杉井ギサブローという名前は、いっぱしのアニメファンならよく知っていると思う。古くは東映動画(現・東映アニメーション)の長編第1作『白蛇伝』(58年)にアニメーターとして参加、その後は手塚治虫率いる虫プロダクションで国産テレビアニメ第1号『鉄腕アトム』(63~66年)を作り上げた人物だ。
アニメ版『ルパン三世』(71年~)の企画を立案したのもこの人だし、『まんが日本昔ばなし』(75年~)の立ち上げに携わったのもこの人。『あしたのジョー』(70~71年)や『ガンバの冒険』(75年)などで知られる故・出崎統監督の兄貴分でもある。

現在40歳の僕にとっては、なんといっても『タッチ』(85~87年)と『銀河鉄道の夜』(85年)が記憶に残っている。前者はあだち充原作、視聴率30%を記録した大ヒットアニメで、岩崎良美による主題歌は日本でもっとも有名なアニメソングのひとつだろう。後者は宮沢賢治原作、別役実が脚本、細野晴臣が音楽で参加した幻想的な劇場長編アニメ。ますむらひろしの絵による猫の姿をしたジョバンニとカムパネルラを覚えている人も多いはずだ。


……と、こう書くとまるで歴史上の人物のようだが、杉井はバリバリ現役のアニメ監督である。現在は最新作の劇場長編アニメ『グスコーブドリの伝記』が公開中だ。時を同じくして、杉井を追ったドキュメンタリー映画『アニメ師・杉井ギサブロー』(石岡正人監督)も公開されている。このベテランアニメ監督のことを深く知るには最適の2本が同時に公開されていたということになる。

『アニメ師~』は、杉井本人と大塚康生(宮崎駿らとともに活躍した日本のアニメーターの第一人者)、山本暎一(『哀しみのベラドンナ』監督など)、りんたろう(劇場版『銀河鉄道999』監督など)、高橋良輔(『装甲騎兵ボトムズ』監督など)ら錚々たる顔ぶれのアニメ作家たちの証言に、杉井が所属した虫プロダクションと『タッチ』などを送り出した故・田代敦巳率いるグループ・タックの歴史を重ねながら、杉井のアニメ史とアニメ作りにおける独自の哲学を描き出していく作品だ。杉井のかかわった作品からの映像の引用も豊富で、それだけでも観ていて楽しい。


杉井の出発点は『白蛇伝』だったが、最初の大きな転機となったのは手塚との出会いと『鉄腕アトム』への参加である。人もお金も時間も足りなかった『アトム』で手塚が採用した手法は、セル画の枚数を抑えたリミテッド・アニメーションだった。しかし、絵がほとんど動かない『アトム』を観たフルアニメーションを信条とする東映動画の大塚らは、「ルール違反」「こんなものはアニメじゃない」と徹底的に批判。東映動画出身の杉井も当初は手塚のやり方に反発していたが、『アトム』の初号を観て考え方を一変させる。
「フルアニメーションでなくても、こんなに面白いものが作れるんだ!」
アニメで伝えるべきなのは動きのおもしろさではなく、ドラマそのもの。それが『アトム』の思想だった。
23歳で初監督を務めた杉井はアニメの可能性を感じつつ、中心スタッフとなって『アトム』を引っ張っていく。

その後、虫プロの後輩らを引き連れて独立した杉井は、手塚とフジテレビから『アトム』の後番組を託される。「口出しはしない」と手塚に約束された杉井は自由奔放な『悟空の大冒険』(67年)を制作。しかし、杉井を旗頭とする若手演出家たちの才気ばしった破天荒さはフジテレビの不興を買い、折しも裏番組『黄金バット』の影響もあって視聴率は低下、「視聴率なんか気にするな!」とスタッフに檄を飛ばした杉井だったが、あえなくフジテレビを出入り禁止となる。

手塚が企画した大人向け劇場アニメ『千夜一夜物語』(69年)にはアニメーターとして参加。杉井が担当したパートは、線画で描いた蛇のような物体が絡み合うだけのシーンだったが、映倫から「エロティックすぎる」と指定を受けてカットされてしまったという。
杉井はアニメーターとしても超一流だった。同じく69年、杉井はフジテレビの手塚原作アニメ『どろろ』で再び総監督を務めるが、今度はゴールデンタイムの放送にもかかわらず容赦なく血が噴き出るスプラッタ演出を敢行。スポンサーだったカルピスと衝突し、杉井は降板してしまう。

