彼の二つ名は「落とし神」……。主人公の神がかった潔さが話題を呼んだマンガ『神のみぞ知るセカイ』が、現在アニメ放映中です。

簡単にあらすじを説明しましょう。普段ギャルゲーばかりやっている少年の元に現れた悪魔エルシィによって「駆け魂狩り」と称される作業に巻き込まれます。駆け魂は心の隙間に巣食うもの、なので恋愛で心の隙間を埋めて駆け魂をつかまえるべく、ゲーマー少年桂馬はいやいやエルシィに付き合って、心に駆け魂を持つ少女達を恋愛でおとしていくというオムニバスストーリー。

本作が2008年のマンガ掲載時から各地で話題になり、アニメで人気が炸裂しているのには二つの重要な理由があります。一つは桂馬が「落とし神」と呼ばれるほどにギャルゲーの攻略に長けていること、そしてもう一つは彼が全く現実の少女に興味を持たずゲーム少女しか愛していないことです。
とにかく飛び出す名言の数々。
アニメでも再現されているので少し見てみましょう。

「僕が好きなのはゲームの女子だけだ。現実(リアル)なんてクソゲーだ!」(1話より)
言い切ったーーーっ! マンガ発表時にこのセリフが飛び出したとき、多くのサンデー読者が大騒ぎ。確かにオタク趣味のキャラというのは無数いましたが、結構イケメンなのに現実は相手にせず、クソゲーと切り捨てる力強さ! 二次元少女を愛する人達の拍手喝采を浴びました。

「僕はリアル女と手をつないだことすら無い! 僕の世界にはゲーム女子しか必要ない」(1話より)
彼はゲームしかしていないので周囲からは「オタメガネ」と呼ばれ女の子に相手にもされていないというのもありますが、相手にされないからゲームに走ったのではなく「ゲーム女子が好きだから現実を捨てた」という潔さ! 彼が心の底からゲームの少女を愛しているのが分かる一言です。

「ボクがリアルの話をしたことがあったか? 人間、決戦の場にあえて慣れない武器を持つだろうか? 決めたぞ、僕は今後もゲーム理論を信じて戦う。
いかなる現実にも!!」
(3話より)
駆け魂集めのため現実の女の子と恋をする、という慣れない仕事に対しての発言。主人公の立場として巻き込まれたら困惑するのは当たり前ですが、リアルの話なんてしたことないってさらっとめちゃくちゃ言ってない!? 確かに桂馬の話はゲームのことばかり、現実の話を一切していません。

「少しはゲームの女子を見習え」(1話より)
「世界はもっと厳密であるべきだ!」(2話より)
超理論構築型の少年ですが、厳密なのはいいんですよ。問題は桂馬のいう厳密=ゲームのルールなので、現実とはズレが出るということ。ゲームのような女の子になれ!と言われても、ねえ。無理です。
しかし桂馬は自分を一切曲げず、ゲームのルールに則って本当に女の子たちを攻略していくから、ものすごく痛快!

「今世紀はゲームアイドルの時代だ! 長い年月を経て、ついにアイドルは本来の語義『偶像』に到達した! 変質劣化と無縁なゲームアイドルこそ我々が求めていた存在だ!」(5話より)
すごい極論をさらっと言ってしまう桂馬さんマジ神さま。確かに人間のアイドルは年を取るから偶像(アイドル)ではないけれども、ゲームの中なら年を取らない裏切らない! ……なんか大事な物を捨てている感じがしますが。

マンガで出てきた名言はほぼ生かされ、アニメでは演出でさらにヒートアップしている桂馬語録。めちゃくちゃなセリフもありますが、ゲームを愛する人の気持をうまく代弁してくれるので非常に爽快です。よくぞ言ってくれた!

最後に、アニメ第4話のセリフを紹介しましょう。
「悪いヒロインなんていない。
悪いゲームがあるだけだ。ヒロインはゲームの中でいつも助けを求めているんだ! ゲームが壊れているからって見捨てられるか!」「僕が必ずこの子を救ってやる。」
(4話より)
バグだらけのゲームでクリアが出来ず誰もが放置した伝説のゲーム。それに挑む桂馬を描いた回で、単にバグゲーをクリアするだけの本編と全然関係ない話なんです。
しかし彼のこの叫び聞いてください。心からゲームを愛し、ゲームヒロインを愛する人の熱い思いが溢れている!

「神のみぞ知るセカイ」は、ゲームシステムで人間の少女を「ギャルゲ」理論で組み立てたトリックを使い、いかに恋におとすかを描く推理仕立てのシナリオが面白い作品です。しかしそれ以上に、マンガもアニメも徹底して「ギャルゲーをこんなにも愛しているんだ!」という強い思いが頂点にあります。
ギャルゲ脳と言われても構わない、むしろギャルゲこそリアルだろ! 
オラトリオ調の壮大なOPから始まり、無理を通して道理を引っ込ませる桂馬の揺ぎ無い姿勢を描いたこの作品、目が離せません。(たまごまご)