「モテない」のをウリにしていたカラスヤサトシが結婚をしたと2011年に発表したときは、裏切られた感満載だったよ!
今はお子さんを育てているのをマンガにしていますね。おめでとうございます。


基本的に自分の体験談をネタにしながら、エッセイマンガを描くのが得意なカラスヤサトシ。この『モテないのではない モテたくないのだ!!』は中学生片桐サトヲを主人公にした、半分フィクション、半分体験談のノンフィクションという非常に珍妙な作品です。
だってさー、考えてみてくださいよ。
既婚者子持ちで非モテマンガ描いてたら「あんた結婚しとるやんけ!」ってツッコミ入るじゃないですか!
でも違うの。筆者の人生にあったことを、中学生の架空の人物に託すことで、安心していつもの非モテ絶叫マンガとして楽しめるんです。

もう少しカラスヤサトシという作家について書いておきます。

彼の描く主人公は大抵男性。いつも薄笑いを浮かべ、ちょこちょこと歩く滑稽さを持ち合わせています。これはノンフィクションの自画像でも、フィクションでも同じ。
大抵の場合その主人公(カラスヤ本人やキャラクター)が、世の中のいろんなどうでもいいことに、怒ったり笑ったりしながら、人生を噛み締めます。
モテないなあ。辛いなあ。
どうしょうもないなあ。しょうもないなあ、なんなんだよほっとけよ。
ところが彼の作品は非常に後味がいいんです。起きている出来事はそれはもう「ああ、やりきれないな」という切ない話だったり、時間巻き戻してやり直せればな、という息の詰まる話が多いのです。
それを演じるのが飄々としたカラスヤ絵なので、これが意外と気持ちいい。身を切られるような辛い話も、笑えてしまう。
クスクス笑った後に、なんか切なさが残る。
人生の酸っぱい部分をジョークに変えてみせる手法はまるでブルースです。

このマンガはタイトルの通り。モテない中学生が「俺はモテないんじゃない! モテたくないのだ! 否! モテようとすることから降りるのだ!」とおかしなこじらせ方をしちゃうマンガです。
あー、あるね。あるある。
本当はクラスの女の子のことめっちゃ興味津々なのに、オレ別にモテたいわけじゃないし、興味ないからね、と言ってよく分かってもいない文学読んでな!

「勉強もできない顔も並み以下、それに加えて運動神経がない! これでは一緒に帰ってくれたり…… 手ェつないでくれたり…… そんな女子がいるか?!」
片岡はめっちゃモテたいわけですよ本当は。ところがどうすればいいか全くわからず、柔道部に在籍するものの退部して帰宅部になるのも恥ずかしいとなにも出来ない。ヤンキー連中を見てぶつくさ文句はいうものの、そのヤンキーのものまねをしてみたいとドキドキしつつ出来ない。何にも出来ない。
「今はただこの学校という空間が、水底のように息苦しく、まさに本当の水底のように殺人的に息苦しく」
ふらふらと、ヤンキーにも体育会系にもオタクにもなれない彼の悶々。付き合うどころか男友達すらも曖昧なまま。
辛い!辛い!辛い!
「なんや、なんでこんな時にまで女に魅かれてしまうんや気色の悪い! いつからこうなった?!」

片岡の周りに女っ気はゼロかというと、そんなことはありません。
ここで「なんだとリア充め!」というのは早計。例えば木根川さんという割とアッパラパーな感じの女の子が話しかけてきて、なんとなく仲がいいのかどうなのかよくわからなくなる、というシーンがあります。
この木根川さんがなかなかにエキセントリックなキャラで、ヤンキーたちと渡り廊下の上を歩いたり、コンドームに水入れてヨーヨーにして遊んだりと、片岡から見たら「向こう側の存在」でした。
実質彼女は無邪気なだけなんですが、片岡は普段女の子と話すこともないからやけに意識してしまう。別に最初から惚れていたわけじゃないんだけれども、気づいたら「あのアホみたいな目もよくよく見るとかわいい気もする…」とがっつり惚れ込んでしまうわけです。
はい、一方通行です。
あるときに、ふとしたはずみで片岡が「オレも……き……木根川さんを……あの……」とポロッと言ってしまい、無邪気にはしゃいでいた木根川さんは泣きそうな顔になるんですよ。そして、そのあと、二人は会話すらしなくなります。
木根川さんに彼氏ができた時、片岡のことを見て言います。「ううん、知らない」

