先輩後輩関係にも色々な形があるが、体育会系の上下関係ほど過酷なものはない。しかも、それがプロレス界だったら? しかも、先輩が長州力だったら?
1973年に新日本プロレスへ入門した長州力と、1980年に入門した高田延彦。
キャリアにして7年の違いがある両者によるトークショーが、10月5日に新宿にて開催されている。
ファンからすると、色々とのっぴきならない因縁があるこの二人。一体、どんな展開になったのか? その模様を、ここに再現したいと思います!


まずは、今回のレフェリー役と言ってもいいでしょう。水道橋博士の入場! ……いきなりだ。格好がスゴい。黒のショートタイツに、白いリングシューズ。
ボディは、こんがり小麦色。
「長州さんはビックマッチの時、サイパン行って必ず焼いてくるんですよ!」(水道橋博士)
完全に、あやかっている。このイベントに備えて8月上旬の時点でサイパンに行き、コンディションを整えてきたらしいのだ。これが博士のやり方だ。

実はイベント当日を迎えるまでに、裏側では既にヒリヒリするようなやり取りが展開されていたらしい。現在、名古屋の某番組でレギュラーとして共演し続けている水道橋博士と高田延彦。
二人には、阿吽の呼吸がある。しかし、長州力に関しては違う。まず、高田の口から「長州さんとは、弟子入りしてから全ての延べ時間で5分も話したことがない」という関係性が確認されている。
この予想の付かないガチンコな状況を不安に思い、「事前に長州さんと会わせてくれ」と関係者に申し出た博士。しかしだ。長州サイドからは、「NG」の回答が! ヒリヒリしませんか? 「小細工は不要」という、長州力からのメッセージだろうか。


こういった状況を踏まえ、トークはスタートします。まずは、長州力の入場! 「パワーホール」に乗って、ビシッとスーツに身を包んだ長州の姿が視界に入ってくる。「うわぁ、本当に来たんだ!」と、会場のヴォルテージは早くもマグマ並みに。
ここで、驚くべき情報が。トーク相手として高田延彦を指名したのは、長州力の方らしいのだ。どうして!? 今まで、5分しか話したことがないというのに……。
不思議な人である。
「仲はよろしくないんですよね?」(水道橋博士)
「そういう印象は、無いんですけどねぇ」(長州力)

続いては「トレーニングモンタージュ」に乗って、高田延彦の入場! カジュアルなジャケットに身を包んで現れた高田は、真っ先に長州力と握手を交わしに行く。当然、長州は片手。ガッチリと両手で握り返すのが高田だ。その際、長州から高田に何か耳打ちが。何を話している? 印象的なシーンであった。

「私がここに座っていいのかなという気持ちがあるね。いつまで経っても僕にとっては大先輩であり、スーパースターの長州力という見え方は変わらないんだよ。やっぱり、役者不足という感じがする」(高田延彦)
二人の間には、崩しようのない先輩後輩関係が生きているようだ。
「私が新日本にいてオイタした時、それを知った長州さんが『おい、高田を喰らわせ!』と、何回指示を出したか」(高田)
「(話を)作ってる(笑)」(長州)

そして、まずは猪木に対しての思いを語る両者。いちいち、スタンスの違いが浮き彫りになって面白い。
高田 外国人選手をバッタバッタとやっつける。
そういうスーパーヒーローに画面を通して初めて出会ったのが猪木さん。長嶋さんが引退したあの年に、ちょうど猪木さんの全盛が始まったんですね。
長州 僕は学生時代は、あんまりプロレス観なかったですね。大学を卒業してプロレス入りしたのは、食うために。高田の場合は“憧れ”という部分で入ってきたと思うんですよ。僕はそういうの、全くなかったですから。
「新日本プロレスに入ることが、生涯で唯一の夢だった」と断言する高田と、「新日本プロレスには、たまたま入った」と語る長州。「今まで5分しか会話したことがない」というエピソード、頷けるではないか。

