とはいえ、『宴のうた』における主人公の料亭の女主人(福沢かづ)の、夫・野口雄賢の選挙戦中の言動を読むと、三島の現実政治に対する洞察力、予見性を感じずにはいられない。彼女が選挙に惜しげもなくカネを使うことや、あるいは自分の故郷の民謡として「佐渡おけさ」を歌って庶民の心をがっちりつかむところからは、どうしても三島の死後、首相となる田中角栄のことが思い浮かんでしまう。
■1975年 美濃部亮吉vs.石原慎太郎――太陽の“挫折”
1963年に再選し、翌年の東京オリンピックを成功させた東だが、高度成長により発生したさまざまな都市問題に対しては後手後手にまわった。1967年の東京都知事選では、自民党が立教大学前総長の松下正寿を擁立したのに対し、社会党や共産党といった革新陣営は東京教育大学(筑波大学の前身)教授で経済学者の美濃部亮吉を立てた。結果はおりからの都議会の汚職事件から保守陣営に逆風が吹いたこともあり、美濃部が勝利する。それまでの都政が開発主導だったのに対し、美濃部は福祉重視をうたい、国に先駆けて老人医療の無料化を実現した。もちろん反発もなかったわけではなく、フォークグループのソルティー・シュガーのヒット曲「走れコウタロー」(1970年)では美濃部が実施した公営ギャンブル廃止が風刺されたりもした。
二期目をめざす1971年の選挙では、自民党推薦で立った前警視総監の秦野章が対立候補となった。このとき秦野陣営の応援に川端康成が駆けつけている。それまで政治からは距離を置いていたはずのノーベル賞作家の行動に、多くの人が首をかしげた。だが川端の応援の甲斐なく、選挙は美濃部の圧勝に終わる。