今年2月26日に生誕100年を迎えた画家の岡本太郎。同日には松尾スズキ主演のNHKドラマ『TAROの塔』の第1回が放映された(このドラマは明日、4月2日の放送が最終回。
DVD化も決まっている)。ほかにも豪華画集を含む関連書籍の刊行やら舞台化も予定されている。もちろん、展覧会も目白押しで、東京国立近代美術館での大回顧展(5月8日まで)をはじめ、東京・青山の太郎の旧アトリエである岡本太郎記念館や、出身地である神奈川県川崎市の川崎市岡本太郎美術館でもそれぞれ記念の展覧会が開催中である。

いや、関東ばかりでなく、関西でも太郎が熱い。1970年の大阪万博のために建てられた「太陽の塔」はいまや大阪のシンボルとなっているが(その証拠に、この10年ばかりのあいだにNHK大阪制作の連続テレビ小説のオープニングには何度「太陽の塔」が登場したことだろう)、それだけに彼の地と太郎のゆかりは深いようだ。実際に大阪の街に来てみれば、「太陽の塔」以外にも、結構あちこちに太郎の作品が存在する。今回の記事では、それら大阪府内で見られる太郎作品やゆかりの地をいくつか紹介してみたい。中には、いましか見られないものもあるので、要チェックですぞ!

●高島屋大阪店(※)に復活! タイル壁画「ダンス」
(※高島屋の高の字は正しくは“はしごだか”)
名古屋から近鉄特急で大阪難波に降り立つと、さっそく先月3日にリニューアル工事を終えてグランドオープンしたばかりの高島屋大阪店へと向かう。グランドオープンとともに、7階のレストラン街に、岡本太郎によるタイル壁画「ダンス」(1952年)が復活したと聞いていたからだ。地階からエレベーターに乗ると、いまどき珍しいエレベーターガールが案内してくれる。全面改装したとはいえ、店内の雰囲気、規模(関西最大規模だという)はいかにも“百貨店”という感じで何だか懐かしい。

そんなことを考えているうちに、7階に到着。
例の壁画は、中央エスカレーター付近にある休憩スペースに展示されていた。この作品はもともとこの百貨店の大食堂に飾られていたものの、1969年に展示が終了、以来約40年にわたって高島屋史料館のある高島屋東別館に眠っていたという。その間、汚れがつくなど劣化した同作だが、製作時に協力したINAX(当時の社名は伊奈製陶)の工房(愛知県常滑市にあるINAXライブミュージアム)で修復され、このたび再度のお披露目を迎えた。その絵は「ダンス」というタイトルどおり、躍動感にあふれている。

さて、「ダンス」の脇に置かれた案内板には、すぐ下の6階の美術画廊では、「ダンス」とほぼ同時期につくられたタイル壁画「創生」(1952年)の原画が展示されている(4月26日まで)と書かれていたので、そちらも見に行くことにする。画廊は、茶道具などいかにも高そうなものが並べられて何だか敷居の高い雰囲気。それでも勇気を振り絞って中へ入っていくと、太郎の絵がガラスケースに収められているのを見つけた。円錐形の物体(「太陽の塔」のプロトタイプっぽい)に何やら芽がいっぱい生えているような、そんな様が描かれたその絵は、思ったよりも小さめのキャンバスに描かれていた。ただし実際に製作されたタイル壁画は縦2メートル、横10メートル、使用されたタイルは約30万個というかなりの大作だったようだ。

なお、この壁画は、高島屋東京店と地下鉄日本橋駅の連絡通路に設置された。太郎は、タイル壁画を芸術の大衆化を進めるための有力な手段として、大きな可能性を見出していたという。1950年代初め、日本がまさに戦後復興を遂げようとしていた頃、東京と大阪に登場した2つの太郎の壁画は、街行く人々を鼓舞しようという意図も込められていたのではないだろうか。
そう思わせるほど、両作品はエネルギッシュだ。

●万博公園で、「太陽の塔」の初代“黄金の顔”と対面
大阪で見られる岡本太郎作品といえば、やはり「太陽の塔」を差し置くわけにはいくまい。大阪モノレールの万博記念公園駅で下車し、自然文化園というゾーンに向かうべく中国自動車道に架かる陸橋を渡っていると、“彼”の姿が迫ってくる。そして同園のゲートをくぐっていざ全身を目の当たりにすると、そのでかさにあらためて驚かされるのだった。ちなみに「太陽の塔」の高さは約70メートル。

万博記念公園の自然文化園内にはまた、大阪万博に関する資料や映像を展示する「EXPO'70パビリオン」という施設がある。これは万博のパビリオンの一つ「鉄鋼館」の建物を利用したもので、万博閉幕後も保存されたものの長らく放置されていた建物を改修の上、昨年3月にオープンした。ここで現在、「太陽の塔 黄金の顔展」が開催されている(4月10日まで)。「黄金の顔」というのは、太陽の塔のてっぺんに取りつけられた文字どおり黄金色に輝く顔だ。正面の白くて不機嫌そうな顔(「太陽の顔」と名づけられている)とくらべると小さく見えるが、直径10メートル超もあるとは意外だった。今回、パビリオンに展示されているのは、大阪万博開催時から、「太陽の塔」が全面改修された1992年まで取りつけられていた初代の「黄金の顔」である。