ここまで読んで、杉井のことを単なるトラブルメーカーだと思ったら大間違いだ。杉井はアニメで人間の内面を描くドラマができると考えていた。登場人物が物語をなぞって動き、心情をセリフで説明するだけではつまらない。
絵の動きやシーンのつなぎから情感を伝えることで、ドラマを紡ぐことができるはずだ。たとえば、『どろろ』では人を斬るアクションではなく、刀を振り下ろす瞬間の人の“気持ち”を表現しようとしていた。杉井いわく、「人を斬ることは気持ち悪い」。だから生々しく血が噴き出るような演出を施したのだ。意欲的な表現が、時に「アニメは子供向けの娯楽」と考えていた人々の思惑と衝突していたにすぎない。

74年、ディズニーアニメを意識し、西洋の物語をフルアニメーションでミュージカル仕立てにした『ジャックと豆の木』を監督した杉井だったが、完成した作品は美麗ではあるものの当然ながらディズニーを超えることはできなかった。
折しも優秀なスタッフが新しいスタジオにまとめて引き抜かれてしまうという“事件”もあり、ギャラにつられて仕事をすることをよしとしない杉井は「霞を食って生きていく」と宣言。なんとアニメの仕事をすべて辞め、家族も残して一人で放浪の旅に出てしまう。杉井はこのとき35歳、働き盛りの頃だというのに、仕事をすべて投げうってしまったのだ。

大きな挫折を経て、ひとり放浪すること数年、杉井をアニメの世界に引き戻したのは、あだち充の漫画だった。あだちの作品には登場人物が心情を説明するようなわかりやすいモノローグやダイアローグがほとんどない。それでも少ないセリフとショットの積み重ねで、若い男女の気持ちのやりとりを描ききっている。これこそ、杉井がアニメでやりたかったことだった。
「アニメーションで、本当に情感というものが描けるのか?」
杉井の挑戦は『ナイン』3部作(83~84年)を経て、『タッチ』で結実し、それは『銀河鉄道の夜』、そしてその後の作品へとつながっている。

それにしても、このドキュメンタリーの中で映し出される杉井は、とてもカッコいい。心意気もさることながら、見た目がカッコいいのだ。71歳にして背筋も伸び、足取りも軽い。映画の終盤、『グスコーブドリの伝記』のメイキングにさしかかると、さらに元気が良くなったように見える。まことに矍鑠たる様子で、『アトム』の頃とまったく変わらずストップウォッチ片手に絵コンテを描く姿もダンディーだ。

『アニメ師~』を観ながら思い出したのは、杉井と関係が深かった出崎統のことである。今年、僕は『アニメーション監督 出崎統の世界』(河出書房新社)という書籍を編集・執筆する機会をいただいた。多くの関係者から話を聞くうちに浮かびあがってきた出崎像は、圧倒的に「カッコいい」というものだった。たたずまいがカッコいい、立ち居振る舞いがカッコいい、そしてもちろん作品がカッコいい。

同じ釜の飯を食べた間柄だけあって、杉井・出崎には共通点が多い。『タッチ』に見られるような“じわ寄り”“じわパン”と呼ばれるゆっくりとしたカメラワークで人間のおぼろげな情感を表現しようとした杉井と、“三回パン”と呼ばれるスピーディーで激しいカメラワークで人間の奔流のような情念を表現しようとした出崎。両者とも説明的な表現を嫌い、子供向けの娯楽としてのアニメという枠に飽き足らず、アニメを用いた人間のドラマを追い求めていた。生きることの裏側には死があり、死があるからこそ生が輝く。そんな考え方も共通しているのではないだろうか。『タッチ』も『あしたのジョー』も生と死をめぐる物語だった。そういえば従来、“旅人”は出崎に対してよく使われていたキャッチフレーズだったが、実際には杉井がさらにその上を行く“旅人”だったというのもおもしろい。カッコいいのはロックスターだけじゃない、アニメ作家にもこんなカッコいい人がいるんだよ。

『アニメ師・杉井ギサブロー』は現在全国劇場にて順次公開中。また、『出崎統の世界』にも寄稿をお願いした藤津亮太が構成を務めた杉井の著書『アニメと生命と放浪と』(ワニブックスPLUS新書)も刊行されている。『アニメ師~』、そして『グスコーブドリの伝記』をはじめとする杉井の諸作品を観るときの素晴らしいサポートとなる1冊なので、ぜひともこちらも手にとってみてほしい。(大山くまお)