみるとおもいしろいですが。

世界の白地図はこちらから
日本の白地図はここにあります


●コラージュ作品をつくってみよう
むかーし、いまから50年以上前、リチャード・ハミルトンさんというイギリスの画家が、こんな作品を発表しました。タイトルも、「一体何が今日の家庭をこれほどに変え、魅力あるものにしているのか?」と、かなり変です。
じつはこれ、ポスターやチラシなどの印刷を切り抜き、貼り合わせてひとつの作品にしたものなのです。こうやって作品をつくることを「コラージュ」といいます。
さて、この作品を参考にして、あなたなりのコラージュ作品をつくってみましょう。
たとえば、「わたしの理想の生活」と題して、マンションの広告チラシに載っている部屋の写真に、家電量販店のチラシから自分のほしい電化製品を切り抜いてならべてみるとか、いろいろできそうです。チラシ以外にも新聞や雑誌にはもっといい素材がありそうですが、切り抜くときはお家の人に聞いてからにしましょう。
切り抜いた素材は、できるだけそのまま使ったほうがいいのですが、貼りつけるとき、どうしても小さくしたい(または大きくしたい)素材があったら、コンビニなどに置いてあるコピー機を使いましょう。
コピー機の操作はちょっとむずかしいかもしれませんが、お家の人に手伝ってもらったりしながら、縮小(拡大)コピーしてみてください。
具体的に何センチに縮小(拡大)したいか考えているのなら、その縮小(拡大)する割合(パーセント)を計算しておき、コピーをとるときにセットすればよいのです。
 たとえば、15センチのものを6センチに縮小したいばあいは、6÷15=0.4で、0.4×100=40パーセント。反対に、6センチのものを15センチに拡大したいばあいは、15÷6=2.5で、2.5×100=250パーセントでセットします。

●「所在不明高齢者」年表
この夏は全国で、明治時代の初めや江戸時代生まれの人なのに、戸籍では「生存」のままになっているという事態が次々とあかるみになりました。
そんなお年寄りたちの生まれた年と、同時代のできごと、あるいは当時活躍した歴史上の人物の生まれた年や死んだ年などをならべて年表をつくってみましょう。
『朝日新聞』の記事にも年表が載っていましたが、Googleニュースで「所在不明高齢者」と検索をかけてみると、この年表にあがっている以外にももっとたくさんの例が出てきます。それを参考にするとよいでしょう。
また、年表の形式も、高齢者の生まれ年や歴史上のできごとなど、いくつかの項目に分けてならべると、見やすくなると思います。
ネットでは、所在不明の高齢者たちのことを「非実在高齢者」と呼ぶ人もいます。しかし、この人たちは、いま生きているかどうかはわからないものの、かつてたしかに実在したのです。
歴史はなにも、有名な人たちだけによってつくられたものではありません。無名のまま亡くなり、そのまま忘れ去られた多くの人たちも、さまざまなかたちで歴史にかかわってきたはずです。それを知るためにも、このような年表をつくることはけっして無駄ではないと思います。(近藤正高)