さて昨日の続きである。
『叫びと祈り』梓崎優
(内容紹介)
雑誌を発行する会社に勤務している斉木は、取材のため、サハラ砂漠を旅するキャラバンに加わっていた。
砂漠から採掘された岩塩を運ぶ「塩の道」を行く人々だ。道を少しでも間違えば、すぐさま死が訪れる。危険な旅路を、彼らは熟知していた。だがある日、襲来した砂嵐がすべてを変えてしまった。キャラバンの長が、天に召されてしまったのだ。墓標代わりにナイフを遺体の胸に突き立て、一行はその場を去った。
第2の惨劇は、その夜に起きてしまう。ケルプという男が、ナイフで刺殺されたのだ。間違いなく、殺人犯はキャラバンの中にいる。誰が、なんのために罪を犯しているのか――(「砂漠を走る船の道」)。
(評価)
「砂漠を走る船の道」は第5回ミステリーズ!新人賞の受賞作だ。昨年デビューしたミステリー系の新人の中では高い評価を得ている作者だが、短篇集の出来はそれほどでもない。
個々の作品はいずれも水準以上だ。しかし単調なのである。収録作の中で同じような趣向を何度も使われているため、読んでいると胃もたれがする。これが第1短篇集であるという事情を考えると、もっと時間をかけ、アイデアに多様性が出てくるまで、構想を練るべきだったのではないか、と思うのである。したがって、派手さはないが変化球の味がある「白い巨人」を収録作に選んだのは正解だった。この作者の実力は、決して『叫びと祈り』程度のものではないはずだ。
今後の伸びを期待し、評価をやや控えめにした。
(予想)
初物というのはなんとなく気になるものだし、そういう観点でこの作品に票を投じる人も少なくないだろう。ただ、2010年に評価をされたといっても、ミステリー界の中のことであり、それ以外のジャンルの読者にはまだアピール不足である。これ1作で広い支持を集めるのはまだ難しいはずだ。今回の上位入賞はないと見る。

『神様のカルテ2』夏川草介
(内容紹介)
栗原一止は長野県の独立系医療機関である本庄病院で働く内科医師だ。
持ちかけられた大学病院への移籍話を断り、一止は報われることの少ない地域医療に奉仕し続けていている。そんなある日、本庄病院に進藤辰也が赴任してきた。彼は一止がひそかに慕っていた女性を奪った恋敵であり、同時に大学同期の無二の親友でもあった。だが旧友の凱旋からしばらく経ったころ、一止は辰也の周囲に芳しくない評判が広まっていることを知らされる。いなければならないときに連絡が取れず、不真面目な就業態度だというのだ。旧友はなぜ変わってしまったのか。
首を傾げる一止を、もう一つの衝撃的な事実が待ち構えていた。
(評価)
昨年2位になった作品の続篇である。題名のつけ方がそっけないって? いやいや、この飾らなさがいいんじゃないですか。この小説に登場する医師たちは、愚直に自分の持ち場を守り続けることだけを考えている人々だ。「良心に恥じぬということだけが、我々の確かな報酬である」というセオドア・ソレンソンの言葉を自身の銘とし、ただまっすぐに前を向こうとする態度には心を洗われる思いがする。だが本書の美点はそれだけではない。
夢や理想では動かすことのできない運命の皮肉や、青春の蹉跌を作者が逃避せずに書いたことに、私は好感を持った。絶望し、疲れきったときに大事なものは何かということが、小説の行間から立ち上ってくる。大人の書きぶりであり、しみじみとした感動がある。
(予想)
前作『神様のカルテ』も映画化されるし、景気づけに大賞をあげてしまえ、と思う書店員も多く出てきそうだ。作者は文壇にあまり関心がなさそうだし、本屋大賞がいちばん近い位置にいる。あげちゃえばいいのに。障害があるとすれば、営業で顔を売ることに熱心ではない作家だということか。その謙虚さが足を引っぱる結果にならなければいいのだが。

『謎解きはディナーのあとで』東川篤哉
(内容紹介)
警視庁国立署の刑事・宝生麗子には、上司の風祭警部には内緒にしている秘密がある。風祭は中堅自動車メーカーの御曹司であることを鼻にかけているが、実は麗子の父親は、そんな会社など簡単に買収してしまえるほどの、大財閥の当主なのである。その宝生邸で、影山という男が執事として働き始めた。麗子は、担当中の殺人事件について、軽い気持ちで彼に意見を求める。だが、返ってきた言葉は意外極まりないものだった。「失礼ながらお嬢様――この程度の真相がお判りにならないとは、お嬢様はアホでいらっしゃいますか?」影山は、驚くほど口が悪い代わりに天才的な推理の能力を持つ、スーパー執事だったのだ!
(評価)
登場人物の「属性」が際立っている、という意味でのキャラクター小説だ。令嬢刑事に毒舌執事だもの、非常にわかりやすい。ミステリーというのは裾野が広いジャンルだから、キャラクターの楽しさで読ませる小説というのはあっていい。毎回笑わせるべきところで笑わせ、落ちはしっかりとミステリーの謎でしめる。そういうパッケージのおもしろさはなかなか風化しないだろうから、長く続けてもらいたい連作である。ただ気になるのはこの作品を評して「本格ミステリーなのにおもしろい」などといった評言が散見されたことだ。謎解きを主眼にしても、多様でおもしろいものはいくらでもある。その事実がひとびとの記憶から薄れかけているのだとしたら、残念なことだ。そういう風に思っている方がもしいたとしたら、とりあえず泡坂妻夫『亜愛一郎の狼狽』も試してみてください。
(予想)
私はこの作品が取ると思う。小味だし、大賞という大袈裟な称号が似合わない作品のような気もするのだが、事前の人気は群を抜いている(車内広告の量も段違いだし)。雌伏期間の長かった作家なので、受賞したとしたらそれはそれでおめでたいと思います。