そして、話は“最強説”について。
――“ローラン・ボック最強論”って新日ファンの中ではよくあるんですけど、「それは違うぞ」ってことを、よく長州さんは仰ってますよね。
長州 僕の感覚で感じたのは、やっぱりルスカですね。
40年近くに及ぶ長きキャリアの中で、長州が「怖い」と思った選手はウイリエム・ルスカしかいないそう。レスリング代表でミュンヘン・オリンピックに出場した長州は、柔道オランダ代表として快進撃を続けるルスカの勇姿を試合場で直に見ていた。その時から、ルスカに畏怖の感情を抱いていたというのだ。

そこから、話はプロレス観に関して。アントニオ猪木による、一連の異種格闘技戦。その影響をモロに受けたのが、少年時代の高田延彦であった。
高田 昼間だったんですよ、アリ戦が放送されたのは。だから野球の練習をみんな休んで、オンタイムで観てましたからね。「この人と同じ事をやりたい」、「あの人の元に行きたい」と思ったのは、この時でした。
一方、当時の長州は海外遠征中。この路線の影響を全く受けていないのだ。
長州 自分自身もやったのかやってないのかっていう試合がありましたけど(トム・マギー戦のこと)、自分にはそぐわなかったですね。
まさに、黒歴史。あの時期の猪木を直に見ていたかどうかの差が、こうして表れているではないか。

【「維新」、「革命」といったキャッチコピーについて】
――「維新軍」、「革命」といった名称や現象っていうのは、長州さんご自身ではなく古舘さんによるネーミングによるものなんですか?
長州 そうですね。やっぱり、イチロー……。あっ、古舘伊知郎。
――「イチロー」って言うんですか。どこからイチローが出てきたのかと思いましたよ(笑)。
長州 試合やってて、彼が喋ってる声がよく聞こえるんですよ。まぁ、「とんでもない事言ってるな」って(笑)。

【プロレスラーとしての“素材”について】
長州といえば、ライバル・藤波辰爾についても触れなくてはならないだろう。1978年にニューヨークでWWWFジュニアヘビー級タイトルを獲得し、凱旋帰国。長州に先行してブレイクしたのが藤波だった。
――藤波さんって先輩ですけど、年齢的には長州さんの2つ年下ですよね。長州さんはレスラーの一番大事な気持ちは“嫉妬心”だってよく仰いますけど、猛烈なジェラシーを感じたんですか?
長州 いや、彼ならやるんじゃないかって思いましたね。体と身体能力が凄かったですからね。
――長州さんも、学生時代に「重量級でこれだけ短距離の速い人はいない」って言われてたそうですけど、藤波さんも短距離が物凄い速いんですよ。
長州 高田も速いんですよ。足の速い人間っていうのは、身体能力を測るときにはわかりますね。どうしても足の遅い人間っていうのは、ちょっとしんどいかなって思いますね。
日頃から「こいつは足が速いから、見どころがある」という考えを持ちつつ、新弟子と接していたという長州。アスリートならではの、独特の見方が面白い。

このままの流れで「入門当時の高田延彦」の印象を、長州に尋ねてみた。
長州 高田はよく、練習終わってから小鉄さんと道場の前でキャッチボールやってた。小鉄さんも野球好きで。
高田 僕が好きって言うよりも、小鉄さんが好きなんです。相手させられたんですよ。
――師匠筋とのキャッチボールって、凄いドキドキしますよね。変なところに投げたら、師匠に取りに行かせることになるじゃないですか。たけしさんからキャッチボールの相手に指名された新入りなんか、スゴいですよ。たけしさんが投げたボールをキャッチすると、持って行ってましたからね。怖くて投げられないんですよ。
高田 まあ、(小鉄さんとのキャッチボールは)楽しくはなかったですね。