こうして失恋を繰り返し繰り返し! 毎度毎度二度と女なんかに興味持たない!モテようとするのをやめる!と誓いながらも、またしても女の子の事ばかり考えてしまう。
読み終わった後に改めてこのタイトル『モテないのではない モテたくないのだ!!』を見ると、なんだかちょっぴり心がキュッとなります。
締め付けられるわけじゃなくて、懐かしい気分なんですよ。作品がノスタルジックの塊ですもんしょうがないよ。
そのノスタルジックって言っても、別に美しい思い出じゃない。子供っぽい憧憬と、悶々とした童貞中学生の性欲と、大人になりかけた中学時代の恐怖でパンパンです。破裂しそうです。いや、破裂しているからこんなタイトルになるんです。
男は単純、なんて言いますが、男も複雑。

でもねー。これ学生が読んだらグッとくるだろうと思うけどさー。結婚してるでしょ!いいじゃんもう!って気持ちもどこかしらに生まれてしまわざるを得ないんですよ、ぼくのような独身男性としては。
ところがそれを解消するどころか、逆にカラスヤサトシの面白さを引き立ててしまったのがこの本に収録されているカラスヤサトシと福満しげゆきの対談。
福満しげゆきもルサンチマン漫画の筆頭のような作家です。今でこそ奥さんのことを漫画にしたマイペースなマンガを描いていますが、昔は青林工芸舎から、いつもうつろな目で下ばかり向いた青年の笑うことすら出来ない鬱々とした漫画ばかりを描いていました。今も時々その片鱗がボロっと出る辺りが攻撃的です。
ニヘラと愛想笑いするカラスヤサトシの顔。下向いてむっつりしている福満しげゆきの顔。
これが並ぶとなかなか凶悪な化学反応が生まれます。

カラスヤ「結構ぼくよりも楽しそうな青春時代送ってるじゃないですか! それに中学卒業した後も!」
福満「それを言われるならば、大学入って、そこから付き合った彼女は、けっこう長い帰還でしょ? くらべてぼくの人生は……」

結婚して子持ちの二人ですが、全然変わってないんですこれが。
どちらかと言えば、カラスヤサトシはノスタルジックや今の生活の負の面を笑わせながら切なく語る、福満しげゆきはこの世の終わりのようになんで生きてなきゃいけないんだと鬱めいて語る、そんな二人の作家。
この二人がガチンコプロレスしたら面白くないわけがない。

カラスヤ「元気になって喧嘩を売ってたんですか!? 病んで喧嘩を売ってたのかなって思ってたんですけどね!」
福満「なんでと聞かれたら、バットマンがいればジョーカーがいるように、キン肉マンがいればバッファローマンがいるように、そういう事ですよ。何もね、自分の人生に、ふわふわした女の子たちばかりが集まるわけじゃないということをね、カラスヤさんに教えることによって、よりカラスヤさんの漫画がこう盛り上がっていくみたいな?」

なんで上から目線なのかわからないですが、実際この対談があることで、フィクションにこめたカラスヤサトシの中学生時代の切ない思い出が盛り上がったのは確かです。
大人になって結婚して、それ自体は幸せかもしれないけれども、あの時感じた鬱々とした気持ちは変わらないし、ルサンチマンがゼロになるわけでもない。
大人になったからこそ、青春時代の悲しさを叫ぶことができることもある。
この本は、そんな脱し切れない大人のための、エモーショナル・ハードコアなのです。
しかし、この二人のプロレスはもうちょっと見たいですね。福満しげゆきのコメントがちょっとここに書けないレベルですごいので、ツッコミ役としてなんとか受け流すカラスヤサトシ側の体力削られそうですが。
(たまごまご)