『錨を上げよ』百田尚樹
(内容紹介)
作田又三は、昭和30年に大阪の下町で生れた。持ち前の短気な性格が災いし、彼は一旦社会からドロップアウトしかけたのだが、学歴差別が歴然としている社会のあり方に衝撃を受け、奮起して同志社大学への入学を果たした。しかしそこで又三は、幻滅するような現実を知ってしまう。青臭いイデオロギー議論がまかりとおる学内に、彼の居場所はなかったのだ。次第にフェードアウトを始めた又三に度重なる失恋の痛手が追い討ちをかけた。ある日彼はすべてを棄てて出奔する。東へ、北へ。気づくと彼は、北海道の大地を踏んでいた。自分の生きる場所は海の上にある。そう考えた又三が目指したのは根室の町だった。
(評価)
冗長な小説だ。この自制力のなさゆえに生じた分量を「スケール感」と受け止めるのは、いくらなんでも作者を甘やかしすぎだと私は思う。自分に優しく他人に厳しい作田又三は、西村賢太が描く北町貫多の同類なのである。貫多と又三の違いは、自分の負の要素に自覚的かそうではないか、ということ。又三に対する女たちの称賛ぶりがすごいんだもの。「あなたは普通の人とは違うんだと思う。野性の本能みたいのがあるのよ。自由で、何物にも縛られない(中略)何ていったらいいのか――そう! まるでノラ猫みたいだわ」ですって、奥様。もちろん俺得の小説は世の中にあっていいが(あれ、昨日も同じことを書いたな)、この又三という男はあちこちで失敗をしているように見えて、実は一回も社会から拒絶されたことがない。これをピカレスク・ロマンと呼ぶのは間違いだと私は考える。
(予想)
分厚いが、本屋大賞に投票しようという意識の高い書店員なら当然読み通すだろう。問題はこの主人公を許せるかどうか。好きにならなくてもいい、許せる読者ならもしかすると高い評価をつけることもあるかもしれない。私は許せませんでしたが、なんとなく好きにはなりました。ここまで徹底されるとねー。

『ペンギン・ハイウェイ』森見登美彦
(内容紹介)
 アオヤマ君は、たいへんに頭が良く、しかも努力を怠らない少年である。たぶん日本でいちばんノートを使う小学四年生だろう(世界一かもしれない)。ある日、彼の住む町に大量のペンギンが出現するという椿事が起きた。さらにアオヤマ君は、彼が好意を寄せているお姉さんがそのペンギンを創造しているのだと知ってしまう。お姉さんは行きつけの歯科医院で働いている人で、チェスはアオヤマ君より弱いが、大きなおっぱいの持ち主だ。お姉さんに対する関心を膨らませつつも、アオヤマ君は親友のウチダ君と自分たちが住む町にある、森の探検に精を出す。しかし、そこにはたいへんなものが存在していたのだ。
(評価)
人類が超常現象に遭遇する場面を、少年の目を通して描いた作品だ(作者はスタニスワフ・レム『ソラリス』からの影響を公言している)。小学生といってもアオヤマ君には健全な知性が備わっている。たとえば算数の問題を考えるときには「問題を分けて小さくする/問題を見る角度を変える/似ている問題を探す」といった思考の操作が有効、ということも研究者の父親からすでに教わっているのだ。小学四年生なりの幼さと確固とした知性とが絶好の形で均衡を保っており、それがこの小説を素晴らしいものにしている。「街全体がピカピカして、甘いお菓子の詰め合わせのよう」と喩えられる風景も本書の印象を際立たせている要素の一つだろう。幼いころに読んだ児童小説の記憶さえも呼び起こされる作品だ。
(予想)
森見登美彦が本屋大賞の候補になるのはこれが3回目。過去2回の投票では、1位との点差はそれほど開いていなかった。逆に言えばもう一押しが足りなかったということだ。今回は「少年とおっぱい」という強い武器もあり、さらに上積みが期待できる。すでに第31回日本SF大賞受賞という勲章を持っているが、得票上の障害にはならないだろう。

(総合予想)
以上で10作。文中にも書いたが、本命は東川篤哉で間違いなし。対抗として有川浩か森見登美彦がくる。穴が夏川草介、大穴に期待をこめて窪美澄。奥泉光がきたら、嬉しさのあまりびっくりしてひっくりこけると思います。獲るとおもしろいんだけどなー、『シューマンの指』。(杉江松恋)