【全日本プロレスと野球対決】
そして、知られざる事実が判明!
長州 あれ。野球チーム、あったねぇ。
高田 やってましたね。
なんと当時の新日本プロレスは、選手内で野球チームを結成していたというのだ。しかも東スポ主催で、全日本プロレスチームと試合をしたこともあるという。
長州 全然強かったね、僕たちの方が!
高田 全然、強かったです。
その際は長州がキャッチャーを務め、新弟子だった高田も外野として駆り出されたという。
長州 彼、足速いし。
――「足速い」って、物凄い印象的なんですね(笑)。
長州 やれない人間もいましたからね。球技、得意じゃないんですよ。猪木さんとか。
――猪木さんが野球やってるイメージ、無いですもんねえ。
高田 無いですね。

【長州‐高田・なかよし疑惑】
当時の新日はよほど野球が流行っていたらしく、こぞってみんなで野球に励んでいたそうだ。
高田 よくねえ、練習しないで多摩川で野球やってましたね。
長州 あぁ、やってたやってた!
高田 「今日、小鉄さんが来る」って情報が入ると、道場でスクワットをパッパってやって、「ランニングに行く」という事にしておいて、グローブが30個くらい入っている袋を持っていてやるんですよ。
長州 ビールかなんか引っ掛けてやってたんじゃなかったけ(笑)。
高田 やってましたねぇ。
――……仲、良さそうじゃないですか。ちょっと待ってくださいよ。5分しか喋ってないんでしょ?
ファンとしては嬉しい限りだが、話が違うじゃないか。要するにキャリアを重ねた長州にとって、新弟子の高田は無害な存在であったのだろう。

【高田の強烈な長州体験】
高田 ある日ねぇ、合宿所の2階に長州さんから呼び出されたわけです。「なんで長州さんが俺を呼び出すの?」と緊張しながら、僕も部屋へ行きました。したら「おまえなぁ、プロレスのセンス無いから。山崎はある。山崎はイイ! でも、おまえは無い。だから辞めろ」って(笑)。
(場内爆笑)
――長州さん、当時から「山崎はいいヤツだ」って言ってるじゃないですか!
長州 絶対、そんな事ない。僕は、そんな事言わない! この場を盛り上げるために、高田が作ってる。
――そんな事ないですよ! そんなに盛り上がる話でもないです(笑)。
長州 そんな人様をねぇ、しかも猪木さんに憧れて入ってきてる選手に「辞めろ」なんて、絶対言わない!
――僕なんかダンカンさんに毎日言われてましたよ、「おまえが一番センス無い」って(笑)! でも、それで奮起させたんだと思いますよね。
高田 そうでしょうね。いやぁ、でも傷つきました。

【憧れであるアントニオ猪木の付き人に指名された高田】
――猪木さんの付き人にしてもらったっていうのは、嬉しかったんじゃないですか?
高田 ええ。やっぱり、それは。
長州 絶対、ウソ(笑)!
(場内爆笑)
長州 猪木さんの付き人は夜寝れないし、大変だよ。
高田 いや、任命された時は非常に幸せでしたよ! やったら、大変でした。当時の猪木さんは巡業や事業などで体が疲れ切ってるから、マッサージがとにかくキツくてね……。2~3時間やらされるんです。他の同期の奴は自分の時間でマンガ読んだりウォークマン聴いたりね、色んな事やってるわけですよ。僕はその時間、猪木さんに呼ばれてマッサージ。
――その間は、無言で?
高田 寝てます、もう! で、やたらと筋肉柔らかいんですよ。だから少々押しても、効かないんです。体重かけてグイグイ押してるんですけど、それでも平気な顔して寝てる人なんです。そうして夜中の1時を超えると、さすがに「冗談じゃない」って気持ちになるじゃないですか。そこで、最後の力をかけてガンガンやるんですよ。それでも、やっと「(目を覚まして)おっ、まだやってたのか?」。これでもう終わるかなと思ったら、「もうちょっとやってくれ」って、またやらされるんです。
思い出したのだろうか? 完全にウンザリ顔の高田。しかし、そこで先輩・長州力がフォローに回る。
長州 でも猪木さん、ちゃんと選んで付けてますよ。簡単に付けてる訳じゃない。高田の前は佐山だしね。
(寺西ジャジューカ)

PART2へ続く