稲田耕三という人物のことを初めて知ったのは、いまから約30年ほど前、高校生のときだった。クラスのみんなが少年ジャンプや少年マガジンを読んでいるなかで、ついマイナーな方へ流れてしまうわたしは、少年キングを愛読していた。
話のあう友達は全然いなかったねえ。そこに連載されていたのが、弘兼憲史の「ガクラン放浪記」というマンガで、その主人公が稲田耕三。実在の人物だ。

稲田耕三は、1949年、三重県に生まれた。上に兄貴が二人おり、長兄は地方の国立大の医学部へ、次兄も同じ大学の農学部へ進学していた。父は非常に教育熱心で厳しい人物だったというが、耕三自身、元々頭の出来は悪くなかったようで、自分でも将来は医学部への進学を夢見るようになる。


ところが、そうはうまくいかない。
青雲の志を抱いて高校へ進学した稲田耕三は、いきなり番長グループに目をつけられてしまうのだ。別にケンカをするために高校へ入ったわけではないのだからと、相手にしないようにしていても、向こうからケンカを売ってこられては逃げようがない。で、これまた困ったことに、耕三は生まれつきケンカの才能に恵まれていたようで、あっさり相手を叩きのめしてしまうのだ。一躍、耕三の名前は学内に響きわたる。そうなるとまた因縁を吹っかけてくる奴があらわれ、ケンカになって、また勝って……。


そんなことを繰り返していれば、おのずと慕ってくるのは悪い仲間ばかりだ。自分はこんな自堕落な学園生活を送っている場合じゃない、と頭ではわかっていても、ついつい、ケンカに明け暮れ、学校をサボり、隠れて煙草を吸い、仲間の家で酒を飲む。これじゃ成績なんて落ちる一方だわなあ。

結局、停学を繰り返すうちに耕三は高校を休学することになり、米子で下宿していた長兄のところに居候し、自力で勉強しながら再起を図ることになる……のだが、ここでもやっぱり同じ過ちを犯してしまう。もう、どんどん勉強どころじゃなくなっていくのだ。

こういう稲田耕三のような人間に対して、「こんなの自分がダラシナイだけじゃないか!」と言い切れる人間を、わたしはうらやましいと思う。
日頃からたゆまぬ努力を積み重ね、確実に目標へ近づいていければこんないいことはない。でも、世の中にはそれが出来ない人間はたくさんいる。出来ない人の方が多いかもしれない。宿題が残ってるのはわかっていても、8月30日まで遊ぶでしょ。レビューの締切があるのはわかってるけど、ハイボール飲みに行っちゃうでしょ。それが人間なんだよっ!

その後、稲田耕三青年がどうなったのかは、わたしは知らないでいた。
途中で少年キングの購読をやめちゃったからね。「ガクラン放浪記」は少年画報社からコミックスにもなったらしいけど、それを探して買おうと思うほどには夢中にならなかったんだ。
ところが、あとでこのマンガには原作となった「高校放浪記」というタイトルの自伝があることを知り、俄然、読んでみたくなった。その頃はまだネットで本を探すという手段がなかったので、神田の古書店なんかを探しまわったけど、見つけられなかったんだな。結局、そのまま「高校放浪記」のことは忘れてしまっていたのだった。

というわけで先月のこと。
書店で新刊のチェックをしていたら、この「高校放浪記」の文庫を発見した。思わず書店で喝采しそうになったね。やっと出会えた! という気がした。

あらためて原作を読んでみて、この物語(実在の人物の人生を“物語”と呼んでは失礼かもしれないが)のおもしろさに魅了された。はっきり言って、稲田氏本人の文章は上手いとは言えない。内容的にも、自分の行動の正当化と悔恨の言葉が繰り返されるばかりで、世間一般からの共感はされにくいと思う。
けれど、それゆえにむきだしの怒りが叩きつけられていて、青春の苛立ちがダイレクトに伝わってくるのだ。

わたし自身は不良とは無縁で、マンガとプラモに夢中のネクラ少年だった(当時はまだオタクって言葉はなかったんだよ)。どちらかというと、不良はわたしみたいな人間をド突く側だから天敵なはずなんだけど、なぜか、昔から不良少年って嫌いじゃないんだよな。むしろ、すごく興味があった。たぶん、ナチスドイツに入隊したいとは思わないけど、田宮の戦車のプラモはカッコイイー! って思うのと同じようなもんかもしれない。リーゼントとか、ボンタンとか、おもしろいもんね。

と、そんな理由でこの本を読む人はあんまりいないかもしれないが、いままさに青春のど真ん中にいて、得体の知れないモヤモヤに悩まされている人は、試しに読んでみるといい。必ず出口がみつかるという保証はないが、悩んでいるのが自分だけじゃないことはわかる。青春期において、自分は一人じゃないと知るのは大切なのだ。(とみさわ昭仁)