「黄金の顔」は厚さ0.8ミリの銅版で、そこに金色のフィルムが貼られて黄金の輝きを放っている。
しかし長年、風雨にさらされたことで腐食やフィルムの退色、剥がれなどが生じたため、銅版を取り替え、新たにフィルムも貼りつけられた。顔をまるごと取り替えるなんて、まるでアンパンマンみたいだけど。それにしても近くで見る初代「黄金の顔」はじつに神々しかった。腐食した箇所さえ、何となくありがたみを覚えてしまうから不思議だ。そもそも「太陽の塔」の建設時、この黄金の顔を取りつける作業は「鎮座式」と呼ばれたというのだから、これは一種の“御神体”なのである。

●ちょっと一服……天満橋「EXPO CAFE」
大阪・岡本太郎フルコースのメインディッシュたる「太陽の塔」も味わったところで、ここらでデザートを……ということで、京阪電車の天満橋駅近くにある「EXPO CAFE」にやって来た。このお店は、大阪万博にまつわるグッズを長年コレクションしてきた白井達郎さんが、趣味が高じて2008年にオープンしたもの。店内には、そのコレクションが並べられ、壁にも万博公園の「太陽の塔」の四季折々の写真が飾られている。

「EXPO CAFE」で私は、同店の名物ともいうべき「EXPO天国」を注文した。これは万博開催時に会場内のカフェテリアにあった同名のメニューにヒントを得た、この店オリジナルのデザート。皿に盛りつけられた菓子や果物は、それぞれ大阪万博のパビリオンにちなんだものとなっている。

ところで、マスターの白井さんに、「大阪にある岡本太郎ゆかりの地をまわっているのですが……」と伝えたところ、吹田市に「カーニバルプラザ」という太郎が命名したレストランがあったとの情報をいただいた。
白井さんによれば、カーニバルプラザという名前は、店ではカニを中心にしたメニューを出すと聞いた太郎が、カニが威張っているイメージ(つまり、カニイバル、カニーバル、カーニバル……)からつけたというのだが。ほんまかいな。

●名神高速沿いに発見! カーニバルプラザの「リオちゃん」
ホテルに戻って、ネットで調べてみたところ、1983年に吹田市江坂にオープンしたカーニバルプラザは近年になって閉店。太郎が店のためにつくったシンボルの去就が注目されたものの、地元の吹田市立博物館に引き取られることで決着を見たとか。

それを知って翌日、さっそく現地に出かけてみることにした。大阪駅からJR京都線(東海道本線)の各駅停車に揺られること10数分、岸部という駅で下車し、さらにそこから20分ほど歩くと、紫金山公園という小高い丘にある公園に出た。吹田市立博物館はこの丘を登って下ったところにあるのだが、太郎作の看板はさらにその前を素通りして、名神高速道路の下をくぐったところに置かれているという。

高速の下をくぐると、たしかに“彼女”は存在した。“彼女”と書いたのは、どうも地元の人たちからは「リオちゃん」と呼ばれているらしいから。ビニール生地のようなものに油性ペンで書かれたと思しき解説文は、すでに消えかかっていたが、どうにか読み取ってみると、「リオちゃん」は吹田市立博物館で2007年に開催された「'07EXPO'70」展に合わせて現在の場所に移設されたらしい。また、太郎はこの作品をブラジル・リオのカーニバルをイメージ、太陽をモチーフに制作したとあった。ともあれ、近くには団地があったり、高速の下の通り道には子供たちの描いた未来の吹田の絵が描かれていたりと、ほのぼのとした環境のなかでリオちゃんは余生を送っていたのでありました。


●延長戦……大阪近鉄バファローズのマーク
大阪と岡本太郎といえば、惜しくも2004年にオリックス球団に吸収されてしまった大阪近鉄バファローズ、そのペットマークも太郎が手がけたものだった。これに関して、太郎がある雑誌のインタビューで語っていたのが面白かったので、最後に紹介しておきたい。

《[引用者注:テレビ局が]セ・リーグとパ・リーグの優勝戦があるけど、どっちをひいきしますかって聞くから、「野球なんてどっちもひいきしないよ。どっちだっていいじゃないか、勝ったら勝った、負けたら負けたで」って。勝つってことはどういうことかって言うから「え? 負けたほうがベストを尽くして負けた。そのおかげで勝たしてもらったんだから、ベストを尽くして負けたほうが、優勝を決めたんじゃないか。だから負けたほうが『万歳!』と言え。勝ったほうは『ああそうか』と思えばいいんだと」と》(『スタジオボイス』1982年10月号。太字は原文ママ)

太郎の独自の思想に「対極主義」というものがあるが、それってつまり、彼がまさに語っているようなことなんじゃないか、とふと思ったりした。常にぶつかり合い、拒絶し、挑み続ける思想……それは絶対に負けない、というか絶対に負けたとは思わない思想といえるかもしれない。いまの日本に必要なのは、ひょっとするとそういう考え方なのではなかろうか。(近藤正高)
編集部おすすめ